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14. オレンジ色の溶解

上山サキの自動車が変わり果てた姿になります

4月のある金曜日の夜、上山サキが彼の家を訪ねてきた。新しい仕事が決まったからパーティーを開こう、と彼女は提案したのだった。彼女はフライド・チキンやらケーキやらを持ち込み、シャンパンを開けた。まるで誕生日かクリスマスのような騒ぎだった。

「週明けの月曜日から働くんよ。『ゆめタウン』の洋服屋さんでね。週4日」上山サキはチキンをほおばりながら言った。

おめでとう、長く続くといいね、と彼は言った。

「いろいろあったけど私あなたには感謝してるんよ。病気が良くなったのはあなたのおかげ。ドライヴにもつき合ってくれたし。角島は楽しかったね。また行こうよ、夏にでも」

そうだね、僕も楽しかった、と彼は言った。

「夏にはドロドロ事件はどうなってるんやろうね。収まってるといいけど。こないだはどっかの工場の大きな煙突の一部が溶けたらしいよ。赤と白の縞々の煙突が、混ざってピンク色になったんやって。そんなことが続いたら怖いね。そのうちこの辺はドロドロで覆いつくされるかもしれんよ」

そのあとも彼らは他愛もない話をしながらシャンパンを飲み、フライド・チキンをかじった。

そのうちに上山サキは酔っぱらったのか口調がゆるやかになり、よくわからないことを口走りはじめた。そしてふらふらと立ち上がってソファに横になると、そのまま眠ってしまった。彼は彼女に毛布を掛けて一人でぼんやりしていた。そして今こうしている間にもどこかで溶けてドロドロ化しつつあるかもしれない何かのことを思った。

上山サキは午前1時過ぎに目を覚ました。

「思ってたより酔っぱらってた」と上山サキは言った。「人の家で勝手に眠るなんて、ひどいよね。ごめんなさいね」

別に構わないと彼は言った。

「なんでこんなに酔ったんやろ。いつもはこうじゃないのに」

コーヒーでも飲もう、と彼は言い、上山サキは同意した。彼はコーヒー豆をフィルターに入れて熱いお湯を注ぎコーヒーを抽出してカップに注いだ。彼らは2人でそれを飲んだ。静かな夜で、彼らも無口だった。

「そういえばあなたがいれたコーヒー飲むの初めて。コーヒー淹れるの上手なんやね」

ただのコーヒーだよ、誰にでもできるよ、と彼は言った。

「意外とそんなことないんだよ。コーヒーづくりは奥深いの。コーヒーの風味は繊細でちょっとしたことで台無しになる。あなたのコーヒーはぜんぜん味が損なわれてないし、それはすごいことだよ。ほとんど完璧と言っていい」

彼女はまだ酔っぱらっているのかもしれないと彼は思ったがとりあえず礼を言っておいた。


コーヒーを飲み終えると上山サキは帰って行った。彼は食器を片付け、歯を磨いてからベッドに入ったが、まったく眠くなかったし、眠りたいという気分でもなかったのですぐにベッドを出て、散歩にでかけるつもりで家を出た。玄関の戸を開けたとき、奇妙な音が聞こえてきて彼は動きを止めた。それは人の泣き声だった。気のせいではない。女のすすり泣く声だった。

彼は門をくぐって家の外に出た。向かいの家の前に誰かがいる。誰かが地面にしゃがみこんで泣いているのだった。玄関前の小さな常夜灯がその姿をおぼろげに浮かび上がらせていた。それは上山サキだった。彼女は背中を震わせ顔を伏せて泣いていた。

彼はなぜ彼女が泣いているのかをすぐに理解した。彼女のすぐそばには砂山のように大きく盛り上がったオレンジ色の塊があったが、それが彼女の愛用のあのみかん色の軽自動車の変わり果てた姿であることは明らかだった。彼女の自動車もまたドロドロ化現象の餌食となってしまったのだ。

何も知らなければその不格好なオレンジ色の塊がかつては軽自動車だったとは、誰にも信じられないだろう。それほどまでにそれはもとの形状を失っていた。タイヤも車体も窓ガラスも区別がつかないほどすべてが混ざりあっていた。大量のママレードの山のように見えた。そしてその明るいオレンジ色はかつて自動車だった頃よりも鮮やかで、夜の薄暗い照明の下でもほとんど眩しいほどだった。彼はその色に見とれたが、慟哭する上山サキを放っておくわけにはいかない。

彼は声をかけたが、上山サキは反応を示さなかった。背中を深く折り曲げて、まるで祈りを捧げる人のような姿勢で泣き続けている。

「どうしてなの」嗚咽の合間に彼女が言った。「どうしてこんなことが起こるの❓これからどうすればいいの」

とりあえず、今日はもう休んだ方がいいよ、辛いのはわかるけどもう遅いし、と彼は言った。上山サキは返事をしない。

明日になったら、警察にいちおう届けを出して、それから自動車保険の会社にも連絡するようにね、と彼は言った。

上山サキは泣き続けていた。

彼はそのまま上山サキのそばにいた。町は静りかえっていて、目に付く家々の窓はすべて真っ暗だった。人も車も通りかからない。もとより通行人の少ない通りではあるが、最近では昼間でさえ人の姿を見かけなくなっている。人々はいつどこで発生するかわからないドロドロ現象を怖れて外出を控えているのだ。夜中ともなれば完全に無人の町のようだった。そんな静寂の中に上山サキの鳴き声が響いていた。

上山サキは突然立ち上がり、何も言わずによろよろと歩いて家の中に消えていった。彼はしばらく待ったが、彼女はもう戻ってこなかった。彼も家に帰りそのまま眠った。


そのあと彼は上山サキとしばらく会わなかった。オレンジ色の塊はまだ上山家の駐車スペースに置かれたままになっている。近隣住民の人々は、変わり果てた自動車を目にしても、もはや騒いだりパニックを起こしたりしなかった。ただ無言のもとに同情を示すばかりだった。人々にとって大騒ぎする段階はすでに過ぎてしまっていたのだった。

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