五
私が小春のことを考えてぼんやりしながら平日が過ぎた。
流石に火曜日からは気持ちを入れ替えて勉強に集中したが、電車の中とか、家でお風呂に入っている時とか、そういう余白の時間帯は彼女のことを思い浮かべていた。
私が彼女のことが気になる理由としてこれまで自己分析した結果では、あまりの美少女っぷりという容姿に関する要素に加え、接客や休憩中の会話から見えて来たそのパーソナリティや人柄に関する興味関心……一言で言えば「底知れなさ」に惹かれている部分がある。
この人がどういう人なのかをもっと知りたいという知の欲求を喚起されるのだ。
決して誰に対してもこういうことを思うわけではない。
(もちろんこの人の話を軽く聞いてみたいなと思うことはあるにはあるが。)
そこを気になってしまう、いや、気にさせられてしまうような謎の引力がある。
というわけで今日土曜日はその辺りを解明すべく積極的に歓迎会に参加しようと意気込んでお店までやって来たわけだ。やる気は十分である。
ちなみに歓迎会の食事は店長がお寿司を取ってくれるそうだが、他にも各自自由に持ち寄ってこようという話も上がっており、私は自宅近くのお惣菜屋さんでかぼちゃのキッシュを購入していた。洋食派の人もいるだろうという予想に基づく購入だ。思ったより値段は高く、大人の財力で来るべき店なのだと会計中に悟った。
そして乃々葉さんと同時出勤でバックヤードに入り、さっさと着替えとメイクを済ませてホールの準備を済ませておく。というのも今日は早めに小春に教えたいことがあるからだ。時間の余裕は欲しい。
ちなみにこの店の給仕服は一見着づらそうだが、実際は大したことはない。
トップスの着物部分は腰紐でしっかり結んでおけばいいし、あとはスカートだけなので何も問題はない。あと、これだけだと薄着で寒そうと思われるだろうが、インナーは何枚でも着込めるので冬のキッチンも敵ではない。
で、何が言いたいかというと着替えは慣れれば一瞬なわけで、準備がすぐ済むということは自分の予想よりも早く小春がホールに出てきたことは驚きだが決して不思議ではなく、急に現れた肝心要の人の姿に心臓がバクっとしてしまったのは完全に私の思考が彼女に寄っていることの証明ということだ。
要するに小春との六日ぶりの再会に私はちょっとドキドキしている。
今日も可愛い。小さくニコッと微笑んで「おはようございます、琴奈」と声を掛けてくれたその様子に瞬間フリーズして言葉が出てこず、ワンテンポ遅れて平静を装って返事をした私にちょこんと首を傾げた仕草も可愛い。ツインテールも相変わらず中々の高さから垂れてきている。自分で結ったのだろうか。可愛い。
おや、私はさっきから可愛いという単語を連呼していないか?
……そうか、私が小春に感じていたトキメキの正体は可愛いものへの「きゃー!」という黄色い歓声を感情化したものだったのか。なるほど。
確かにアイドルファンのクラスメイトが好きな子の画像をスマホで見せてくれた時に「きゃー!今日も○○ちゃん可愛いー!」と無駄に良いソプラノで唸っていたことが記憶にある。そして私もまた小春を見て心中で「きゃー!」と元気な悲鳴を上げているということだ。理解。人間の内省はこうして深まるのである。
ということは月曜日のSNSの連絡も、好きなアイドルから急にメッセージが来たみたいなものなのかな……だとしたらそれはもう平静ではいられない。緊急事態である。食事中だろうが弁当が冷めようが関係ない。最優先だ。
「ええと、琴奈、なんだか動きが止まってますが」
「……あ、ごめん。小春が可愛すぎてつい見入ってた」
「っ――!!」
あ、やばっ。本人を前についうっかり本心を……
こ、これ良くないやつ! まだ対面三日目の人を相手に言ってはいけないやつ!
