二人の神楽
二年に一度、次代の巫女を決める儀式である御前会。
その最後を飾る神楽はこの国に存在しない先鋭的な音色の旋律で幕を開けた。
緞帳がゆっくりと上がり、舞台上にいくつも配置された行燈の仄かな灯りによって照らし出された空間には二人の少女が並び立つ。
一方は下手に、マイクスタンドの前で十二弦の和ギターを携えて三味線のアルペジオを鳴らしている。その小動物のような小柄で愛らしい外見とは裏腹に、叙情的でどこか陰りを感じさせる旋律が飛び出る。
そしてもう一方は上手に、シンセサイザーと称される不思議な鍵盤楽器を二台並べてその白鍵を叩いている。番とは対照的に凛々しい雰囲気を纏いながらコードとメロディを滑らかに弾いていた。
二人の奏でる旋律が違和感なく組み合わさり、三味線という慣れ親しんだ楽器の音色と、ピアノすらあまり普及していないこの国の人々には未知と称してもよい奇妙な楽器の尖った音色が不思議な調和で聴衆を音楽の世界に誘う。
琥珀の和ギターは次々と音色が切り替わる。
三味線から琵琶へ、次の小休止で奏水がソロを弾いている間に琴の音色へ。
その繋ぎで客席を驚かせながらぐるっと一周回って三味線に戻ってくる。
楽器同士の調和はやがて崩れ、徐々にそのセッションの速度は上がっていく。
BPM60から80へ、その次は100へ、そして120まで上がり切ったところで聴衆にも聴き覚えのある旋律へと接続される。
ハイテンポに三味線の印象的なリフが乗っかり、ピアノは4分音符で刻み続けながらカウンターメロディをぶつける。この会場での前回の演奏時に披露した「玻璃の国」である。
このエネルギッシュな一曲を開幕に選んだ奏水は、オープニングで徐々にテンポを上げて客席を引き込みながら上手くこの曲へ繋げることを意識していたが、それが機能したことを確認すると満足そうに笑みを浮かべた。
既に披露したことのある楽曲ゆえに聴衆の反応も良く、その熱量をコントロールすることに奏水は意識を割いた。自分の身体の動きや身振り手振りはどうすればいいか、鍵盤楽器ゆえの強弱は、メロディの溜めやスタッカートの入れ方は、そして琥珀の歌と演奏がどれだけの熱量を客席に与えているか。
そして琥珀は何より目立っていることを意識し、自分の演奏と歌が過剰な熱気を生まないことに注意する。熱狂するということは神聖さと掛け離れた真逆の位置に行ってしまうことを意味する。
敢えて声を平坦にする。ニュアンスを抑える。
その分手元の和ギターは物語的に叙情的に。
二人それぞれが互いを見やりながら絶妙な調整を加えていくことで、会場と聴衆を制御しながら一曲を演奏し終えた。既に十分なほど聴衆は満足しているようだが、まだここから。もっと音楽の世界に引き込む。
「玻璃の国」のアウトロで最後の一音を同時に鳴らし、そこからわずか一拍の間を置くだけですぐさまインターリュードに突入する。
同期で流している鼓の音に合わせて奏水のシンセサイザーから龍笛の旋律が鳴り始める。二段を上下に積んだシンセの上段がその音になっており、その隙に下段では次の曲に使う音色への切り替えが行われる。
BPM120のテンポはそのままに鼓の音がリズムを取る。
そこに龍笛の旋律が重なるのだが、あるタイミングから徐々に速度が落ちていく。途切れ途切れに鳴らされる龍笛のフレーズと不規則になっていく鼓のリズムに聴衆は混乱する。心地よかったはずのリズムが崩れていく。
しかしそれこそが狙いであり、「玻璃の国」で一度ヒートアップした聴衆を次曲に備えてクールダウンさせようという奏水の意図だった。
