第7章 1. 残る黒札
案内所の音が少し変わっても、港はすぐには動かなかった。
扉の外へ出ると、朝の光は昨日より白かった。桟橋の縄は乾き、帆布の端には風が入っている。荷車も動いている。人の足音もある。
それなのに、出航板の前だけは、まだ薄い。
第三搬送便、再確認。
北東航路郵便船、保留。
旅客小型船、未選択。
黒札は、数だけなら増えていないように見えた。だが、白い札の端に影が移っている。黒札そのものが増えたのではなく、黒札の近くにいた言葉だけが、別の札へ薄く写っていく。
ダッタは記録板を開いた。
端に挟んだ針は、まだアンの引いた短い線と同じ向きで止まっている。揃っている。そう思えたのは案内所の中だけだったのかもしれない。外へ出ると、針は港の音に触れるたび、留め具の中でかすかに鳴った。
「動いてます」
ギータが横から覗き込む。すぐに手は出さない。針と記録の間に、指一本ぶんの距離を残す。
「向きは変わっていません。でも、鳴っています」
「完成したのに?」
言ってから、ダッタは自分の言葉を少しだけ嫌だと思った。
完成。
そう言えば、昨日のアンの線も、自分の記録も、終わったものにできる。次の問題へ進める。役に立つものを手に入れたと言える。
でも、出航板の前の空気は終わっていない。
キールは人の声を聞いていた。怒鳴り声ではない。むしろ、誰も大きな声を出していない。その静かさが、板の前に薄く溜まっている。
「昨日より、言葉が短くなっていますわ」
「短い?」
「理由を言わないまま、結論だけを置いていく感じです」
ボイロが観測紙を出した。紙面は最初、白いままだった。黒札へ直接近づけると紙の端だけが黒く滲む。けれど、出航板の白い札へ近づけた時、滲みとは別に、細い線が一本だけ出た。
「黒札の反応じゃないです」
ボイロは眉を寄せた。
「言葉の跡、みたいなものです。名前はまだつけません」
アンは出航板から少し離れて立っている。袖口の紐は、今日は左右とも同じ長さに結ばれていた。けれど、指先はときどきそこへ戻る。
ダッタは黒札を見た。
黒札は黙っている。
なのに、針は鳴っている。
こつ。
鳴ったのは針ではなかった。
記録板の奥、薄いヒビの向こう側で、何かが内側から叩いた。
ダッタは板を閉じた。
閉じても、音は消えなかった。