どうしよう、しゃ、謝罪文を作らなくては、え、でもなんて言えば……
と思ったら小春は意外にも反論や否定はしてこなくて―
「…………あ、ありがとうございます。琴奈のお眼鏡に適ったのであれば、それはよいこと、です」
「……は、はい。適っております、ええ、あ、はい」
「で、では。今日の準備について、お願いします」
なんだかよくわからないけど、許されたらしい。
私の失言は小春の中で上手いこと処理された……と思われる。
しかし顔が真っ赤なのは隠せていない。やはり恥ずかしいのだろうか。
でもそうだよなあ、いきなりそんなこと言われたらびっくりするし、ましてや小春みたいなおしとやかな子からすると青天の霹靂というか、言われ慣れていない言葉だろう。
それに、こういう言い方をされるのは苦手なのかもしれない。
でも迂闊に拒否することもできずになんとか受け流しただけ……ああ、だとしたら申し訳ない。人の容姿の話なんて気安くしてはいけなかったのに。失敗。
とりあえず今から研修の続きをするので、そこをしっかりやって信頼の回復を図らなければいけない。そう、レジ打ち、レジ打ちをするんだった。今日はお願いしようと思っていたんだった。そのために時間を多めに取ったのになんたる失態。やはり今週に入ってから私はダメになっているのだろう。
よし、気合を入れ直して再開。
頬を少し痛いくらいにぺちんぺちんと叩いて気を引き締める。
「じゃあ今日はレジ打ちを覚えてもらおうと思うんだけど……レジ打ちの流れってなんとなくわかる?」
「はい。伝票を見て、入力して、それからお金をもらって、レシートを出して……」
「うん。そうなんだけど、実はうちは前半二つはないんだよね」
「そ、そうなんですか」
ちょっと驚かれる。たぶんバイトを始めた頃の私と同じ戸惑いだろう。
しかしその戸惑いはいい意味で消える。
というのもスマホでオーダーを取った時点で注文内容は会計用のタブレットにも共有され、お会計をするテーブル番号を選択した時点でレジ打ちは完了するのだ。
という話を実際にタブレットを見ながら説明する。
こういった機器にも慣れているらしい小春はすぐに理解してくれて、思ったよりもこの会計対応が楽なことに安心したようだった。
が、問題はその先だ。
このご時世お会計担当を悩ませるのは支払方法の多さである。
これが私が多めに時間を取って研修しようと思っていた理由だ。
現金はスタンダードとして、クレジットカード、交通系IC、QRコード決済もある。
それぞれやり方は違う。うちのお客さんの使う方法は結構バラバラだ。
というわけでまず現金の練習をする。
これは一般的な仕組みというか、お釣りが自動計算されるのでそれをレジドロアから取り出す。これ、手先の細かさがものを言うので得手不得手が分かれがち。
そして交通系ICはタッチ対応なのでカードリーダーを正しく動かせるように練習し、クレジットカードも専用のリーダーを使い、QRコード系は種類が多いので面倒だが都度確認しつつ対応する。
という内容を三十分位掛けて繰り返しながら覚えてもらう。
こういうのはやって覚えるしかない。やらずに覚えるのは ―レジ打ち以外でもそうだが― 難しいと思う。百回の座学より一度の実践である。
その練習をしているうちに先程の失言のダメージはいくらか薄れ、小春の顔も普段通りの色に戻っていた。無事に研修が終わった時、小春の会計対応には問題なさそうであることと同じくらい、心の安寧が戻ったことに安堵した自分がいたのは内緒だ。
ただ、小春にはその真逆で、彼女の言う「心の準備ができていない」シチュエーションがすぐ近くまで迫っていた。
というのも今日の接客バイトは私と小春ともう一人、二千花が「つむつむ」と呼ぶ彼女がいることを私もすっかり失念しており、まさにその人がホールへ出て来たところでちょうど目が合い―
「琴奈ちゃんおはよう~、朝から研修お疲れだよ~」
「紬さん、おはようございます。二週間ぶりですね?」
「うんうん~、先週はごめんね、生徒会と先生たちに引っ張られちゃってね~」
小春と同じくらいの身長、つまり百五十センチ前後という少し低めな背丈で、淡い水色の給仕服を纏ったその人の名は小鳥遊 紬さん。
乃々葉さんと同じく開店当初から働いている最古参のスタッフで高校三年生。
先週末は学校の受験者向け見学会の対応に駆り出されて二日間働きづめだったらしい。なのでシフトには入っていなかった。
紬さんは表向きは人当たりもいいし、何よりめちゃくちゃ頭良いし、引っ張りだこなのも納得である。年齢の割に幼い顔立ちというか、受験直前の中学三年生ですと言われても納得しそうな容姿も親しみやすい人懐っこさを放っている要因だ。
というわけで私の背後にしれっと隠れそうになった小春を前に押し出し―
「っ、あ、あの、わたし、先週からバイトに入った仙谷 小春と言いますっ……!」
