水天に鳴る
「奏水、こちらの書類は終わりましたので見てもらえますか?」
「了解。じゃあその間にこの前の商業区域の調査結果をまとめておいてくれる?」
「わかりましたっ!」
御前会から半年、巫女となった二人はこの国の政に携わっていた。
二人が担当する州は大洲宮から北に数時間ほどの場所に位置する中規模な州で、琥珀の地元である泡楠に隣接する地域だ。
大洲宮に次いで商業が発展している州として有名で、国内貿易の拠点として東西南北あらゆる方角からの荷物が届いては活発に商取引が行われる。
そういう地域柄か二人の仕事はやはり商業に関わるものが多く、農業や工業に関するものはあまり多くない。どちらかといえば経済寄りの課題が多いので、この辺りは琥珀が両親から受け継いだ知識や経験を活かせる。
奏水はそこまで深く知識があるわけではないが、元の世界における一般的な商知識と琥珀のサポートという面でしっかりと活躍していた。
今日も一日仕事をこなし、窓の外には夕暮れが見えてきつつもまだ業務に励んでいるのが今の二人だった。
「いやー、それにしても私たちこんな感じでいいのかな? 事務系の仕事とかって役人さんが全部やってくれるじゃん?」
「巫女にはもう少し頭脳労働に励んでほしいという意味でしょう」
「なるほどね。まあそれは琥珀に任せるとして」
「奏水もやってください」
「はいすいませんでしたやります」
巫女といえど労働でぎっしり、というわけではない。
奏水の言う通り事務系の仕事は駐在の役人がやってくれるし、州内の視察といってもそんなにシビアな問題に出くわすわけではなく、しっかりと各所に顔を出して住民に安心してもらいながら住んでもらうところが大事。
ゆえにそこまで忙しくない。
一日五時間くらい落ち着いて働けば何の問題もなく職務をこなせた。しかも土日祝日は完全休日。かなり恵まれた環境だ。
それに実地視察だって奏水のキックボードを使えば余裕で移動できるので、役所から州の一番遠い地域まで行こうとしても片道一時間弱で済む。馬車であれば数時間コースのところを、だ。
ちなみにキックボードは住民から奇怪な目で見られていたが、回数を重ねるごとにもう全く気にされなくなり、むしろあの変てこな乗り物を見たら巫女たちがいるという合図になったので歓迎されている。
「ところで奏水、例の話はどうなりました?」
「ああ、あれね。そろそろ日程が確定しそうだよ」
例の話。その単語に反応した奏水。
それに軽く返すと一枚の紙を用意し、琥珀の前で広げてみせて。
書かれてのは日付となにやら建物の名前。
それが六行くらいになって上から下へ連なっている。
用紙の最上段には「一条奏水 水蓮寺琥珀 神楽演奏会」と書かれていて。
「おお! これが『つあーすけじゅーる』ってやつですね!」
「そうそう。私たちの初めての全国ツアーね。まあ大洲宮近辺の六州しか回れないから規模は小さいけど」
「それでも十分ですっ、やる気が出てきましたよ!」
巫女になるにあたり、これまで演奏を披露してきた大洲宮近辺の料亭からは非常に残念がられた。当然演奏依頼などできなくなるからだ。
そして神楽書を作っていた印刷所の職員と仲介役の鷲果も同様。
巫女の職務が最優先なのだが、二人の音楽も既にこの国で人気を得つつある。それをすっぱりやめさせるわけにはいかないと大洲宮も判断したのか、あらゆる方法を使って二人の音楽活動が続くようサポートしてくれている。
仕事が少なめなのも音楽制作の時間を取るためで、そのために二人の周りには事務の役人を多めに送り込んでいる。神楽書の新作製造を続けるためという理由でこの州の印刷所を増設しているし、二人の演奏会を開くための手配は大洲宮が各所と連絡を取り合っている。
それだけ二人の音楽はこの国の娯楽として価値のあるものであり、その存在によって住民の生活が豊かになると判断されたわけだ。
ちなみにその背後には女神からの「そういう」神託があったのだが、二人はそこまで知らされていない。
「今回は新曲はなしですよね?」
「うん。既存の五曲くらいで上手く組んでみようかなと思ってる。ほとんどの人は初めて聴くものだから、純粋に自己紹介っていう意味合いで」
「それがよいです。賛成しますっ!」
ツアーは一か月後。
それまでの練習とリハーサルの時間は十分取れているし、機材は馬車を使って事前に会場まで運んでくれるので問題なし。二人はキックボード爆走で全てを解決する。
「ちなみに今回は泡楠にも行くからね」
「ええ、これでようやく両親にわたしたちの演奏を聴いてもらえます! 楽しみですねえ、親馬鹿で涙を流したりするのでしょうか、ふふっ」
「琥珀の毒舌がとうとうご両親にまで向けられている……」
という雑談を交わしつつも仕事はちゃんと進める。
明日は練習日に充てるので、今日中にできるところまで課題を進めておきたいという意図だ。
ちなみに二人の住居は仕事場である役所に隣接しており、大洲宮の自宅だった建物よりも二倍ほど広く、奏水の手入れもあって防音もしっかりしているので制作も演奏も問題なし。
その建物のうち一番広い部屋をスタジオ代わりに使っており、二番目に広い部屋は制作部屋として奏水が陣取っている。大洲宮の自宅にあった機材や楽器類は全てここに持ってきており、何ら変わらない環境で制作に打ち込める。
琥珀は三番目に広い部屋を自室として整えており、和ギターの練習ができる空間も確保しつつ、時には刺繍を楽しむための机も完備。
という素晴らしく整備された環境があるので、二人とも早く仕事を済ませて帰りたいというわけだ。
そして三十分ほどで課題を終わらせ、執務室を出ればすぐ隣の自宅まで戻る。
数人の役人とすれ違って挨拶をしてから建物を出る。
「……ところでさ、今更だけど気になることがあって」
「なんです? 奏水が鈍感でへたれな理由とかですか?」
「ちょっと毒舌は一度置いておいてほしいんだけど」
呆れたように、でも嫌じゃないと言いそうな顔でため息をつく奏水。
「琥珀っていつまで私に敬語なの?」
「……ああ、そういえばずっと敬語ですね」
「私はずいぶん前に敬語やめたのに、そういえば琥珀は今もそうだなって」
「なんででしょうね? うーん、敬語が一番慣れているからでしょうか。両親にも敬語でずっとやってきましたからね」
「癖みたいなものかあ」
しかし奏水はその回答にちょっと不満げで。
「でもさ、番だし、恋人になったし、巫女にもなったし。そろそろ琥珀も敬語やめていいんじゃないかなって思うんだけど」
「そうですねえ、慣れてきたものをやめるのは難しいですが……」
すると何かを思いついたように奏水の耳元に口を寄せる琥珀。
その表情はなんだか楽し気ににやにやとしていて。
「奏水からわたしにキスしてくれたら、考えてあげてもいいですよ?」
「っっ―――!!!」
途端に顔を真っ赤に染めた奏水が琥珀を睨みつけた。
全く威圧感のない可愛らしい睨み方だった。
「あははっ、へたれの奏水には当面無理でしょうねっ」
「ぅぅっ……琥珀のばかぁ……」
「でもそんな奏水も可愛くて大好きですよ?」
「うぁぁあっ……!」
琥珀の背中をぽんぽんと叩いて小さく怒る奏水と楽しそうに微笑む琥珀。
そんな二人をこの国の夕陽がそっと照らしていた。




