音楽記録計画 其の一
実家を訪ねた翌日、琥珀は大洲宮内に位置する図書館へ足を運んでいた。
往復十時間という長旅の疲れが抜けきっていない状態だが、今頭の中にある想像の炎が弱まらないうちに動きたかった。鉄は熱いうちに打て、である。
この図書館は華仙の歴史を辿ることのできる国の最重要施設のひとつであり、その歩みを記録した伝記や長い歴史の中で生まれた文学作品など様々な書籍が保管されている。
むろん書籍という形を取ることもなかった時代の巻物だとかも現存している。それらは保護の観点から自由に持ち出すことはできないのだが、写本という仕組みも整備されているのでほとんどの収蔵物に触れることができる。
そんな図書館の中で琥珀が求めていたのは、この国で初めて神術を行使したとされる偉人の伝記だった。華仙の起こりは西暦二世紀頃と言われており、女神の伝説によって荒れ果てた土地に国が創造され、人々が暮らし始めたとされるのがその頃だ。
琥珀としてはそれらを全て妄信しているわけではなく、人々が自主的に開拓してきた土地に文明が起こり、そこで女神がなにかしらの手助けをした― その辺りが妥当な線と考えている。
話が脱線したが、その神術の先駆者とでも言うべき人物は自身が神力を自在に行使するに至るまでの経緯を事細かに記しており、琥珀はそれを読むべくこの場にやって来た。
(先駆者の思想と技術、そこを深く理解すれば新たな神術の行使に繋がるはずです。とても難しい内容と聞きますが、ここはひとつ頑張ってみましょう)
先駆者は模倣するものがない。先駆者を模倣すればよい後続の者たちとは大きく異なる。
模倣というのは人間の優れた能力のひとつであり、逆に言えば模倣する対象がなければ出来ることが減ってしまうとも言える。そんな中で独力にして神術の行使に至ったただひとりの先駆者だからこそ、神術の本質を捉えることができたはずだ。
想像を強く固く持つことで神術の行使はより安定する。
しかし神術を新たに生み出すのならば想像だけでは足りない。想像したものを世界に対して出力する術がなければ。それこそが琥珀の求めるものであった。
管理人以外には誰もいない静かな館内で長机の前に腰を下ろし、早速その伝記を読み始める琥珀。大洲宮の役人ですら読み解くことが難しいと称されるそれに神経を集中させ、内容を咀嚼して確実に飲み込みながら文字を追っていく。遥か古代の文章はいわば古語によって構成された、半分外国語のようなものだった。
それに加え、大洲宮でも年齢の高い役人に「読む者の経験と能力の全てを問われる」と言わしめた難書に、琥珀のまだ幼さを残す表情がわずかに歪む。
(これは……難しいですね。人間の本質のようなものを問われ続けている感覚がします。自分がどれだけ神力や神術について理解しているかでどの程度納得できるかが変わる気がします)
琥珀が完全に言葉にしきれない曖昧な感想を抱くほどに難解な一冊。
それをゆっくりと、自分自身の経験に照らし合わせながら読み進める。
先駆者の人生を追うように進んでいく文章は少しずつ核心へ近付いていく。
神力を初めて認識した時の話が出てくると琥珀の集中が一気に高まる。
まず、先駆者はそもそも神力というものを外に解き放つという行為を初めて考えた人物だった。それまでは神力は体内に存在するだけ。血液と近い位相に位置していたという。
しかし先駆者はそれを外界に放ち、未知の現象を引き起こすことを思い付いたのだ。
そしてその方法を探った。
血液は物理的な存在であって、人体に何かしらの傷が付けば流れ出る可能性がある。しかし先駆者は神力が非物理的な力であると定義し、人体に傷など付けずとも外に放つことができると仮定した。周囲からは妄想癖の異常者と笑われたがそれでも追究を続けた。
(な、なるほど……言われてみれば神力を外界へ顕現させるという行為は初めから存在していたわけではないですね。誰かがそれを現実にしたからこそ広く受け入れられたと……)
神力が当たり前に使われる世界で育ってきたこの国の人々にも、そして琥珀にもない視点だった。今や当然と思われる事象でも、初めは夢想と嘲笑されてきたものがいくつもあるのだ。
そして先駆者は神力を顕現させる方法を思いついた。
きっかけは神力を手のひらに集めようと強く念じていた時。ふと手の中に光が生まれているのを見た。それが神力の顕現の第一歩になった。念じて想像することで何かしらの事象を引き起こせることがわかった。
これを発展させていく日々が続く。
