神楽の舞台、その裏で
御前会二日目、大洲宮の神楽堂には十五時を過ぎたあたりから次々と人が集まっていた。なにせこの御前会という試験のクライマックスである神楽披露があと数十分程度で始まるからである。
神聖な空気と荘厳ともいえるオーラを発する神楽堂は大洲宮の中央宮殿内に設けられた施設で、決して狭くはないその客席は立ち見にもかかわらず九割方埋まっており、二階席の少々狭い座席にも観客が肩を寄せ合って座っていた。
二年に一度、新たな巫女を決めるための大事な儀式。
人が集まらないわけがないと言えばその通りだが、それにしても静かな熱気と無言の緊張で満ちた空間は一般的な娯楽のそれとは異なっている。
今日ここで神楽を披露する四組の番は午前のうちにリハーサルを終えており、緞帳で隠されている舞台上は沈黙を保っていた。
その幕が上がるのを待っている客席は薄く灯りが点いており、さながら現代日本のコンサートの開演前のような様相を呈している。
この神楽を鑑賞しに訪れたのはほとんどが大洲宮の役人で、各地からわざわざ足を運んできた先輩巫女たちも混じっている。そして既にこの試験から抜けた巫女候補の一部も同様に客席で神楽の開演を待っていた。
さて、その裏側で琥珀と奏水はといえば―
「ふぅ、緊張してきました」
「ね。やっぱり空気というか雰囲気が違うよね」
「それはもう。女神様もご覧になっていますし」
控え室から出て、舞台袖で他の番の準備する様子を眺めていた。
事前の抽選で決定した披露順に従い、最後である四番目になった二人は朝一でリハーサルを終えてからもうずっと控え室で休憩していたのだが、流石に退屈を覚えてしまってバックヤードを歩いているわけだ。
ちなみに朝から機材を一度セッティングしてリハーサルをして、そして撤収するという面倒な流れを経ており、披露前にはもう一度超特急でセッティングをしないといけない。
という現実からちょっと逃避するように雑談にふけっていて。
「ところで私全然詳しくないんだけどさ、女神様ってどこにいるの?」
「学校で教わった内容によると空の上みたいですが実際は不明です。そもそもが伝説上の存在ですので、その実態を知るものなどいないのです」
「でもこの神楽は見てるんだよね?」
「はい。でないと神託は発せませんからね。奏水よりも遥かに高度で恐ろしい異能を扱ってこの場所を見ているのだと思われます」
「やっぱり神ってすごいな。まさにファンタジー」
「ふぁんたじー、が何なのかは知りませんがすごいという点は同意します」
という会話を続けているうちに会場内から大きなどよめきが聞こえてきた。
場内の灯りが落ちて幕が開く合図だった。
そこからは舞台袖の客席からは見えない位置で神楽の見学だ。
これは自分たちの番に向けて適度な緊張を感じるためでもある。
まず一組目は三次試験の模擬戦でも戦った組だった。
大道芸の名手という話を聞いていたので、奏水としては「なんかあのお手玉をたくさん一気にやるやつ」「パントマイムみたいなの」という認識でいたが実際はその程度ではない。
現代日本で披露されるものと遜色のない手品や奇術といったものが次々と披露される。何も入っていないことを客に確認させた筒の中から様々なものを取り出すというマジックの基本芸を皮切りに、釜の中に閉じ込められた人間が一瞬で抜け出すという脱出術、紙で作った蝶を扇子で仰ぎながら舞わせる蝶の曲といった手品までを次々に披露していく。
更にその合間には寸劇も交えて流れを作りながら披露するものだから奏水も琥珀もすっかり夢中になってしまった。
「いやあ、これはすごいですね。ちなみにこの奇術というのは演者本人が全知全能に近づいているという売り込みにもなりますので、女神に近しい存在として巫女に相応しい人間であると主張もできるのです」
「なるほど。そういう文脈もあるんだ、すごいな」
「しかしあの釜から出るのはどうやってするのです? 想像がつきません」
「琥珀がわからないなら私もわからないよ……」
続いて二組目は初めて顔を見る組だったのだが、意外にも落語でこの舞台に立つという珍しい人たちだった。
