十三
ゴールデンウィークが一応終了した後の土曜日 ―といっても休みを数日入れれば連休を続けられるので、まだ黄金週間が続いているとも言えそうな土曜日だが―、私は自宅最寄りの元住吉駅で電車を待っていた。
横浜方面の待機列はそこそこ人がいて、渋谷方面に比べると敵わない気もするけど、一応は東急電鉄の大型路線であるという威厳を放っている。
そこでスマホを取り出して確認する。
小春が乗ってくる電車は三分後にこの駅へ到着する。そして乗っている車両は五両目の中ほどとのことなので、それに合うように乗車口を選んで電車を待つ。
バイト前に思い立って提案した小春とのお出かけは二つ返事で承諾をもらい、その翌日のシフトで休憩中に行き先を相談し、ならもう同じ電車に乗って行けばいいという話になって、今こうして予定通りでホームに立っているわけだ。
こういうお出かけを多分デートって呼ぶんだろうけど、デートの服装というものはさっぱりわからない。そもそも私は外で着るための服というものをあまり持っていない。
Tシャツが夏冬各数枚とジーンズが数本、あとはパーカーとダウンがあれば全季節に対応できる。むしろ私の人生で制服以外を着て外出することなんて、お役所と病院とバイトと近所のスーパーに行く時くらいだ。後は家にいるし。
ということでバイトに行く時となんら変わらない格好 ―要するに寒色でまとめた落ち着いたデザインのパーカーに濃いブラウンのジーンズ、スニーカーという布陣― で出てきた。二千花に言わせれば「頑張ってボーイッシュな格好に挑戦している初心な女の子」スタイルらしい。言葉はよく選んでほしい。
さて、そうやって脳内応酬をしているうちに目的の電車が来て、すーっと扉が開くその寸前にガラスの向こう側で立っている小春を見つけて―
「琴奈、おはよう」
「うん、おはよう。見事に目の前だったね」
「心が琴奈と通じ合ってるのかもね」
「いや、中ほどっていう連絡の内容からして二番扉か三番扉の二択だったでしょ」
「えへへ」
小春が軽口を叩く頻度が増した気がする。
いや、良いことなんだけどね? 私がツッコミ担当の枠に押し込まれているような。
ひとつため息をつきつつ、改めて小春を視界に入れると今日はやけに気合の入ったお洒落をしているようだった。「ようだった」というのは、私にお洒落の判別基準が存在しないので、どれくらい気合の入ったものかが正直わからないから。
ひとまず言語化できる範囲で表現すると、ふんわりした感じのラベンダー色のブラウスにベージュっぽい色の…………なにこれ、ジーンズよりも横幅があるやつ。名前わかんない。誰か教えて。
「ワイドパンツっていう種類のボトムスだね」
「へー。……ってなんで私の考えてることわかったの!?」
「それは、まあ、服装をチェックされてる感じはしたし」
「す、すいませんでした。ファッション知識ゼロですいませんでした……」
「それもまた琴奈っぽいし、許そうかな」
「許された……!」
デート開始直後にしてはいけない会話をしてしまった。
やっぱり私にデートは向いていない。反省。
そしてデートに向いていないという事実はその後も私の心にのしかかってきた。
電車で立っている時に何を喋ればいいかわからず、話題振りを完全に小春に任せてしまった。なんで人ってそんなすぐに喋ることを思いつくの? わからない。人間がわからない。違う世界の住民なのかもしれない。
無理。デートって高難易度競技だよね?
