十二
「ことっち! 待ってたよ!」
「琴奈ちゃん、やっと来たね~」
日曜日の朝― つまり四日ぶりのシフトに入るべくお店に向かい、着替えと準備を終えてホールに出た瞬間。
「へ……? なんでもう出勤してるんです?」
八時半時点では普段来ていないはずの二千花と紬さんに迎えられた。
いや、迎えられたというか、待ち伏せされていた。
二人ともすごく前のめりでニコニコしてるんだけど。
いや、ニコニコというか、ニマニマしている。嫌な予感がする。
ほら、二千花がめちゃくちゃ楽しそうに口を開いて――
「ことっち! ずばり訊くんだけど!」
「小春ちゃんと一緒のベッドで寝た~?」
「はい」
「へー、そうなんだね!」
「そっか~」
…………
「って、え、今ことっち『はい』って言った?」
「言った」
「琴奈ちゃん、今肯定した~?」
「しました」
…………
あ、固まった。
いや、嘘をつくのは良くないと思ったから首肯したんだけど。
したんだけど、この二人の硬直具合はたぶん、そういうことで――
「え、本当に一緒に寝たの……?」
「二人とも、だ、大胆だよ~……」
「とは言っても普通に並んで寝ただけですよ」
「それだけでも十分重大だよ~……」
あの紬さんがびっくりしてる。語尾がトーンダウンしていくのが珍しい。
その回答を聞きたくて朝から待ち伏せしてたんじゃないの?と少し思った。
期待通りの回答をしたはずなんだけどな。
でも、二人が驚くのもわかる。
冷静に考えると私と小春はまだ半月程度しか経っていないのだ。
そんな二人があっという間に添い寝まで至ったのは……ちょっと、怖いというか。
私だって少しくらいの知識は持ってる。
一緒の布団で寝るのは恋人同士でやることであって、そこから大人の行為に発展することもあると。それくらいは知ってる。
でも小春の言動を受けていると、そういう意味ではなくて私を迎え入れてくれている気がする。一昨日見たアニメの中でも仲良しの三人が一つの布団で楽しそうにお喋りしながら一緒に寝るシーンを見た。たぶん小春の意図もそれと近い。
そう思うと本当に不思議だなって。
私の人生で半月ほどで仲良くなってお家にお邪魔して、ましてやお泊まりするなんて一度もなかった。そもそもお泊まりなんてしたことない。
小春とこれまで過ごした時間の中で、私はどんな風に小春の心の中へと入り込んだんだろう。麻子さんが言ってた「心の一線を越えた」経緯が知りたい。
……先輩二人にヒントを出してもらおうかなあ。
「二千花、紬さん、ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんですけど」
「すごい話を聞かされた後でちゃんと答えられるか不安だけど、いいよ」
「わたしも動揺しちゃってるけど~……」
「大丈夫です。それでもいいです」
四人掛けのテーブル席に腰を下ろして、時計を確認してから話し始める。
向かいに座った人生の先輩二人は真面目だけど神妙な面持ちをしていた。
さて、私が知りたいことは――
「小春がどうして私にこんなに好意を寄せてくれているのかがわからなくて」
これだ。これが一番知りたい。
自分じゃわからない。
「まだ出会ってから半月くらいで、会った回数だって一桁だし、そんなに私に興味を持ってくれてる理由がわからなくて。仕事の先輩として真面目に接してるつもりではあるけど、それ以外に私の人間性とかでプラスのものって見せてないし」
思えば会ってから二日目でもう名前呼びをしたいと頼まれて、三日目で丁寧語がなくなった。自分にしては早い。それも不思議だと思う。
「小春は私のどこがいいと思ってくれてるのか、二人から見てどうなのかなって」
……こんなこと聞いてよかったのかな。
人生相談ってこんな開店前の時間とかにしちゃダメなのでは。
でも無下にはされなかった。
二千花はしばらく考え込んで、紬さんは腕を組んでむむむーと唸って。
先に口を開いたのは交友関係が広そうな二千花だった。
「あたしはエスパーじゃないからさ、こはるんがどういう気持ちなのかはわかんないし、端から見てるだけじゃ想像するにも限度があるけど……」
「……うん」
「逆にさ、わからないならことっちが自分について考えてみればいいよ。ことっちがこはるんに親しみを抱いている理由は? そうしたら同じことをこはるんも思ってるかもしれない」
「そうなの?」
「ヒントとしてね。二人はこの早さですごく仲良くなって、お泊まりもして、一緒に寝てもいいと思えるくらい近付いてる。そこまで行くってことは、一般的な友達同士の関係を飛び越えた……そう、初めから特別良い相性みたいなものがあったと思うんだよ。少し関わっただけでこの人と仲良くなりたいって思うなにかが」
