17.彼女からの「殺害予告」
上山サキが猟銃によってモエムを襲撃します
仕事から帰宅したとき彼は郵便受けの中に一通の封筒を見つけた。細長い茶封筒で、差出人も宛名もない。封は折り返されているだけで糊付けされていなかった。中には四つに折られた白い紙が入っていて、そこには赤い太い文字で紙の幅いっぱいにメッセージが書かれていた。
今夜12時にあ
なたのもえむを
殺しに行きます
不自然なタイミングでなされた改行が慄然とした印象を与えた。「今夜12時にあなたのもえむを殺しに行きます」、メッセージの意図は簡潔で明瞭である。モエムへの殺害予告。誰からのものであるかは考えるまでもない。モエムという名前を知るものはこの世に彼と上山サキしかいない。上山サキがモエムを殺すつもりでいる。
彼は封筒を手にして考え込んだ。これは上山サキによる冗談のようなものなのだろうか、でも過去に彼女がこの手のいたずらを弄したためしはない。それにメッセージの内容が物騒すぎる。最近上山サキは精神的にどこか不安定だったから、何をやったって不思議ではないが、でももし本気だとしたら、いったいどうやって彼女はモエムを殺すつもりなのか❓
彼はいろいろ考えを巡らせたが、考えたところで意味はないと悟った。12時になるのを待てばいいだけだ。そのとき何が起こるのかを見届けるしかない。
彼は食事と入浴を終えると地下室に降りた。そして水槽のモエムを眺めながら12時を待った。
インターフォンは12時ちょうどに鳴った。おそらく1秒のずれもなかったのではないかと思われる。壁のモニターディスプレイに上山サキの丸い顔が映っていたが、その表情はいつになく思いつめたものだった。彼は受話器越しに一応用件を尋ねたが応答はなかった。彼は一階にあがって玄関の戸を開けた。直接上山サキと対面したとき、彼は驚いて声を失った。上山サキは猟銃を抱えていたのだった。
銃を持った人間と対峙した経験などなかったから、彼は少なからず混乱し慌てた。いったいどこから猟銃など持ちだしたのだろう。あるいは本物ではなくおもちゃかプラモデルのようなものかもしれない、と彼は考えようとした、というよりそうであってほしいと願ったが、いかにも使い込まれたように色褪せた茶色い銃床と、生々しく黒光りする銃身は、おもちゃにはとても見えなかった。
上山サキは無言のまま玄関をくぐろうとしたので彼は反射的に避けて道を譲った。彼女は確信に満ちた足取りで地下室へ続く階段を降りて行く。彼はあとを追いかけながら呼びかけたり声をかけたりしたが、返事はなかった。
地下室に入ると上山サキは真っ直ぐに部屋の中央にある水槽に歩み寄った。
ちょっと待ってほしい、まずは説明してほしい、と彼は言った。
上山サキは冷ややかな目で彼を見て言った。「こいつを殺しにきたの。殺さんといけんのよ」
その口調は冷静で決然としていた。銃を手にしていながら彼女は落ち着き払っている。冗談めかした様子はない。
「車の復讐を果たしに来たの。こいつは殺さないといけない。これ以上生かしておいたらどうなるかわからない。それにこれはあなたのためでもあるんよ。あなたをモエムから解放するため」
そう言っていきなり上山サキが銃を持ち上げたので、彼はいきなり水槽に向けて彼女が発砲するのではないかと思い思わず後ずさったが、そうではなかった。上山サキは木製のスツールの上に乗り、銃を片手で支えながら、もう片方の手で水槽の上部の蓋を開いた。そしてガラスの表面を指で叩いてモエムを呼んだ。モエムを呼ぶその声はかつての愛情に満ちていた声とまったく同じだった。モエムは丸くなって砂の上でうずくまっていたが、名前を呼ばれるともぞもぞと震えだし、跳ねるように浮かび上がった。
上山サキは蓋の隙間に銃口を差し込んで構えている。彼はその行動を制止しようと歩み寄ったが、上山サキが鋭い声で「動かないで」と命じたのでその場に立ち止まった。銃を手にした人間の命令には従うしかない。