そしていよいよ先駆者が初めての神術行使に成功する日が訪れるのは神術の着想を得てから丸一年が過ぎた冬の日。華仙の冬でもひときわ寒く、とても珍しいことに雪が降る日の夜だった。
手のひらから炎を起こしたのが先駆者の最初の神術だった。
それ自体はある程度の教養を持つ物なら知っている事柄だ。
ただ、先駆者がこの術を行使することが出来た背景まではほとんど知られていない。そんな神術の起源を記録していたのがこの伝記である。
筆者曰く。
先駆者は寒い夜にどうしても暖を取りたいと思った。しかし家の焚火は運悪く尽きてしまい、冷え込む部屋に火をくべる術はなかった。そこで、長きにわたって探求を続けてきた神力を使い、どうにか火を起こそうと思い至る。
しかし、どれだけ念じて意識を集中させても火は起きない。
そんな集中状態の中で、先駆者の脳裏にある風景が浮かんだ。
貧しい少女、汚れた薄い衣を纏うだけ、痩せ細った身体。
小さな部屋の中でわずかな食事にありつき、焚火もない暗く冷たい空間で小さく丸まって懸命に寒さを凌いでいる。親に捨てられ、村人に疎まれて、一人で生きるしかない少女だった。
むごい環境で命を擦り減らしながら、冷たい床で眠ろうとする少女。
身体は冷え切ってまるで死人かのように青白い肌が見え隠れする。
そんな時、不意に建物の扉が開いた。
影でしか認識できない何者かの侵入に怯える少女だったが身体は動かない。もう殺されてしまうのか、身ぐるみ剥がされていよいよ生きる術を失くすのか。
そうして怯えている少女の傍に寄って来た影は、ふと彼女の目の前で―
ぼぅっ、と小さな火を灯した。
まるで空に浮いているようにすら見える神秘的な炎は、やがて少女を包む空気を暖かく熱していき、その暖かさによって少女は穏やかに眠りにつくことができた。
翌朝、少女を引き取るという里親が現れ、少女はその庇護の下で幸せな暮らしを送ったという。
そして、先駆者が空想の世界から意識を取り戻した時、その手のひらには煌々と光を放つ鮮やかな炎が現れていたのだった。
…………
琥珀の意識は語り部の文章に溶け込み、この図書館を離れていた。
そして琥珀が先駆者と同じように伝記から意識を取り戻した時。
「…………へ?」
琥珀の視線の斜め上、静寂を保っていたはずの空中に小さな炎が浮かんでいた。
間違いなく琥珀が自ら行使した神術だった。
「うそ……わたし、神術を使った覚えなんて……」
身に覚えのない神術行使にうろたえる。
しかし、次の瞬間にはっと思い至る。
先駆者は想像することだけでは神術の行使に至らず、更にその先へ。
想像を発展させて物語にすることで自らの中で想像をより強固で揺るぎないものとし、それによって無意識のうちに神術の行使に成功していたわけだ。
とすれば、今の琥珀も先駆者と同じことをしていたと考えられる。
(……神術の行使には強い想像を持つことが大事と教えられてきました。しかし、それは先駆者の行使の要となる要素を端的に抜き出して後世に伝えていただけで、もしや神力の本質というのは想像から成る物語にあるのでは?)
その仮定に行きついた瞬間、琥珀の思考はこれまでに得てきた様々な知識と接続し、この仮定を検証するべく無数の論を走らせる。天才少女の真の才が遺憾なく発揮されていた。
(そもそも神力の起源は女神が地上に力を分け与えたという伝説に由来します。これも物語の一種と捉えると神力自体が物語性を帯びていると言えるでしょう。そこに自らも物語を注ぎ込むことで神力の本質を引き出して神術行使に成功したのが先駆者であると)
(そして後世では物語と想像の立場が逆転して伝わりました。物語を創り出すために想像を駆使した先駆者の考え方はあべこべになって広まり、想像を強固にするために物語が有用だという捉え方が主流になる。そしてそれすら簡略化されていき、想像を強く持つことが大事だと言われるようになった。これなら説明がつきます)
(ではどうして物語という要素が薄くなってしまったのか。恐らくですが、国が発展するにつれて女神様の伝説を重要視する考え方が強くなり、物語を創り出すという行為が大衆に広まることを避けようとする動きが生まれたのでしょう。思想面の統治としてはどんな国でもありえそうな話です。それに、この国で物語を書いて出版してきた人間は非常に少ないことにも繋がります。選ばれた者だけが書くことができる。大衆は受け取るだけです)
(朝子母さんも言っていました。創造は想像から成る、と。まさしく物語は想像することから成り立つものです。母さんの教え、こんなにも大事なことだったのですね)
それから数時間後、伝記を読み終えた琥珀の表情には自信がみなぎっていた。




