4. 翌日の再訪:誤解の悪化
翌日、港には前の日より強い風が入っていた。
係留柱の縄が鳴り、帆が何度も膨らんではしぼむ。ダッタは受け取り札を握って、通信照合所へ向かった。
青い鏡が見えたところで、足が止まった。
窓口の前に、灰色の上着の男がいた。
昨日より近い。卓に片手を置き、キールの逃げ道をふさぐように立っている。後ろには二人ほど客が並んでいたが、誰も声を出せずにいる。
「だから、記録じゃなくて」
男の声が低い。
「昨日だって、あんた、俺の話を聞いてくれただろ」
キールは笑っていた。
笑っているのに、札が揃っていない。右手でそろえた札を、左手がまたずらす。通信鏡の光がひとつ点き、消え、また点いた。
「昨日は、窓口の用件として伺いましたわ」
「用件だけなら、閉めた後に残らないだろ」
「記録の不備があったからです」
「他のやつらは、時間外です、担当じゃありません、それで終わりだった。あんたは違った。最後まで聞いた」
「途中で放り出すと、記録が余計に混乱しますから」
「また記録かよ」
男は少し身を乗り出した。
「俺は、あんたが聞いてくれたから助かったって言ってるんだよ。今日も少しくらい聞いてくれたっていいだろ」
キールの手が止まった。
「今は窓口が開いていますの」
「じゃあ、閉まったらいいのか」
「そういう意味では」
「いつもそうやって、はっきり言わずに逃げるよな」
キールの笑顔が、動かなくなった。
ダッタは受け取り札を握りしめた。助けた方がいい。そう思った。決めつけない。見たことを書く。分かっているつもりだった。
でも、これは見えている。
キールは困っている。
それに、後ろの客も困っている。止まった窓口、点いたままの通信鏡、揃わない札。誰かが動かさなければならない場面に見えた。
困っている人を見つけると、自分が役に立てる場所を見つけたような気がする。
その気持ちが混じっていることに、ダッタはまだ気づききれなかった。
「あの」
ダッタの声に、キールと男が同時にこちらを見た。
「窓口が止まっています。用件がないなら」
男が眉を寄せる。
「誰だよ」
「客です」
言ってから、ダッタは少しだけ胸が熱くなるのを感じた。止まっている場を動かせる。そう思った。
キールは笑顔のまま、ほんのわずかに首を横へ振った。
やめて、なのか。大丈夫、なのか。
ダッタには分からなかった。
けれど、口はもう動いていた。
「嫌なら、ちゃんと言えばいいじゃないですか」
キールの笑顔が固まった。
男は鼻で笑った。
「ほら。他の客だってそう思ってる。外から見ても、そう見えるんだよ」
ダッタはしまったと思った。
自分の言葉が、キールを助ける方ではなく、男の足場になった。
だが、何をどう間違えたのか、すぐには分からなかった。
キールは札から手を離した。
「言えたら」
声は柔らかいままだった。
「とっくに言ってますわ」
通信鏡の一枚が、きし、と鳴った。
細い糸を無理に引いた時のような、耳の奥で裂ける音だった。キールの笑顔が鏡に映る。その口角に、見えない糸がかかっていた。
次の瞬間、男の口が動いたまま止まった。
通信鏡の光も、時刻板の札も、後ろの客の瞬きも、細い水の中に閉じ込められたように動かなくなる。音だけが、長く伸びて、一本の糸になった。
ダッタが一歩踏み出そうとした瞬間、足元の石畳がほどけた。