モエムは少しずつ蓋のほうへ向かって浮上してくる。彼は言葉をつくして説得を試みたが上山サキは耳を貸さなかった。彼女は目を見開いて浮かび上がってくるモエムを注視していた。深く集中していて何も耳に届いていないようだった。
モエムの白い表皮が水面から覗いた。上山サキはすかさずそこに銃口を密着させ、迷いなく引き金を引いた。破裂音がこだまして、彼はまるで自分が撃たれたみたいに一歩後ずさった。上山サキはたて続けにもう一度発砲した。轟音のために彼の耳と頭はじんじんと揺れた。地下室には火薬と硝煙の匂いが立ち込めた。
撃たれた反動でモエムは水の中を斜めにゆっくりと沈んでいた。形は崩れていないし、撃たれた痕跡も見当たらない。生き物は変形してウィスキーのボトルのような形になり、そのまましばらく水槽の中ほどに浮かんでいたが、やがて何事もなかったかのように泳ぎはじめた。
上山サキはスツールの上に立ったままその様子を眺めていた。モエムは泳ぎながらさらに変形したが、どんな形になっても弾の痕跡はどこにもなかった。モエムはまるで自分が完全に無傷であることを、彼と上山サキに教えているかのようだった。
上山サキはスツールを降り、猟銃を床に置いた。そして言った。「弾丸はどこへ行ったの」
至近距離から発射された2発の弾丸はモエムに確かに命中した。しかし生き物の身体にはいかなる傷跡もない。そして弾丸は消えている。砂の上にも落ちていない。弾はモエムに当たり、しかし貫通することもなくそのまま消えてしまったのだ。
彼は水槽に歩み寄り、中を覗き込んだ。モエムが近づいてきて、彼の眼前で奇妙な遊泳を行った。彼はその様子を見つめながら言った。
君にはモエムは殺せないんだよ、君にも僕にも、誰にも殺せないんだよ。
上山サキはため息をついた。
「私たちはこの生き物をどうしたらいいの❓」
彼は口を開きかけたが言葉は見つからず、ただ首を振った。2人はまたしばらく沈黙した。上山サキはスツールに腰かけ、放心したようにどこかを見ていた。そのこめかみに汗がにじんでいる。
少し目を離したすきにモエムが姿を消していた。しばらく探した後で、砂の上の貝殻の影に飴玉のように小さく縮まっている生き物の姿を彼は見つけた。モエムは眠っているようだった。
本当に死なせたいんだったら、モエムを水槽から出したらよかったんだ、この前みたいに、と彼は言った。
「そう、わかってる、そのことは私だって考えた。でもそういうことじゃないんよ。ただ死ねばいいっていうんじゃない。モエムが腐ったバナナみたいに真っ黒になって死んでいくところが見たかったわけじゃない。私はモエムに銃弾を撃ち込みたかったの」
彼は黙っていた。
「あなたは責任を取らんといけんと思う」と上山サキが言った。
何の責任を、と彼は言った。
「モエムを飼ったこと、そしてこの生き物に物を溶かすことを覚えさせてしまったこと。その責任」
最初に水槽に地球儀を投げ込んだのは君だよ、と彼は言った。
「そうよ。そのことは覚えてる。だから私も責任を感じてはいたんよ。でも面白がって、次々にいろんなものを投げ込んで溶かさせたのはあなたやろ。私たちには同じぐらい責任がある。こいつはこれからも同じことを繰り返すかもしれん。でも殺せんやった。復讐はできんやった。それなら別のやり方で処分するしかない」
どうやるの、と彼は言った。
「ちょっとは自分で考えりよ、あなたの問題なんやから」
考えるまでもなくすでに答えは彼の頭の中にあった。よほど以前からあった気がした。でも彼はそれを実行に移す時をひたすら先延ばしにしていた。彼にはその日どりを自分で決めることができなかった。
モエムをもといた場所に返そう、と彼は言った。
上山サキは頷いた。「この生き物は、水槽に閉じ込めたりしちゃいけんやったんよ」
上山サキが猟銃を抱えて帰っていった後、まだ火薬の匂いの残る地下室で彼は最後の祈りを行った。