大衆娯楽であるからして、言ってみれば神聖さとは真逆に位置する存在なのだが、これが意外や意外。客席は楽し気に聞き入っているので奏水は驚く。
「琥珀、落語って神楽のひとつになるんだね」
「まあ神楽という名が付いてはいますが実情は自身の秀でた芸を指すような意味合いですからね。もちろん落語だってその人がしっかりと学んで練習を重ねて会得した技能です」
「確かに。音楽と同じだね」
「それに落語は大衆よりであるがゆえに実際にこの国で暮らす人々に寄り添った芸といえます。各地を統治する巫女に人望や親しみやすさが抜け落ちていれば民の心は離れていきます」
「神聖さとは違う長所があるってことか」
そして落語ではあるのだが、番のうちの一人は三味線や太鼓などを演奏しており、落語自体を披露する番が芝居がかった噺を披露するのを手助けしていた。
こういうところも神楽≒優秀な芸としての実力や工夫を感じさせる。
客席が噺に夢中になっていくと同時に奏水と琥珀も言葉数が少なくなり、気付けば持ち時間であった十五分ほどがあっという間に過ぎていた。
「……はっ! わたしとしたことが見入ってしまいました!」
「私も。落語って面白いんだね、初めて見たけど楽しかったよ」
「ですねえ……って! そうではありません、そろそろ準備をしなければ!」
「あっ、そっか」
二人の順番は次の次。
つまり次の三番手の神楽の間に機材一式を舞台袖まで運び、幕間ですぐにセッティングできるよう整えねばならない。
というわけで急いで控え室に戻る。
奏水の神力シンセサイザーは自由に圧縮できるのでいいとして、琥珀の和ギターやマイクスタンド、手元の簡易ミキサー、そして今回気合を入れて作った照明器具一式。
何回か往復して全て準備し終えた時には三番手の神楽がもう始まっていて―
「……やっぱりさ、飛鳥井さんの巫女舞踊は圧巻だよね」
「そうですね。舞台袖にまであの凛とした空気が満ちてくる感覚は流石です」
最大のライバルでもある飛鳥井花音の舞踊は今日も鮮烈なまでに美しい。
番の少女が弾く三味線の旋律に合わせて優雅に、それでいて華麗に舞を披露する姿に会場中が釘付けになっていた。
客席を覗けば今にもごくりと息を呑む観衆の息遣いが聴こえてしまいそうなほどの静寂。まさに花音の独壇場と呼んで差し支えない。
少し前の奏水であればこの様子に怯んでしまうかもしれなかったが、今日はそんなこともなく―
(うん、大丈夫。私には琥珀がいるし……琥珀が、うん、その、好きだし、好きな人と一緒なら、大丈夫。うん、そうだよね)
「奏水、そろそろ舞踊が終わりますよ」
(好き、って自覚するとなんか、こう、変な感じだけど……でも、なんかあったかい感じもするし……)
「奏水? もうすぐ機材の準備ですが」
(とりあえず今日乗り切って、そうしたら告白とか、色々考えて)
「おーい、奏水ー? 聞こえてますかー?」
「…………! ぁ、あっ、うん」
「奏水、なんだかわたしの方を見ながら頬を赤くしていたのですがどうしました? わたしに惚れ直しましたか?」
「……惚れ直した、かもね」
その言葉とほぼ同時に花音の番が舞台袖へと引き上げてくる。
澄ました表情で静かに横を通り過ぎて行った才女を見送った。
そして一旦緞帳が下りればすぐさまセッティング開始。
用意された転換時間は長くない。全てセットして音出しして、照明のチェックもして、奏水は同期音源の開始準備も済ませる。
客席はうっすらと灯りが点き、舞台上も行燈のほのかな灯りが空気を作る。
「奏水、準備はよいですね?」
「うん。私は大丈夫」
「では始めましょうか。舞台袖の進行役に手を上げて合図してください。そうしたら緞帳が上がりますからね」
「任せて」
緊張は当然ながら高まる。
しかし奏水が落ち込んで自分を見失いかけたところから立ち上がってきたその成果の見せどころであり、奏水と琥珀がいかに素晴らしい番であるかを女神にも見せつける機会である。
そんな時に緊張している場合ではない。
奏水の覚悟は決まった。
そしてゆっくりと手を上げて合図し―
シンセサイザーの第一音と共に緞帳が上がった。




