3. 父の不在と店内トラブル
布包みの中身は、細い金属管だった。
片端に羽根のような薄板がつき、もう片端には小さな穴がいくつも開いている。古い笛にも、船の骨にも見える。ボイロはそれを慎重に受け取り、カウンターの上の柔らかい布へ置いた。
「風切り管ですね」
「そうそう。ゴドさんが前に調整してくれたやつだ」
「南桟橋の小型客船なら、たぶん第三型です。港内用の低速船」
「ああ、それそれ」
男は嬉しそうに頷いた。
ボイロの肩が、ほんの少し緩んだ。
ダッタはそれを見て、安心しそうになった。すごい。ちゃんと分かっている。自分より年下なのに、客の船の型まで言える。
ボイロは目録を開いた。指で行を追う。
「第三型の風切り管。音が濁る場合は、先端の煤、側面穴の詰まり、または戻り板の緩み。資料ではこの三つです」
「じゃあ、どれだい」
男が身を乗り出す。
ボイロは管を持ち上げ、光にかざした。穴の中を覗く。薄板を爪で軽く弾く。高い音がした。少しだけ濁っている。
「側面穴の詰まりです」
言い切った。
その直後、ボイロのまつげが一度だけ揺れた。
たぶん、と言い足す余地はあったのかもしれない。けれど客の前で、ゴドさんならすぐ分かると言われた後で、ボイロはその余地を閉じた。
「掃除で済むのか」
「分類上は、済みます。父さんの記録でも、第三型は穴詰まりが多いです」
「助かるよ。午後の客船だから、止めたくなくてね」
男の顔が明るくなる。
ダッタもほっとした。
その時、後ろにいた荷運びの若者が口を挟んだ。
「でも、今朝、船長が戻り板も鳴ってるって言ってましたよ」
ボイロの手が止まった。
「戻り板?」
男が振り返る。
「そんなこと言ってたか」
「たぶん。左側の飾り板の奥が鳴るって」
飾り板。
ダッタは自分の船の船首を思い出した。割れた飾り板。まだ直していない場所。
ボイロは目録をめくった。早い。紙が少し荒く鳴る。
「第三型の戻り板は、船体側です。風切り管とは別です」
「でも、同じ音に聞こえるって」
「聞こえ方は分類ではありません」
声が尖った。
若者が口を閉じる。
男は少し困った顔で笑った。
「まあ、ボイロちゃんが言うならそうなんだろう。お父さんの目録も見てるんだし」
ボイロの指が目録の上で止まった。
お父さんの目録。
自分の言葉ではなく、父の目録が信じられている。そのことに安心したのか、苦しくなったのか、ダッタには分からなかった。
「掃除します」
ボイロは細い針を取り出した。側面穴に通し、煤を落とす。黒い粉が布の上に散った。手つきは慣れている。少なくとも、そう見えた。
管をもう一度弾く。
音は少し澄んだ。
「ほら」
男が言った。
「よくなった」
ボイロの顔が明るくなりかける。
その瞬間、管の奥から、低い音がした。
高い音の後ろに、もう一つの音が残る。喉の奥で返事をしそこねたような、重い響き。
ダッタの紙束の端の光が、かすかに震えた。
ボイロも見た。
男は気づかない。
「これで出せるな」
「待って」
ダッタは思わず言った。
ボイロの目がこちらへ来る。やめて、と言っているように見えた。いや、そう見えたのはダッタの勝手かもしれない。
「今、変な音が」
「穴詰まりの残りです」
ボイロが早口で言った。
「もう一度掃除すれば消えます」
「でも」
「分類上はそうです」
分類上。
その言葉が、カウンターの上に置かれた札みたいに見えた。観測。鑑定。異常音。古船。その他。分からない、という札はない。
奥の保管庫から金属音がした。父親は出てこない。
男は腕時計を見た。
「急ぎなんだ。出せるかい、出せないかい」
ボイロの唇が薄くなる。
「出せます」
ダッタの胸が少しざわついた。
本当に?
そう聞くべきだった。
けれど、ボイロの顔を見た。客の前で、父の店のカウンターに立っている小さな背中。知っている顔を崩したら、そこに何が残るのか分からない顔。
ダッタは黙った。
男が管を包み直す。
「助かったよ。やっぱりタダマの店は違うね」
ボイロは小さく頭を下げた。
その時、扉の外で、風見塔の針が一度だけ止まった。
風は吹いているのに。
ダッタはそれを見た。見たはずだった。
けれど男たちが出ていく鈴の音で、すぐに目を戻してしまった。