この神楽の十五分ほどの間ずっとアップテンポの曲を演奏するわけにはいかない。ならば最初にゆっくり始まってそこから階段を上がるように速度を上げて「玻璃の国」を演奏し、そこから今度は階段を下りるように速度を下げて後半はスローテンポでまとめようと。
リズムに慣れすぎると聴衆はマンネリを覚えてしまう。
そこでわざと崩してリセットさせる。
その狙い通りに少々どよめいた場内では聴衆の視線が奏水に集中していた。
不思議な楽器から鳴る音に耳も目も釘付けになる。
という意図されたテンポダウンが完了したところで琥珀が入る。
幼少期から慣れ親しんできた琴の音色で奏水のインターリュードに絡む。
そんな二人のセッションはやがて一部の観客には聴き覚えのある旋律に変わっていき、二曲目となる「いろはさくら」に繋がった。二人が初めて作った曲、いわばデビュー曲である。
当初は琥珀が歌うだけで楽器演奏は奏水のみの役割だったが、これまでの試行錯誤により琥珀も琴の音色を弾きながら披露できるようになっていた。
奏水のアコースティックピアノの優しい音色と落ち着いた鼓のリズム音に琴と歌が乗ってくる。高音域の柔らかく澄んだ発声は奏水には真似できない、琥珀が生まれ持っている天性の歌声の賜物である。
ヨナ抜き音階を積極的に取り入れて制作した和メロは初聴きの役人の心をも容易に掴み、その優美さで瞬く間に虜にしてしまう。
いろは唄をベースにして書かれた詞はもちろん琥珀の初めて書いた歌詞だったが、二人の制作がより発展してきた今聴き返しても十分通用すると判断した奏水がこの位置に持ってきたのだった。
桜の花びらを降らせる― というアイディアまでは実現しなかったが、仄かに明るく照らされた舞台上は今にも花びらが舞い落ちてきそうなほどの美しく切ない世界観を作り出している。
奏水のシンセサイザーは至って好調。丁寧に左手でコードを抑えながら右手はピアニストさながらの華麗な指運びで叙情的な旋律を奏でる。
琥珀の和ギターも琴の音色を綺麗に出していて、このダブルネックギターを抱えながら優雅に歌ってみせる姿はある種のカリスマ性すら帯び始めていた。
先程の「玻璃の国」とは打って変わってゆったりとしたナンバーで客席の空気は静かに冷えていくのだが、その冷えが心地よいと思う程の絶妙な落ち着きを生み出していた。さながら運動の後に心地よい汗を拭いながら休息しているような感覚と言えばよいだろうか。
一曲目からアップダウンの波を乗り越え、二曲目でスローナンバーを投下して聴衆を程良く揺さぶりながら神楽を進めてきた奏水。そしてその意図をしっかりと理解して会場をコントロールする琥珀。
そんな二人の最終目的地はこの次の三曲目。
今回の神楽を締めくくる最終曲にして、ショックから立ち直り自身の進む道を自覚した奏水渾身の新曲である。
「いろはさくら」の最後は琴のフェードアウトしていく残響音。
琥珀が奏でるその余韻に合わせて会場には変化が起きていた。
客席の灯りが琴の音色に合わせてゆっくりと落ちていったのである。
自身の周囲を照らしていたはずの灯りが消えたことで客席は一瞬ざわめいて戸惑う。しかしそれによって舞台上の行燈の繊細な灯りが際立った。
揺らめく小さな灯りがいくつも点在する舞台の上。
その光によって照らし出された奏水と琥珀は定位置で黙って俯いている。
しかし、奏水が大きく手を上げて、それを鍵盤に向けて振り下ろした瞬間に―
――どくっ!
その音が一度だけ鳴った。
まるで人間の心臓が脈打つような音だった。
また腕を振り上げる。また振り下ろす。今度は二回鍵盤を叩く。
――どくっ! どくっ!
