侵蝕する夜
時計の針が午後十一時を指したとき、その「音」は聞こえてきた。
静寂を裂くような、微かな異音。リビングの方から響く不穏な気配に、僕は眠りの中で意識を覚醒させた。理由はわからない。けれど、かつて安らぎの場であったはずの我が家が、今は得体の知れない異質な空間に変貌してしまったことを、僕の直感が告げていた。
恐怖が這い寄ってくるのを感じても、僕はそれを表に出さない。静かにベッドを抜け出し、使い古された小さなクマのぬいぐるみを手に取った。
ぬいぐるみの柔らかな生地が、木の床をかすかに撫でる。
「……ただの、猫の音だ」
自分に言い聞かせるように呟いてみる。けれど、僕の本能はそれを即座に否定した。
慎重に、けれど確実な足取りで廊下を進む。カーペットを吸い込む小さな足音は、限りなく無音に近かった。
リビングに近づくにつれ、音は鮮明さを増していく。
押し殺した話し声。家具が軋む音。そして——もっと恐ろしい、何かが。
僕は扉の前で立ち止まり、耳を澄ませた。
心臓が早鐘のように打っているが、僕の思考は氷のように冷えていく。
「来たんだ。……彼らが」
まだ五歳の子供に過ぎない僕だが、自分の異能が何を引き寄せるのかは理解していた。
黒崎の家系に生まれた、この「純白」の頭脳。
人々はそれを利用し、操り、自分の利益のために欲しがる。善悪など関係ない。ただ、誰もが手に入れたいと渇望する宝が、僕という個体なのだ。
僕は扉の向こうに漂う重苦しい空気を感じ取りながら、悟った。
今、この瞬間を境に、僕の平穏は永遠に潰えるのだと。
「……僕は、絶対に渡さない。たとえ、戦うことになっても」
掠れた囁き声には、年齢に不相応な鉄の決意がこもっていた。
ぬいぐるみを強く握りしめ、その柔らかな感触で冷静さを繋ぎ止める。
まだ惨劇の全貌は見えない。けれど、僕の世界が二度と元には戻らないことだけは、確かな事実としてそこに横たわっていた。