「うん。新人さんが来るって聞いてたから楽しみにしてたんだよ~。わたしは小鳥遊 紬、高校三年生、ここでバイトやって丸二年です。よろしくね~」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
「うんうん~、一緒にまったりゆっくり頑張ろうね~」
このようにして「心の準備ができていない」シチュエーションを見事乗り越えたのだった。
なお、横から見ていた私には小春が明らかに緊張して全身こわばっているところを容易に観測できたし、挨拶という一大ミッションを完遂した瞬間にちらっとこちらを見て「頑張りました!」とアピールしてきたところも見逃さなかった。健気だなあ。
そのアピールは紬さんも捉えていたようで、後から「小春ちゃん健気だね~、琴奈ちゃんにべったりだね~」と揶揄われた。べったりではないと思う。
そして今日も開店だが、先週末と同様に私と小春がホールを受け持ち、紬さんはキッチンの補助に入ってもらう。いきなり違うことをやると混乱するだろうという判断だ。
その代わりといってはなんだが、ステップアップとして会計対応を小春に任せる。
もちろん最初は私が後ろで見ながらだが、あくまで実践するのは本人だ。
というわけで十時ぴったりで開店。
オープン対応は引き続き私が行い、小春に振りながら順次案内を進める。
先週末の一日でもう随分慣れたらしく、手際も良くなっていたしお客さんを相手にする時の緊張も和らいでいるように見える。
特に四人掛けのテーブルのうち一つにはかなり陽気な感じというか、私からすると生きている世界が違うようにしか見えないお洒落なファッションの人たちが座ったのだが、そこに臆することなく対応しきったのも素晴らしい。私はああいう原宿を我が物顔で闊歩していそうな人たちを見ると怖くなって逃げる。実際は逃げないけど、心の中ではシャッターを下ろしている。
ちなみにその人たちは小春を見て軽くキャーキャーしていたし、スマホの持ち方的に一緒に写真を撮りたそうにもしていたが、その辺りはテーブルの上に置いた注意事項のパネル(「店内の写真撮影時には他のお客様やスタッフが写らないようご配慮ください」)が効いた。フォトジェニックな撮影スポットへ流れていった。
最初の予約枠の二時間は見事満席で全七組の埋まり具合だったので、小春にホールを任せ、私もキッチンで補助に入る。紬さんと乃々葉さんのコンビネーションは上々だったので、主に皿洗いとドリンクの準備の方だが。
その間も時々気になって小春の様子を観察していたが、特にトラブルもなく、あわあわしながらキッチンに戻ってくることもなかった。
正午前に最初の退店グループが出て来たので会計補助に行った。
流石に一組目なので言い淀みなどがあったが、明らかに新人研修中というのはお客さんにも伝わっているので(だって私が背後でニコニコしてるし)、温かい目で見守ってもらいつつ練習した。いきなりクレカ勢だったのは想定外だったが、私がちょっと後ろから口出ししただけですぐに突破したのでよし。
二組目からは慣れて来たのか声色を明るくする余裕もあり、私が手助けするところは精々QRコード決済向けのタブレット操作くらい。ちなみに何度かお顔を見たことのあるお客さんには(背後に立っている私も含めて)にこやかに微笑まれた。
ここまで来るとホール対応はもうお手の物といった具合で、十時枠と十二時枠の時間帯は私が例のごとくアコギ演奏に入ることができた。本来は紬さんの番だったのだが、予想外にフードの注文が多かったらしくキッチンにこもっていたのだ。
今日は自宅で探してきた和風のインスト曲をアコギで再現する形で十五分程度演奏してみた。こういう和風な曲はAudioStockをあたりを漁っていると良いものがごろごろ転がってて、ああこれ良いなと思ったものを落として、自動採譜アプリで譜面に起こせばOK。使用料は定額プランに含まれる。
雰囲気と世界観を大事にするお店なので、安易に歌謡曲やポップスを演奏するとイメージが崩れかねない。そこで私が重宝するのがそういったBGM系だったり、先週演奏したような唱歌に類するものである。バレないように現代ポップスをねじ込んでみるのもそれはそれで楽しいけど。
お昼休みはキッチンの隅で乃々葉さんのまかないサンドイッチ。
三人で交代に取れるよう、ホールは主に小春、キッチンは私と紬さんの交代制にした。あと各予約枠の終盤はみんな余裕があるので集まってむしゃむしゃ。
ここでもサンドイッチを小さくかじりながら食べる小春の姿を見て「リスみたいで可愛い」という感想を抱いたのだが、業務上のパートナーを小動物扱いしてしまったことに少々の自己嫌悪を覚え、その認識を「控えめで可愛い」に書き換えた。
ちなみに最古参スタッフ二名はといえば――