その音が場内を支配する。
やがてその音は繰り返し何度も鳴り響くようになる。奏水が鍵盤を叩く度に脈打つ。音楽という名の生物が息をするかのように脈打つ。
そのリフレインが繰り返され、そして最後に特大の一撃が重い重低音として神楽堂の床をずしんと揺らし―
イントロが鳴った。
同期音で鳴り出したその音に奏水がすぐさまシンセサイザーで合わせる。
床を揺らすほどの深く響く脈拍に続いて始まったのは、柔らかくも重みのあるリズム音とノイズの混じった弦楽器の音。そして奏水が弾くのはどこか幻想的とすら思える笛楽器の旋律。
これまでとは違う雰囲気に聴衆は戸惑いつつも耳を傾ける。
この空間全体に靄のように広がっていく音の渦は、今までの楽曲にあった明確なメロディや楽器の旋律といったものが希薄だった。しかし嫌な感じはしない、どこか気になってしまう未知の感覚。
リズムの正体はバスドラムとスネアに鼓の音を混ぜて作った奏水オリジナルの音色。ノイズの混じりの弦楽器の正体はバイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスというストリングス編成に胡弓を掛け合わせている。
そして笛楽器のように思えたそれはエレキギターと龍笛のハイブリッド。
全てが現代の楽器とこの国の楽器を掛け合わせたものだ。
控えめな音作りで始まった最終曲は、未だ輪郭の見えない演奏を引き連れたまま琥珀の歌う平歌へと入っていく。
メロディを聴かせる音楽ではなく、歌が目立つ曲でもない。
それは琥珀の歌声自体からも読み取れて、これまでのように物語的だったり古典の引用といった文学性を感じさせるものではなく、子音が上手く聞き取れないほど曖昧で不安定で、そもそも意味すらわからない。
琥珀の透き通った柔らかい声で、まるで何かの呪文か暗号かのように、今にも壊れてしまいそうな繊細な情緒と抑揚で歌い上げる。
そこに徐々に大きくなるリズム隊の重低音、琥珀の歌の背後を占拠していくノイズ混じりのストリングス、そして奏水の龍笛エレキギター。
それが高まり、場内を包み込んでいき、そしていよいよ琥珀が和ギターを掻き鳴らしながらハイトーンの美声を高らかに響かせ―
この神楽堂を破壊せんばかりの覇音と共に祝詞が響き渡った。
琥珀が歌っていたのはこの国の全ての神社が女神へ捧げる祝詞だった。
そんな琥珀の祝詞を包み込むように、しかしあまりにも破壊的にその声を食い潰さんばかりに鳴り響く全ての楽器と奏水のエレキギター。
奏水はこの音楽に名前を付けた。
和風幻想系シューゲイザー。
その強烈なドラム音とギターの尖った音色に聴衆は揺さぶられる。
心臓がバクバクと跳ねる。耳の奥に鋭い音色が突き刺さる。
それでいてあまりにも美しく清冽な祝詞がまるで嵐の中で一人佇んでいるかのように切なく響く。全ての聴衆が呆気に取られていた。
そんな覇音は一度鳴りを潜める。
奏水のシンセサイザーが静かに潜伏しながら次の音を窺う。
そしてその時、会場の誰しもが気付いてしまった。
これは本物の神楽であると。
女神に捧げるために創られ、披露され、ここに存在しているのだと。
ただ女神の見ている世界で神楽を披露しているのではない。
その音楽をもって真に女神との交信を図り、人が人外と交わるための祈りを捧げているのだと。
そんな曲の名は「凛音神楽」といった。
気付いてしまったその後は、目の前に光景と音楽に身を委ねるほかなかった。
再びその音圧を上げて迫ってくるドラム、荘厳に鳴り響くストリングスと歪んだ音色をこれでもかと響かせるエレキギター。その波に呑まれていく。
そしていよいよ最後。
琥珀が和ギターを構える。大きく息を吸う。その発声と同時に―
舞台上に光が立ち込めた。
足元と舞台横から真っ白な光が照射され、舞台上を真っ白に染め上げていく。
覇音は今度こそ本当に神楽堂を、そしてこの宮殿を揺らした。
床が気味悪いほどに揺れた。壁がみしみしと音を立てた。
誇張でなく本当に空気が震えて、聴き入る聴衆の身体を震わせた。
頭から足先までの全てが舞台から生まれた音で包み込まれていった。
そしてその舞台で祝詞を上げる少女と破壊的な音を鳴らす少女は、眩いほどの白い光に包まれていく。もはやその姿が輪郭しか捉えられないほどのホワイトアウト。
その姿はまるで― 後光が差しているようだった。
極限まで白く染まった視界にもはや目を開けることもできなくなった聴衆たちは瞳を閉じて音の嵐に呑まれていく。
しかし、その最中で辛うじて目を開けたまま舞台を見ていた人間がいた。
そして彼女たちは意識も薄れそうな光の中で祝詞を上げる少女を見て、いや、そこにいる何者かの存在を捉えて、こう思ったのだった。
女神様が降臨なされたのだ、と。
いよいよ本当に視界を奪われる光の中で神々しいまでに凛々しく立ち、祝詞を上げながら美しい声を響かせる少女の姿が今度こそ消えていく。
その瞬間、演奏はクライマックスを迎えた。
この場所を支配して壊し尽くした音は静かに引いていき、祝詞はその終わりまでもを奉納されることで役目を終えた。
そしてストリングスの繊細な余韻が鳴り響く中。
あまりにも強く苛烈な光の中、その舞台の中心で。
誰にも見られることなく、二人の少女は口づけを交わしたのだった。
そして、その姿を見つめていたのは、天上から神楽を見守っていた女神だけだった。