「相性、みたいなもの……」
「ことっちは交友関係が狭いって自覚してる。こはるんもそこまで親しい相手はいないんでしょ? 友達を家に呼んだことがないくらいには。つまり、誰かと親しくなることに馴染みの薄い二人が『この子は今までと違う! 仲良くなりたい!』って本能的に思うところがあったんだと思うよ」
そうか、言われてみればそうかもしれない。
自分の人生を振り返って、友達になりたいと思った相手なんてそもそもいないのに、私は二日目の時点で会えなくて寂しいと思っていた。理性より先に感情が来てる。
それくらい小春に対して本能的にプラスのものを感じているのなら、小春も私に同じことを考えていても不思議じゃない。可能性として、だけど。
「それじゃあ、琴奈ちゃんは小春ちゃんのどういうところが他の子と違うと思う~?」
「少なくともつむつむやあたしとは違うものを感じてるはずだよ」
「うーん……会うと元気が出る」
「元気が出るのはどうしてかな~?」
「……優しくしてくれるから? あと明るいし」
「あたしも明るい方だよ。優しいかは別だけど」
「わたしも明るいよ~、優しくはないけど~」
「つむつむは人生相談中にボケないでくれる?」
そっか、それじゃあ違う。
じゃあ、もっと違う何かがあるのか。
「見守りたくなる、庇護欲を感じる」
「確かにつむつむにもあたしにもない特徴だね」
「でも学校にもそういう子はいると思うよ~」
「真面目、一生懸命、私にも丁寧に接してくれる」
「それこそクラスに一人二人いそうなものだけどね」
「可愛い」
「わかる。わかるけど可愛い子は世にたくさんいる」
「わたしとかね~」
「つむつむは仕事に戻ってくれるかな?」
「ごめんだよ~」
まだ違う。なぜ私は2日目であんなことを思った。
すぐにでもまた会いたいと思った。
……
でも、そういえば。
私が最初に小春に惹かれたのは、たぶん、あの時の――
「あのさ、私、一個だけすごく覚えてることがあって」
「うん」
「初めて会った日に、一瞬だけすごく綺麗な笑顔を見せてくれたことがあって」
「うんうん~」
「私が横から勝手に見ただけなんだけど、綺麗で可愛いのに、なにか切ないというか、不思議な感じがする笑顔だった」
鏡を覗いていた小春が見せた一瞬の笑顔。
私はそれに惹かれた。その先も笑っている顔はたくさん見せてくれて、どれも同じように見えたけど、よく考えるとあの一瞬だけは違った気がする。
その笑顔に、ただの好意ではない、なにかこの人を知りたいと思わせるものが、あったように思う。
「その時に、よくわからないけど小春のことが知りたくなった」
「そうなんだね」
「話しているうちに少しずつ知っていって、そうしたら興味がもっと出て」
「いい調子だよ~」
「小春も私に興味を持ってくれて、なぜか小春にだけは自分のことをもっと知られてもいいって思って。そうしてたら距離が近付いて、スキンシップもするようになって、小春と一緒にいることがすごく嬉しくなって」
……私がこう思うのだとしたら。もしかしたら小春も。
「小春も、そういうことを思ってるのかな」
「それは本人じゃないとわからないね。でもあたしから見るとことっちとこはるんは相思相愛だし、お互いのことを急速に理解し合っている感じはするよ」
「小春ちゃんも琴奈ちゃんと似てるところがあるんじゃないかと思うよ~」
「似てるところ?」
「それは自分で考えてね~」
…………
似ているところ。小春と私の共通するところ。
…………
人見知り、は私だけか。
社交性があるのが小春。ないのが私。
でも、小春は一定のラインの内側まで人を踏み込ませない。
これは麻子さんが言っていたから間違いない。
もし似ているとすれば、人と関わるのが苦手な自分の性格か。
…………
『琴奈と、マイナスの波長が合うんだと思うよ』
小春の言葉が浮かんでくる。
深入りしない。お互いが嫌と思うことをしない。そういう波長の合い方。
『琴奈もその人に対して深入りしない。深く関わろうとしてない。だから、そういう関係が続いてる。お互いが心地良いと思う関係が』
そう、深入りしないんだ。
私が交友関係を狭めたように、小春が内側まで人を踏み込ませないように。
深入りするとどこかで傷つくから。
深くなればなるほどどこかで波長が合わなくなるから。
だから、その手前の、波長が合わなくなる前で留まってる。
――じゃあ、もしマイナスの波長が完璧に合う人同士がいたら?
