第7話
7.
その日の授業中、
勝也には終始、覇気が無かった。
いつもなら周囲の人間が泡を吹いて倒れる程の気迫を垂れ流している癖に、だ。
今日は先生の話も聞かず、ノートも取らず、自主勉も内職もせず、ただただ、机に突っ伏して眠っていた。
何もやる気が起きない。
“戦闘”が一時休戦になっただけでこの体たらくである。
「うっわ、相当重症だなこりゃ」
放課後。
皆が帰り支度をする中、ピクリともしない勝也の席に、健二が近寄ってきた。
「あーあーこんなに落ち込んじゃってまぁ、そんなに天坂が心配ならちょっくら隣の教室に様子見に行きゃいーじゃん。オレもそっちにツテあるし」
返事が無い。
ただのしかばねのようだ。
「やれやれ、見るに堪えねぇな。確かにリア充は疎ましかったけどな、こんな抜けがら見させられるぐらいならいっそ幸せになって欲しいもんだよ。もちろんオレの見えない場所で」
「……うるせぇな。お前にゃ関係ねぇだろ?」
返事があった。
が、ただのゾンビのようだ。
生ける屍。
特に今の勝也には、その表現はピタリと当てはまった。
「……つか、リア充とか、そういう話振るなって、昨日忠告したはずだよなぁ」
のろのろと頭を上げ、虚ろな目で健二を睨む勝也は拳を振り上げようとして、しかしすぐ力無くその腕を垂らした。
「……まぁいいか。大人げねぇし」
そして、そのまま頭も机に預け、更にだらけた姿勢になる。
新柴健二は、動揺すると同時に、分析する。
昨日の奈々の変化も、今日の遅刻の原因も“既に聞いている”とは言え、このダウナーぶりは、それだけで説明出来るものでは無かった。
(何か……あったのか?)
勝也は今日、授業を聞かず、自主勉もせず、自主トレもせず、動かず、教室からも出ず、そして、休み時間の恒例行事である、奈々との睨みあいも、していない。
奈々の方も奈々の方で、勝也に会いに来ようとしない。
これはもう、異常事態だった。
(あるいは、変化の兆しかな?)
おそらく、二人の関係は、自分の想像以上に進展している。
互いに別々の過程を経て、相手へ抱く感情に、変化が生じてきているのだ。
しかし、それをお互い、認めようとしていない。
“気づき”の段階は、もう終わっただろう。
あとは、踏み切らせるだけ。
(……つか、何でオレは、ガチで二人をくっつけようとしてんだ?)
恋バナを勝也に振った理由はそれとしてあるが、
それとは別に、“本心から”二人をくっつけたいと思っている自分がいる。
そのことを、健二は今さら意外に思った。
勝也の言うとおり、二人の関係がどうなるかなんて、健二には直接関係ない。
そんなことは、二人に任せておけばいいのだ。
仮に喧嘩別れになったとしても、それはそれでいいではないか。
この二人の事だ。
ちゃんと、納得のいく別れ方をするだろう。
下手に二人に介入して、恋仲にさせる必要性なんて、どこにも無い。
(……けどま、必然性は、あるのかな)
ずっと一緒だった。
ずっと寄り添ってきた二人が、恋人どころか敵同士。
それが事実だろうと、言葉の上側だけだろうと、そんな関係は、はっきり言って気持ち悪い。
違和感ありまくりである。
だから、この二人と深く関わってしまった健二は、違和感を正したくてしょうがない。
勝也と奈々にはとっととくっ付いてもらって、思い切り「リア充爆発しろ」と罵りたいのだ。
モテない男子代表として、友人代表として、二人の関係をひがみたい。
だからこそ、新柴健二は、叶野結からのめちゃくちゃな依頼を、引き受けようと思ったのかもしれない。
(結ちゃんも、思った事は同じって訳か)
二人の問題だからと言って、関係ないで済ませたくない友達が、お前らには、いるのだ。
それを、ひとまずこのバカに、教えてやらねばなるまい。
(……よし)
健二はまず、死ぬ覚悟をした。
仮に勝也をキレさせ、こいつに殺されてしまった時に、美しい走馬灯が見れるように。
未だ沈黙し、顔を上げない勝也に、健二は攻撃を開始した。
「なるほど? どうあっても認めねぇ訳か」
「……だから」
くぐもった低い声が、伏せた顔と腕の間から洩れる。
恐ろしく怖いが、健二は踏みとどまる。
「あいつとはそーいうんじゃねぇんだよ。それに、俺は恋とかそういうの……」
「分かんねーってか? 普通そうだろ?」
「……何?」
勝也はピクリと反応し、健二もニヤリと口元を歪める。
即興で思いついた台詞だが、これはいけそうだった。
「恋だの愛だの、それが一体何なのかなんて、誰も分かっちゃいねーんだよ。オレだって分かんねーし、天坂だって分かってねーよ。この世の誰も、そんなもん本当に理解なんてしてねぇんだよ」
だってそんなもん、影も形もねーじゃねぇか。
目で見えないし、触れもしない。
誰にも捉える事なんて出来ない。
健二は、ごくごく当たり前の事を言った。
「分かるか? お前だけじゃねーんだ。お前はただ、自分の過去だの根っこだのを言い訳に、逃げてるだけなんだよ!」
「……何だと?」
勝也が顔を持ち上げ、ガンを飛ばして来た。
全然恐ろしくなかった。
今、健二は最強の武器を持っていたから。
偶然手に入れた、この世で最も正しい言葉があるから。
「お前だって、うすうす気づいてんだろ? 自分の気持ち」
目に見えず、触れもしない。
ふわふわしていて、捕えがたいもの。
それでも甘く、芳しい香りがして、身体と心を、温かくするもの。
そんな気持ちを、奈々に対して抱いているなら、それはもう、恋じゃないのか?
健二は一旦、喋るのを止めた。
そして、勝也の言葉を待つ。
「……分かんねぇんだよ」
返ってきた言葉は、今までと変わらない、逃げの言葉などでは無かった。
続く言葉と、震える拳が、それを物語っていた。
「分かんねぇんだ。あいつが、何考えてんのか。俺はあいつとずっと、ずっと戦ってきて、競い合ってきた。時には正々堂々、時には姑息な手を使って、本気の殴り合いもしたし、本気の嫌がらせもした」
あいつの事で知らない事なんて無かった!
勝也はいつの間にか、目に涙を溜めて、叫んでいた。
「昨日までは……か?」
「あいつさ。昨日ずっこけて気ぃ失ったんだよ。んで、あいつ、俺におぶわれてる時によ、泣いたんだ」
勝也が、ぎり、と、歯を食いしばった。
そして一呼吸置いて、認めがたい事実を白状するように、言った。
「勝也……ってよ。俺の名前を呼んで、泣いたんだよ。意識も無かったはずなのに」
近頃は、お前、とか、あんた、とか、二人称でしか呼び合っていなかったのに、だ。
「あの声聞いてからよ、なんか色々、ワケ分かんなくなってよ……、休戦とか言って、あいつに、ワケ分かんねー情けなんてかけてよ……。ワケ分かんねー……」
何度も、何度も、ワケ分かんねーを繰り返す勝也。
もうひと押しだろう。
健二は、訊いた。
「で、お前はどう思った?」
「……どうって」
「天坂に名前で呼ばれて、背中で泣かれて、それをどう感じたんだ? 最初に沸いた感情は何だ?」
ここだ。
ここで、全てが決まる。
勝也がどんな言葉を吐くか。
それで、二人の全てが分かる。
そして勝也は、つぶやいた。
「……ムカついたよ」




