6. 古い停泊場
羅針盤は、夕方近くになってようやく向きを変えた。
黒札へ向けても動かない。擦れた名前へ向けても、少し鳴るだけだった。けれど、アンが引き出しから出した古い港図を机に広げた時、針は留め具の中で、ゆっくり回った。
北でも南でもない。
港の外れ。
今は使われていない古い停泊場。
図面には、薄い字で、旧東係留区、と書かれている。かつて長距離船が風待ちをした場所らしい。今は主航路が変わり、修理待ちの船や、持ち主のいない小型船が集められている。
「ここに、何かあるんですか」
ボイロが港図を覗く。
アンは古い線を指でなぞらなかった。触れそうになって、少し手前で止める。
「昔は、出る前にここで荷を減らした」
「荷を」
「遠くへ行く船は、全部持っていけないから」
その言葉で、案内所の空気が少し沈んだ。
全部持っていけない。
アンの短い線の横で聞くには、重い言葉だった。
針は旧東係留区を指したまま、細く震えている。
「黒札がある場所ですか」
ダッタが聞くと、ボイロは観測紙を港図の上へ置いた。紙面には黒い滲みではなく、また同じ角度の曲がり線が出た。
「黒札というより、言葉が集まる場所かもしれません」
キールが扉の外を見た。
「停泊場なら、人も少ないですわ。声が少ない場所なのに、言葉が集まるのは変です」
ギータは記録紙を整えた。
「行くなら、黒札と記録を混ぜないようにします。今ある写しだけ持っていく。原本は置く」
「俺の記録板は」
「持ってください」
ギータは少しだけ迷ってから続けた。
「ただし、何かを書きたくなった時ほど、一行空けてください」
ダッタは頷いた。
一行空ける。
それだけのことが、今は難しく感じた。