それなら、深入りしても、どこまで深く潜っても大丈夫な気がする。
もしそう思える人がいたら、きっと仲良くなりたいと思う。
だって、これまでそんな人に出会えたことなんてなかった。
本当はもっと近付きたかったのに、傷つくから諦めてきた。
近付くほど自分の心が重くなっていって、辛い思いをしてきた。
でも、そうじゃない人がいたら。
マイナスの波長が合う人だって心が理解した瞬間に、たぶん、近付きたくなる。
…………
私にとって小春は、きっと、そういう人なんだろうな。
…………
「……二千花、私、なんかわかったかも」
「やったね」
「紬さんもありがとうございます」
「よかったよ~、自分で気付けたんだね~」
なんだか、すっきりした。
そういうことなんだって。小春が私に寄せてくれている好意の理由も、すぐに距離が近付いた理由も、一緒に寝ても嫌じゃなかった理由も、そういうことだと思う。
もちろんそれ以外の理由もある。
私が小春に興味を持ったのはあの笑顔のせいで、また会いたいって思ったのは私に向けてくれる可愛らしい笑顔のせいでもあって、名前で呼びたいと言ってくれた時の緊張している様子とそれが叶った時の嬉しそうな様子のせいでもある。それらがなければ私が小春に惹かれていたかはわからない。
じゃあ、後は小春の気持ちを教えてもらうだけ。
そうと決まったらすぐ場所を用意しなきゃ。
あ、スマホは控え室に置いてきたから……戻らないとね。
小春、連絡したらすぐ読んでくれるかな。
…………
「ことっち、ほんとに人生経験少ないんだね」
「そうかも。でもちゃんと自分で気付けてえらいよ~」
「つむつむも大体わかってるんでしょ? あの二人の考えてること」
「なんのことかな~?」
「まーたとぼけちゃって。似てるところがあるって言ったのはつむつむじゃん」
「ほんとだね~」
「ま、これで二人がお互いのことを支えにできればいいよね」
「でも道のりはまだ長いよ~?」
「それを見守るのがあたしたちの役目、ってところかな」
―――
「それで小春、最近何かいいことでもあったのかしら」
「そうだな。気になる」
「……そう見えますか?」
「見えるわよ。これでも一応親だもの」
「見えるな」
静かに食後の紅茶を嗜んでいたわたしにふと降り掛かってきたのは両親からの珍しい問いかけだった。二人して興味がありげな顔をしている。
二人とも海外出張だったり泊りがけで全国の支社を巡って監査に行ったりと忙しくしていて、運よく二人とも自宅に戻ってくることができたのがこの週末。ゴールデンウィークもなんのそので企業役員という職務を全うしている中、二人が揃って家にいるというのは1年に4,5回ほどのことだ。
だから自分がすべきことは一緒の時間を共有して、学校と勉強の話をして、二人の話を聞いて、家族としての営みを少しでも長く続けることだった。
だったのだけど、まさかわたしの表情の違いまで見抜かれてこの話をすることになるとは。やっぱり離れる時間が長くても親は親ということなのかもしれない。
「アルバイトを始めるという話はしたと思うのですが」
「うん」
「そのお店で、とても気の合う子に出会ったんです」
「ほう」
母も父もなんだか嬉しそうな顔で話を聞いてくれています。
確かにわたしに親しい友達がいないことは周知の事実なので、その分喜んでもらえているのでしょう。
「同い年の真面目で可愛らしい子です。わたしと似ていて親しい友達がいない子で……そういうところが気が合うんですかね。すぐ仲良くなりました」
「小春が仲良くなりたいとすぐに思えたのね」
「はい。ちなみに母さんにも父さんにもまだ言っていませんでしたが、一度うちに泊まりに来てくれました。もちろん麻子さんの厳しいチェックを通過した上で、ですけど」
後ろのキッチンで麻子さんがふふっと笑っている。
厳しいチェック……だったよね?
