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19. 熱にうかされて見る夢

ドロドロ騒ぎはひとまず落ち着きます。上山サキが新しい自動車を購入します


見渡す限りの白色、雪やミルクよりもさらに白い白色の中を彼は漂っていた。自分もまた溶けてしまうのだと彼は思った。モエムに取り込まれて溶かされてしまうのだ。不思議なほど怖くはなく、むしろ理想的な終わり方に思えた。モエムの白色と溶け合ってドロドロ化して生を終えることは。彼は自分の右腕がすでに白く溶けつつあるのを知覚したが、特に気にもしなかった。彼はいろんな場所のことを思い出した。彼が人生で訪れた、今も記憶に残っている場所についての記憶は、そう多くはない。彼は通っていた小学校の校舎や、松山に行ったときに登ったあの山や、いくつものため池のことを思った。あの恐竜の足跡の形のため池のことも。どの場所も大部分が、あるいはすべてが、白い色に覆われていた。本来あるべき色が光るような白に塗りつぶされていた。知らない間に世界はこんな風になってしまったのだ、と彼は思った。何もかもモエムに取り込まれつつあるのだ。でもこの光景も悪くはない。むしろ前よりずっといいかもしれない。…遠くから声が聞こえている。それはさっきからずっと聞こえていたのだが彼は無視していた。外国語のように理解不能な音声だったから。そうだ、ドイツ語だこれは、と彼は思う。ドイツ人の政治家が高いところから群衆を見下ろして演説している。紙袋を叩くみたいに歯切れのいい声。大昔の戦争映画で見たような…その声は今や彼のすぐ耳元で響いていた。何かを切実に訴えかけている。やはりどうしても一語も聞き取れない。硬い物体が彼の口に差し込まれ、上下の歯をガチガチとこじ開けようとしていた。熱いものが舌に触れたとき、彼の意識は彼の肉体に戻ってきた。目を開けると上山サキがいた。彼女はすぐそばで彼の顔を覗き込んでいる。

「食べんと元気にならんよ」と彼女は言った。

彼は自宅のベッドに横になっていて、上山サキはベッドのそばの椅子に腰かけている。彼女は手に茶碗を持っていて、その中のおかゆをれんげで彼に食べさせようとしていたのだった。

「熱があるみたいよ。それにすごいうなされてた」

身体を起こそうとすると視界がひどく揺れて、彼はすぐにまた枕に頭をつけた。身体がひどく熱を持っているのがわかる。

「大人しくしてたほうがいいよ。おかゆを食べて、また寝なさい」

彼は壁の時計を見た。今日は月曜日だよね、と彼は言った。

「仕事のことなら、私が休みの連絡しといたから大丈夫。代理のものですって言って、ひどい高熱で重病だから休みますって言っといた。だから気にせんでいいよ」

彼はお礼を言った。そして上山サキから茶碗とれんげを受け取りおかゆを食べた。梅干しが乗っているだけのシンプルなおかゆだったが非常においしかった。

「さっき来たらあなたがいないからさ、寝坊なんて珍しいと思って待ってたんやけど、起きてこんから見に来たんよ。そしたらすごい汗かいてうわごとみたいなことも言ってたからびっくりしてさあ、私ずっと看病してたんだよ」

そうだったの、ありがとう、と彼は言った。彼は自分が突然病気になったことを不思議に思った。病気なんて長くしていないし、昨夜眠るときまでそんな兆候はまったくなかったのに。

「そういうこともあるよ。いろんなことがあって、身体と心のバランスが崩れたんやろうね」と上山サキが言う。

彼は自分の身体を見渡し、どこも溶けていないことを確かめた。あれは夢だったのだ、と彼は思ったがうまく信じられなかった。彼の右腕はありのままの形でそこに残っている。彼は不思議なものでも見るようにそれを長く見つめていた。

彼がおかゆを平らげると上山サキはまた夜に来るからと言って帰って行った。その日、彼は一日中眠っていた。そして次の日になると病気は治っていた。彼は普段通りに自転車で工場に行き、朝から夕方まで働いた。


⚪⚪⚪


最後のドロドロ事件が起きてからおよそ半年が経過している。モエムを池に返した後、彼が知る限り町では何事も起きていない。そうやって数か月が過ぎると人々は少しずつ警戒心を緩めていった。あるいは恐怖心を忘れていった。彼らは以前のように出歩き、子供たちも外で遊ぶようになった。

本当にあの災いが終わったのかどうかは誰も知り得なかったが、一見すると平和に戻ったように見える。町を離れて行った人々が戻ってくることはなかった。

彼は空中を漂うような気分で日々を過ごした。家にいるときは縁側や居間で過ごし、地下室に降りることはなくなった。水槽も処分してしまい、地下室は今やすっかり空っぽになっている。祈りを捧げるべき対象はもうない。

上山サキは放置していたドロドロの残骸を撤去し、新しい車を購入していた。以前のものとは似ても似つかない武骨なデザインの銀のワンボックスカー。まるで機材運搬車みたいに見える。

「いつまでも悲しんでいても仕方がないものね。保険会社の人が溶けたドロドロを確認しに来て、全損扱いになって、ちゃんと保険は降りたよ」

よかった、と彼は言った。彼女がその車に乗るところも、洗車する様子も、彼はまだ一度も目にしていない。

「今度これでドライヴに行こうよ」と上山サキは言った。

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