二次関数の方が遥かに簡単だって。デートより勉強の方がハードル低いよ。
自分から誘ったくせにこの体たらく。
申し訳ないと思いつつ、電車が新高島駅に着いたところで降りる。東横線から直通するみなとみらい線で横浜駅を通過し、人通りの多い場所を避ける作戦だ。
今日、私が選んだデート先はこの駅の近くにある。
駅から出てすぐ、なにやら不思議な球体の建物が鎮座する施設だ。
「琴奈、ここが今日の目的地?」
「うん。私がたまに行くプラネタリウム」
「プラネタリアYOKOHAMA……へー、こんなところがあるんだ」
「中は結構綺麗だよ。ショップとかも見てみよっか」
「うん」
プラネタリウムと言われると、子供向けの理科っぽい解説とかそういう勉強に関するプログラムっていう印象を持たれがちだけど、ここは私企業がエンタメとして運営している施設。綺麗な星空で癒されつつ、プラネタリウムっていう空間も楽しめるような作品を上映している。
東京にも何館か系列のプラネタリウムがあるんだけど、私はちょっと東京が肌に合わないというか、都心の方まで行くとそわそわして落ち着かないから、もし行くなら横浜側がいいという理由でここを選んでいる。
綺麗なエントランス、女性客の多いショップの様子、SNS映えしそうな来館フォトスポットを次々に視界に入れながら感嘆した様子の小春。
そこから不意に一言。
「意外だなって思ったんだよ」
「なにが?」
「琴奈からプラネタリウムっていう提案が出てきたことが」
「そうかな」
「琴奈は趣味を訊かれても答えられない子だから、まさかこういう娯楽施設に行っているとは思わなかった」
「私を仙人かなにかだと勘違いしてる?」
「してる」
「してるんかい」
やだな。関西弁が自然に出てきちゃった。
もうツッコミ担当としての進路は変えられないのかな……進路調査票に書かせてほしい。ボケでもツッコミでもない人生がいいですって。
「まあ、時々は息抜きしたいこともあるから」
「そうだよね。琴奈、毎日頑張ってるってわたしでもわかるし」
「頑張ってはいる……と思うよ。そのせいかは知らないけど、なぜかなんにも気力が起きない日があったりして、そういう時に気分転換で来てる」
「ここなら一人でも落ち着いて楽しめそうだね」
「そう。誰かと一緒じゃなくても楽しめる。静かに鑑賞するだけだから」
一人で楽しめそう、という返事を投げてくる時点で、小春には私の単独人生趣味はすっかり理解されてしまったんだなという感じがする。ぼっちと認識されることへの少々の羞恥といくばくかの劣等感を催す。
でも、せっかくのデートだし楽しまない手はない。
受付でさっさとチケットを購入し、開場してすぐにドーム内へ入ってしまう。
小春と喋るならドームの映像を見ながらがいいかなと思って。
「わぁ、もう映像出てるんだ」
「うん。今はちょうど春の星座とかの映像を出してるみたい」
「いいね、非日常って感じ」
「でしょ。だから気分転換にうってつけ」
ドーム内の天井部 ―つまり映像を投射する半球にはスピカをはじめとする春の星座を描いた映像が流れている。このウェルカムドームの映像が季節によって違うのも好きなところだ。毎回楽しみなんだよね。小春も気に入ってくれたみたい。
上を眺めつつ足元も気を付けて席まで移動。
リクライニングできる座席に落ち着けば、ふーっと全身の力が抜ける。
「ふふっ、琴奈がまた気の抜けた顔をしてる」
「そう?」
「そうだよ。実年齢より三歳くらい老けて見える」
「若く見えるんじゃないんだね」
「大人っぽいってことだよ」
「お口が達者ですこと」
「それはもう。琴奈より人生経験があるからね」
「は、反論できない……」
うっ、人付き合いを避けて来た人生のツケとして小春に見下されている……
いや、見下しているわけじゃないけどね。人間としてのパワーが負けてる感じ。
にしても気が抜けてるのか。
確かにこの空間自体に癒されているからあながち間違いではない。
対する小春は席に着いても澄ました表情のままで、なにやら嬉しそうにドームを見渡していた。そんなに喜んでくれたのかな。
「小春は上機嫌だね」
「うん。だって琴奈が好きなものを体感してるんだよ。嬉しくなるよね」
「そうなの?」
「そうだよ? 無趣味人間で有名な琴奈の数少ない『好き』に触れてるからね」
「なんかディスられた気がするけど……まあいいか」
無趣味は大体合ってるけど……そうか、私の好きなものを味わえると嬉しいのか。どういう理屈なんだろう?
小春理論でいうところの「マイナスの波長が合う人」の「プラスの波長が自分にも合ってた」みたいな感覚なのだろうか。だとしたら確かに嬉しいかも。
私がそれを体感したことがないからわからないけど、例えばこの前の視聴会で観たアニメをもし私が気に入っていたら、「小春と趣味が合うなあ」みたいに喜んでいたのかな。正直そこまで関心は持てなかったからわからずじまいだったけど。
うん、やっぱりわからない。
じゃあ本人に訊いてみよう。
と思って首をくいって横に向けたら小春もこっちを見てて、なんだか気恥ずかしくなった。なんなんだろうこの状況。
「小春はさ、仮にこの場所が趣味に合わなかった時……そういう時は、私が好きな場所だったとしてもつまんないって思うのかな」
「うーん、やってみないとわからないけど、つまらない気持ちは多少あるだろうね」
「ふむふむ」
「ただ、それとは別に『琴奈が好きなものを知れてよかったなあ』とは思いそう」
「へー、興味なくても前向きな気持ちが生まれるんだね」
「面白いやつまらないとは別軸だよね。自分が満足するかどうかじゃなくて、相手のことを知れたことへの満足というか……解像度が上がるっていうか」
「うーん……難しいなあ……」
難しい。私が小春のことを色々知ったら満足するのだろうか。
でも、この前お泊まりした時は小春の部屋を見れてよかったって思ったし、満足している感覚が薄いだけ……かも?