母さんは一瞬びっくりしたみたいだけどすぐに優しい顔に戻って、父さんはぽかーんと口を開けたまま止まっちゃった。そうだよね、驚くよねって自分でも思う。
「彼女のことをもっと知りたいって思うんです。なんでですかね……一緒にいて居心地がいいからでしょうか。もっと話をして、一緒に過ごして、もっとわかりたいなって」
「そうなのね。今まで出会った人たちとはきっと違うのよね?」
「はい。この子になら自分のことを話してもいいって思えるんです」
「そう……それは素敵なことね」
言葉にすると自分でも再確認できる。
琴奈は……わたしが今まで踏み込ませなかった自分の内側までを許した最初の人で、琴奈もわたしのことをそれなりに内側まで招き入れてくれていると思う。
そして琴奈はたぶんわたしの内側のもっと深い部分にまで到達するんじゃないかって思う。わたしがこれまで見せてきた態度から、わたしがまだ言えていないことにもうっすらと気付いてしまうのも時間の問題だと思う。
わたしもまた、琴奈のまだ誰にも見せていない心の奥の気持ちに少しだけ近付いている。これまで知った琴奈のことやその生活からそういうものが窺える。
それらをお互いに見せ合うことができれば。
もっとわたしたちは近くなるし、もっと仲良くなりたいという願いも叶うはず。
「父さんは、どう思いますか? いきなり泊まりに来るなんてよくなかったでしょうか」
「…………いや、少し驚いただけだよ。小春が誰かと一緒に家で過ごすっていうのは、想像がつかなかったものだから」
「そうかもしれません。家に友達を招いたこともなかったわたしが急に……ですよね。でも、本当にいい子なんです。ただ純粋に好意を抱いてくれている子で」
「そうか……小春が信頼して大切にしたい人なら、父さんは歓迎する」
「ありがとうございます。大切にしたいなって思います」
……思わず喋ってしまった。
わたしが琴奈を友愛でも恋愛でも、そしてそれよりも深い意味でも好いていることは、なんとなく伝わっているような気がする。でも、それを止められないということは自分の自由にこの道を進んでもよいということだろう。
さて、じゃあ次はもっと仲が深まったら琴奈を両親に引き合わせないと。
そのためにももっと一緒に過ごしたいし、琴奈の話を聞きたい。でもその機会はすぐには来ないし……バイトの時間中はそんなにたくさんは喋れないし。
だから、その瞬間にスマホの特定の通知音が鳴ったのは運が良かった。
琴奈専用の通知音から一秒置かずにアプリを立ち上げたら、そこには琴奈からのメッセージが届いていて―
『夏谷 琴奈:朝からごめんなさい。突然なんですが、ゴールデンウィーク明けの土曜日に一緒に出掛けませんか。二人ともシフトがない日だったと思います。小春とゆっくり話をしてみたいです。どうでしょうか……?』
その文章にわたしは胸がどくんと高鳴るのを自分でもはっきりと感じた。
琴奈のデート。ふたりきりで、一緒にお出かけ。
そして琴奈が自分とゆっくり話をしたいと言ってくれている。
こんな嬉しい機会を、楽しみなデートを断るわけがない。
広い草原の中から見つけた四つ葉のクローバーを絶対に手放さずに大事に持って帰るのと同じように、琴奈から誘ってくれたデートをみすみす手放すなんてありえない。
『琴奈、誘ってくれて嬉しいです。もちろん行きます。どんな場所に行くかは明日シフトで一緒になった時に相談しましょう。わたしも琴奈と話をしたいです』
最後に三毛猫が大喜びしてバンザイをしているスタンプを送る。
そうしたらすぐに既読が付いた。思わずにやけちゃう。琴奈可愛い。すぐにチェックして返事を打ってくれる琴奈がいじらしい。健気。可愛い。好き。
…………あれ、これってもしかしてわたしも同じ?
そう気付いて顔を上げてみたら両親はにこやかな笑顔で見守ってくれていて――
「……父さん、母さん、今度その子とデートしてきます」
「うん、行ってらっしゃい」
「気をつけてな」
「はい」
…………ああ、早く琴奈を両親と引き合わせなきゃ。
きっと二人とも琴奈のことをすぐ好きになるはず。根拠はないけどそう思う。
そうと決まったらうかうかしていられない。
琴奈と出かけるための準備をしないと。
学校以外で外出するなんてそれこそバイトだけだから、どんな服装と荷物で行けばいいのか考えないといけない。でも麻子さんに訊くのは恥ずかしいし、AIに頼ってみようかな。好きな友達と二人で出かける時はどんな風にすればいいか。鞄ってどんなのがあったっけ。ウォークインクロゼットの中を ―ちょっと物が多くなってしまったそこを― がさがさと漁る。服も決めないといけないけど、服もそんなに持ってない。
あと出かけるなら電車だよね?
わたしの交通系ICカード、ちゃんとチャージしてあったっけ。学校への定期券の範囲内だったらいいけど、きっとそっちの方面には行かないだろうし、学校帰りに駅でチャージしておかなきゃ。バスだとしてもICで大丈夫。
あとは……琴奈に尋ねたいことをまとめておかないと。
嫌な気持ちにさせないように、マイナスの波長が合っていることを確認しながらゆっくり歩を進める。きっとそれでいい。無理に深くまで潜らなくてもいい。
計画は早めに練っておいて悪いことはない。
琴奈とデート、すごく楽しみだな。