「小春氏ってさ、サンドイッチの持ち方が丁寧だよね」
「そうかもね~、琴奈ちゃんのがさつな感じとは違うよね~」
「…………私今すっごくディスられてません?」
「うん、ディスる気で言ったよ~」
紬さん、そのほんわかボイスとにこやかな笑顔から罵詈雑言を発さないでほしい。なお小春はその様子を黙って見ていた。それでいい。合ってるよ。
そして後半四時間へ突入。
ここで選手交代で私がキッチン補助に入り、紬さんが小春と一緒にホールへ出る。二人は速やかに分担を話し合い、わずか十秒ほどの会話でさっさと出ていった。まるで私のコミュニケーションが下手なように思えてしまい少々落ち込んだ。
キッチンは十四時を過ぎたのでフードの注文は少々減ってきたが、それでもスイーツ系が逆襲を仕掛けてくるので細かい盛り付けや軽い調理はどんどん続く。その手伝いをビシバシこなしつつ、ちょっと手が空いたタイミングで紬さんが戻ってきて――
「琴奈ちゃん、今から演奏してくるからね~」
「はい。楽しみにしてますね」
「あとさ、その間は琴奈ちゃんにホールやってほしいな~、小春ちゃんにわたしの演奏聴いてほしいなって」
「了解です。キッチンは今余裕あるんでいけます」
「やった~、よろしくね」
「乃々葉さんー? ということなんでお許しください」
「いいよ」
なんともスピーディなサボり交渉だった。決着が早い。
という話を小春にもして、お客さんからは見えない位置で紬さんの演奏を楽しんでもらうことになった。私はホールを見つつドリンクの準備にいそしむ。
そしてドリンクを二つ運ぼうとホールに出たところでちょうど紬さんの演奏が始まる。そして彼女が弾く楽器は―
「す、すごいです……紬さんって、バイオリン弾くんですね」
「うん。腕もいいよ、ゆっくり聴いていって」
小春にそう言い残して少し忍び足でホールに踏み出る。
優雅な音色で響くのはパッヘルベルのカノン。結婚式の人気曲だ。この和風レトロモダンというロマン詰め込み空間にまた別の色を追加する中々挑戦的な選曲だが、ちょうど今日の演奏スペースに用意されたアンティークな蓄音機の存在もあり、違和感というほどのものは生まれていない。
先程までの柔和な雰囲気とは違って凛々しい表情で弦を弾く紬さんの姿はちょっとした二面性すら感じさせるが、そこから繰り出される見事な演奏は柔らかさも兼ね備えている彼女らしい色をしていた。
三歳からバイオリンを習い、ジュニア向けのバイオリンコンクールでも入賞経験があるほどの腕前の持ち主― 流石だ。趣味で軽く弾いているだけの私とは演奏のレベルが違う。
いいなあ、こういう演奏を聴いていると生で色々と味わいたくなってくる。
オーケストラでも観にいこうかな。でもお金は節約したいし別にいいか。
……さっさと現実に戻り、キッチンにも戻り、その間も演奏は続く。
ジブリ楽曲からもののけ姫、そして奇遇にも先週私が演奏した荒城の月と多様な選曲でお客さんを楽しませた紬さんは、拍手に送られながら今日最初の演奏を終えたのだった。
そして戻って来た紬さんの元に最初に駆け寄ったのは小春で―
「紬さん、すごく素敵でした。かっこよかったです」
「えへへ~、ありがとう。照れちゃうな~」
「このお店でずっとバイオリンを弾いているんですか?」
「うん、初バイトの時からずっとだよ~。思い出話とか、歓迎会でしちゃおうかな~」
「はい。聞きたいです」
「うんうん。じゃあお仕事の続きがんばろ~」
小春もいたく感激したらしい。納得である。私も最初聴いた時は唖然とした。
なんでこんなにバイオリン弾ける人がアルバイトをしているのかと不思議に思った。バイトする前に練習とかコンクールに出ればいいのではと疑問にすら思った。(今はその辺は思ってないので安心してほしい。)
しかし、なぜかその会話を見てもやっとする自分がいた。
小春が目をキラキラさせて楽しそうにしているのでとても素敵なことだとは思うのだが、なんかこう、もやもやする。理由はわからない。
コミュニケーション弱者の私よりも紬さんのほうが圧倒的に仲良くなるスピードが速いことはわかっている。そういう魅力のある、そういう力のある人だ。
でも、それだけでは説明のつかない不思議な気持ちがある。
二人が楽しそうに喋っていることに対して、良いことだなと思う自分と、良いことなんだけどもやもやする自分が共存している。わからない。謎すぎる。
ただ、考えていては仕事にならないのでとりあえず忘れて調理補助を再開する。
その後パッとひらめくように気付いたのは、そのキラキラしている表情を、なんというか、こう、言いづらいのだけど、どっちかっていうと、私の方を向いて見せてくれないかなあという妙な感情だった。
なお、この感情は仕事中に少しずつ薄れていき、閉店のタイミングではもうすっかり忘れてしまっていた。




