2. 初訪問:通信照合所と困った客
寄港場は、工房よりも声が多かった。
荷車の車輪が石畳をこすり、係留された小型船の帆が低く鳴り、時刻板の札が何度も裏返される。風の中に、油と縄と紙の匂いが混ざっていた。
ダッタは記録板を抱え直した。
見たことを書いてください。決めつけないこと。
ギータの言葉が、記録板の木目に残っている気がした。けれど、港に並ぶ船を見るたびに、胸の奥はやはり急いた。飛べる船は風を受け、浮かび、離れていく。自分の船だけが、工房で布に包まれた炉心断片のように静かに横たわっている。
通信照合所は、寄港場の東側にあった。
青い通信鏡が壁一面に並び、鏡ごとに違う薄い光をたたえている。窓口の上には、搬送記録、航路照合、通信塔応答、と小さな札が掛けられていた。
その窓口で、少女が一人、男の相手をしていた。
「ですから、昨日の便については、こちらで記録を確認しますわ」
男は灰色の上着を着ていた。仕事着のようだが、荷札も記録板も持っていない。窓口に来た人間の立ち方ではなく、誰かに会いに来た人間の立ち方だった。
「記録じゃなくて、少し話したいだけだって」
「お話は、窓口の用件が終わってからですの」
「昨日は聞いてくれただろ。俺の便が遅れた理由も、商会にどう言えばいいかも、最後まで」
少女は笑った。相手の声が少し大きくなっても、目元だけを柔らかくして、空気を丸める。
「昨日は、便の遅れについて確認していましたわ」
「違うだろ。俺が、もう商会に戻れないかもしれないって言ったら、あんた、受付が閉まった後も残ってくれた」
少女の指が、札の端を押さえた。
「記録の書き方を一緒に確認しただけです」
「俺は、あの時ほんとに助かったんだよ」
その言葉だけは、怒鳴り声ではなかった。
ダッタは少し判断に迷った。男は迷惑な客に見える。けれど、ただ相手を困らせたいだけの人間にも見えなかった。昨日、何かを助けられたと思っている。その助けられた感覚を、まだ手放せずにいる。
「他の窓口なら、受付時間は終わりましたで終わりだ。でも、あんたは違った」
少女は笑顔を保っている。
「困っている方の記録を整えるのも、窓口の仕事ですわ」
「仕事だけで、あんな言い方しないだろ」
「どんな言い方ですの」
「無理に一人で抱えなくていい、って」
少女の目が一瞬だけ伏せられた。
ダッタはその変化を見た。彼女は言ったのだろう。たぶん、仕事として。記録を一人で抱え込むな、という意味で。けれど男は、違う場所に受け取っている。
受け取り方を間違えたのは男なのか。
それとも、受け取らせてしまう言い方をしたのは少女なのか。
ダッタには、まだ分からなかった。
窓口の後ろに並ぶ客が小さく身じろぎした。少女はその音を拾ったのか、男から少しだけ視線を外す。
「今は窓口が開いていますから。続きは、あとで記録として伺いますわ」
「あとでって、いつだよ」
「受付札をお持ちいただければ、順番に」
「札がないと話せないのか」
「窓口では、順番で伺います」
「じゃあ、順番が来たら聞くんだな」
少女はまた笑った。
「記録の用件でしたら」
男はその返事をどう受け取ったのか分からない。窓口の端を指で叩き、半歩だけ身を引いた。
「また来る」
「記録の用件でしたら、お待ちしていますわ」
「記録の用件なら、な」
男は返事のようで返事ではない言葉を残し、通路へ消えた。
仕事の相談だったのだろうか。そう見えた。けれど、最後の言い方は、仕事だけではなかった気もする。ダッタは記録板の端を握った。決めつけない。見たことを書く。
少女は卓の札を一度だけそろえた。
それから、すぐにこちらを向く。
「お待たせしました。通信照合所ですわ」
笑顔が向く。
ぱっと明るいのに、どこかでさっきの男の影を畳んでしまったような笑顔だった。