「琴奈も人間関係を考えるようになってきたんだね」
なんだかにこやかに微笑んでいる小春がそう言ってきた。
人間関係を考えてなかったら私は今頃死んでるよ、という反論はぐっと堪えた。
でも、相手のことを理解したいという気持ちは……正直あまりなかった。
理解することよりも、もっと大事なことがあって、それを考えていたような。
それがなんだったのかは忘れた。
「琴奈、もうすぐ上映始まるよ? スマホの電源消した?」
「あっ、やば。早く消さなきゃ」
「ふふっ、初めて来るわたしにリードされてる琴奈は可愛いね」
「可愛い責めってそんなに楽しいのかな」
「うん」
「さようですか……」
はあ……そこまで言われると流石に照れよりも呆れる気持ちが勝るんだけどな。
だけど、小春に褒め殺しされて悪い気はしない。嫌とも感じない。軽く流してそれで終わりくらいの気持ちになる。これは大事かも。揶揄われてるって理解してるんだけど、それが心地よいと思う。すごいことだ。
さて、自己理解を深めている間に上映は始まってしまう。
今回選んだのは世界の色々な場所の星空を体感できるプログラム。
星空投影の間で各地の景色や夜空の映像が流れるので、旅行気分を楽しみつつ星空をぼけーっと眺めてリラックスもできる。控えめに形容して最高だ。
風景映像って、うまく言えないけどすごくロマンがある。
もちろん人間は映り込むんだけど、風景という「人の文明の中に存在しているけど、人の手を離れた時にものすごく輝きを放つ」存在が好きだ。
どんなすごい建物も人が建てたけど、それが完成していざ街の中に存在しますってなった後で、世界に溶け込みながら、まるで建物自体が生き物かのように魅力を放つ、あの感じ。自然や植物ともまた違う魅力。
それを摂取してからの星空、これがすごくいい。
特に好きなのは星と星の間を繋いで星座にするっていう描写で、これもまた風景とは別のロマンがあっていいなって思う。
ここのプラネタリウムで以前別のプログラムを見た時、冬の夜空に浮かぶオリオン座を細く繊細な線がなぞっていく様子と、その最後に完成した星座と狩人の絵が浮かび上がった時に得も言われぬロマンを感じた。
ロマンという単語を使いすぎて自分でもわからなくなってきたが、この気持ちを形容できる言葉があるのなら他に教えてほしい。心がときめくというのも少し違うし、カタルシスってわけでもない。ロマンとしか言い表せない。
そして今回も星座の完成を楽しみつつ、様々な国の景色を追っていく。
南国だったら綺麗な海の映像も出てくるから、もう圧倒されるというか、透き通った水の広がる世界の美しさに見とれちゃう。水っていいよね。水の美しさ。
星空って言われると、なんだかこう……世俗のおもちゃにされてる感じがするというか、SNSやマスメディアで綺麗~って持て囃されてキャッキャされる対象みたいになってる気がするんだけど、こういう場所で見ていると、持て囃す対象というよりはじっくりその世界に浸って、自分の手には届かない遥か空の上の風景を純粋な芸術として楽しめるというか。美術館に来ているのと似たような気分になる。
星空を道具にするんじゃなくて、ただただ自分の中の「美しいものに触れたいなあ」っていう気持ちと共鳴させるっていうか。
だから私はここのプラネタリウムが好き。
お客さんは当然誰一人として喋らず、自分の中にある感性をもって眼前の星空と向き合っている。誰と関わることもなく。自分だけで楽しんで。
……好きだなあ、こういう環境。
だからここに来たくなる。四か月に一回くらい?
星空をぼんやり見上げている間はもう何も考えられない。
そこにある綺麗な世界に意識が飛んで、良い意味で頭に靄がかかる。
で、風景映像に戻ると、「あっ、今意識飛んでたな」って気付く。
この繰り返しが案外心地良い。
だからエンドロールが流れると寂しい。
もう終わっちゃうのか、もっと浸っていたかったなって思っちゃう。
でも、浸り過ぎると現実に戻れない気がするから、これでいいのかなって。
……照明が戻ってくる。
場内に人の喋り声が響き始めて、そこで私もぐっと背を伸ばして全身をほぐす。
今日も良いプログラムだったなあ。
…………
あれ、何か大事なことを忘れているような気が。
…………
なんか隣の席でごそごそって動いてる気がするな。
…………
…………
ああぁっ!? 今日は小春と一緒に来たんだった!!
