2. 風見塔の下の子ども
風見塔の下には、朝の荷ほどきを待つ箱が並んでいた。
塔の足場には、昨日の雨で濡れた布が干されている。管理人が上の方で滑車を確かめ、縄の擦れる音が規則正しく落ちてきた。塔の影は細く長く、地面の白線を斜めに切っている。
その影の端に、子どもが座っていた。
昨日と同じ子だった。
膝の上に、飛行模型を抱えている。片翼が根元近くで折れていた。折れ目は新しく、翼材の繊維が白く立っている。横には糊の小瓶、細い紐、替えの翼材が置かれていた。直すものは揃っている。
風もある。
なのに、模型は膝の上から動かなかった。
ダッタは立ち止まった。声をかける前に、子どもの親らしい管理人が足場から降りてきた。手には点検用の鉤棒を持っている。顔には怒りよりも、朝の仕事に追われる疲れがあった。
「まだ持ってたのか」
子どもは返事をしなかった。折れた翼の先を親指で押さえる。
管理人は少し腰をかがめた。声は荒くない。
「もうしまっておきな。壊れないうちに」
それだけ言うと、管理人は塔の裏へ回った。上から別の職人に呼ばれ、すぐに滑車の音が戻る。
言葉だけが、影の端に残った。
子どもは模型を見下ろしたまま、小瓶にも替え材にも触れない。風が来るたび、折れていない方の翼だけが少し震えた。片方だけ動くから、動かない方が余計に目立つ。
ダッタはしゃがむ高さを迷った。
立ったままだと、上から見下ろす形になる。しゃがむと、近づきすぎる気もした。結局、少し離れた木箱に腰を下ろした。
「昨日も、ここにいたよな」
子どもはちらりとこちらを見た。すぐに模型へ視線を戻す。
名前は、と喉まで出た。
聞けば、ただの「子ども」ではなくなる。けれど、今それを聞くことが近づくことなのか、踏み込むことなのか、ダッタにはまだ分からなかった。
喉の奥に残したまま、別の言葉を待った。
「飛ばしたら」
声は小さかった。
「また落ちるから」
ダッタの喉の奥が詰まった。
落ちる。
その言葉は、模型のことだけを指しているはずだった。薄い翼材でできた片翼。糊の小瓶。風見塔の下の朝。どこにも旧東係留区はない。桟橋も、黒い布も、昨日の声もない。
それでも、言葉の形が似ていた。
ダッタは鞄の紐を握った。記録板が中で動く。取り出して書きたくなった。今の言葉を、どこかに留めておきたかった。
書けば、またひとつ分かったことにできる。
その考えが浮かんだ途端、指に力が入った。
子どもはまだこちらを見ていない。見てもいない相手の言葉を、先に自分の記録へ持っていく。
鞄の金具にかけた爪が、少し鳴った。
違う、と言い切れるほど分かってはいない。ただ、鞄を開けたら、子どもの腕がまた固くなる。そこだけは先に見えた。
ダッタは鞄から手を離した。
「材料は、あるんだな」
子どもは頷いた。とても小さく。
「糊も、替えの材も」
「うん」
「風もある」
子どもは答えなかった。
塔の上で鈴が鳴る。模型の折れた翼が、子どもの指の下で少し沈んだ。