まずいまずい完全に小春の存在忘れてた!!
やばすぎるよ怒られるよと思いつつロボットみたいなギギギって動きで首を横に向けて、そうしたら小春も横目でこっちを見てて。
「あ、琴奈気付いた。お疲れさま」
「…………あの、す、すいませんでした」
「えっ、なにが?」
「小春のこと、隣にいるって忘れてて……」
「……?」
…………あれ、怒ってない。
完全に説教されると思って構えてたんだけど。
「ん? 琴奈が楽しめたのならそれでいいと思うよ? わたしも見入ってたし」
「そ、そう、なの?」
「うん。元々プラネタリウムに来る時点で上映中は会話しないってわかってたし。それに琴奈が好きな場所なんでしょ? じゃあそれを楽しむのが優先だよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして……?」
ええと、いいのかな?
なんか違う気がする。私が言いたいのはそうじゃなくて―
「いや、そのさ、上映終わったのに私がぼーっとしてたから」
「……? それが、どうかした?」
「こういうのは、すぐに話しかけて感想を尋ねたりしないといけないのかなって」
「そうなの? わたしは別に……余韻に浸って満足してからでいいと思うけど」
「本当? 私に気を遣ってない?」
「うん」
……そう、なのか。
私のこの不安は杞憂だった、って思っていいのかな。
小春の表情はいつも通りの柔らかい感じだし、怒りを隠してる感じでもないし。
気のせいなら、いいかな。
周りを見てみればほとんどのお客さんがドームを出て行ってるけど、まだ座席でゆっくり出る準備をしている人もいた。その様子を見つつ、とりあえず私たちも一度ここを出て歩きながら感想でも喋ろうということにした。
肩掛けのバッグひとつを持ってドームの出口へ向かう。
ロビーの喧騒が意識を滑らかな曲線で現実に戻す。
「わたし、こういうプラネタリウムって初めて来たんだけど楽しかった」
「そう? よかった」
「旅行ドキュメンタリーと星空を両方一気に楽しめるし、ドーム内の静かな空気や暗い中で大きい画面で……画面? 画面でいいのかな? ともかく大迫力っていうか。そういう環境で観れるのいいよね」
「そう! そうなの! この場所で観るのがいいんだよ!」
「……おぉ、琴奈が珍しく語尾を上げている」
あれ、力説しすぎた?
でも好きなポイントが同じだと嬉しいよね。
それに、小春になら揶揄われても嫌じゃないし。
「こういうさ、自分と作品の一対一で向き合う空間がいいんだよ。誰かの言葉が入ってこない、自分の心と頭だけで作品に向き合ってさ、ものを考えたり感じたり」
「うん。そういうのって普段できないからすごく大事だと思う」
「小春も思う? そっか、じゃあやっぱり私たち趣味が似てるのかな」
「似てるんだよ。だからこうして1か月足らずでデートしてるんだよ」
「なるほど」
うん、私が数日前に考えていたことは正しかったのかもしれない。
私たちは似ている。プラスの波長のうち一種が合っていることは今確認できた。それも今までの暮らしで人と一致したことのない波長が合ったのだ。これは快挙だ。
マイナスの波長が合うかどうかは……今から確かめればいい。
時刻はちょうどお昼前。今レストランに入れば混雑のピーク前のはず。
「小春はお昼何食べたい?」
「刺激物でなければなんでも」
「じゃあ店の雰囲気はどういうところがいい?」
「少し高くても落ち着いたところ」
「じゃあ近くに好きなフレンチレストランがあるからそこにしよう」
「いいね、そうしよう」
はぁ、やっぱり気が合うなあ……
安さより落ち着いた環境を優先するところとかね。まさに。
隣を歩く小春はにこやかな表情で、こんな風に穏やかな空気で一緒に過ごせる人がいるってすごいなあと思う。今までの自分にはなかったことだ。
これまでの記憶を引っ張り出して思い返す。
幼い頃の自分、物心がついた時からどこか世界が怖くて俯いていた自分。
小学生の頃の自分、放課後も家事のことを考えてばかりだった自分。
中学生の頃の自分、友達の顔色を窺って言葉を選んでいた自分。
でも、今はどれとも違う。
小春が相手なら、小春と二人だったら自分の思うように動いてもいいって思う。
すごい。これがきっと「似ている」ってことだ。
似ているから、ちょっとやそっとでは反発し合わない。
これならレストランで食事するっていう「一人が一番」と思っていた行為も、二人でだって平気かもしれない。小春はすごいなあ。すごい。こんなにすごい。
さて、プラネタリウムでは小春にリードされちゃったし、レストランでは私がリードしないとね。上手くできるかな。




