念願のカフェデート
蓄音機見学を楽しんでから更に歩くことニ十分。
街の外れに位置する小さな喫茶処は隠れ家のようで町屋の二階にひっそりと佇んでいて、見落としてしまいそうな小さな入り口から階段を上がって店内に入れば、艶やかな漆塗りの床と上品な障子に彩られた空間に机と椅子がいくつも並んでいるという、奏水にはたまらない「和カフェ」だった。
そもそも椅子がある時点で大歓喜だし、上品にまとまっている雰囲気も最高だし、席と席の間は暖簾で仕切られているからプライベート感もあって素晴らしい。やはり琥珀は奏水の趣味をよくわかって連れてきてくれたのである。
綺麗な着物の店員さんに案内されたのはそんなフロアから障子を一枚挟んだ小さな和室だった。大きめの机に椅子が四脚、いわば個室テーブル席だ。
琥珀が店員さんとやたら親し気に会話しているのを見て「もしかしてここも知り合いの店?」と推察した奏水だったが、それは見事当たっていたようで―
「ふぅ、やはりこの店は落ち着きますね」
「っていうことは行きつけのお店なの?」
「はい。もう一年ほど前から通っています。……番がいなくなった頃に大洲宮の中にいるのが辛くなって外に出て、帰りたくなくて街の外れをうろついていた時に見つけた店です」
「……なるほど」
「なので店員さんもわたしの顔は知ってくれています。ゆえに連れがいるのを見て配慮してくれたのでしょう」
わざわざ数少ないはずの個室に通してくれたのはそういう背景があったのか。
感謝しながらもお品書きを眺めてみればあんみつやお団子といったいかにも和風喫茶というラインアップで、飲み物はほとんどがお茶。しかし意外にもコーヒーがあって驚いた。この時代にはもう舶来していたのか、それとも元の世界と違う歴史を辿っているのか。
ともあれせっかく和の趣を楽しむのだから緑茶、そして普段食べない甘味がいいなという理由であんみつを選ぶ。琥珀は煎茶に羊羹を頼んだ。なんとも琥珀らしいというか大人びた感じがした。
店員さんが丁寧にお辞儀して去っていった後の個室には和やかな空気が流れる。
大洲宮から出た解放感、そして外食しつつリラックスできる空間に来ているというたおやかな幸福が胸の内に流れる。奏水の頬がにまーっと緩む。
「奏水、気が抜けて変な顔になってます」
「えっ、そ、そんなに?」
「はい。でもすごく可愛かったですよ」
「っ……!」
にこにこと笑みを浮かべて揶揄ってくる琥珀。
恥ずかしいけど琥珀がこんなに楽しそうに笑っているのならそれもいいかと思った奏水だった。どうしてこんなに琥珀のことを考えると幸せになるんだろうと不思議に思うが、残念ながら恋心を抱いている点に関してはまだ気付かない。やはり鈍感なのだ。
「そうやって笑ってる琥珀の方がもっと可愛いけどな……」
「っ!」
「琥珀、美人だし可愛いし格好良いしうらやましいよ。私も琥珀みたいなすごい美少女だったらなあ……」
「…………わたしからすれば、奏水の方がよっぽど可愛いですけど」
「ん、なんか言った?」
「い、いえ、なんでもないです」
小声の正直な告白は辛うじて奏水には届かず、慌てて話を逸らす琥珀。
「そ、そういえば! 奏水に訊きたいことがありました」
「なに? 今ならなんでも答えちゃうよ」
念願のカフェデートで上機嫌な奏水。
「なんでも」という単語に思わず心臓が跳ねる琥珀。
じゃあ例えばこれまでの恋人の有無とか、片想いでも好きになった人がいたかどうかとか、誰かとそういう大人の行為をしたことがあるかとか……
ぼふっ!と音がしそうなくらい顔が赤くなった。
「ん? 琥珀なんか顔赤いけど熱でもある?」
「いや、ないですけど……」
「ダメ、ちょっとおでこ貸して」
「あ、や、まって……」
身を乗り出した奏水が琥珀に顔を近付けて、額を隠す髪をかき上げて、自分の額にも同じことをして、それからぐっと一気に距離を詰めて―
二人のおでこがくっついた。
「よいしょっと」
「っ~~!!」
「……うん、熱はなさそうだね。じゃあ大丈夫かな」
「っ……な、ないですっ、大丈夫ですっ……」
奏水の綺麗な顔が目の前に。
唇のぷるんと艶やかな様子も、黒くて深い澄んだ瞳も、白い肌のほんのり汗ばんだところも、何もかもが目前にある。琥珀の心臓の高鳴りは一層増していた。顔はもっと赤くなっている。
ああ、今すぐ口づけをしたい。
そうしたらお腹の奥で切なく疼いているものも幸せになれそう。
けれど奏水にそんな気がないことはわかっていて―
「ふー、焦ったよ。デート中に発熱じゃ大変だからね」
「そ、そうですね……」
奏水のせいでこうなった、なんて言えなかった。
その代わりにもう一度話を逸らそうと試みる。このままじゃ頭がおかしくなってしまいそうだった。早く別の話をして理性を取り戻さないと。
「で、奏水。わたしから聞きたかった話ですけど!」
「うん。なに?」
「この前の曲の話です」
この前の大洲宮で初めて演奏した『玻璃の国』。タイトルは二人で相談して付けた。
アップテンポで人々の耳を惹き付けるほどのインパクトを与え、琥珀も和ギターを弾き倒したあの一曲だ。琥珀に自信を付けさせるため、印南千寿に引導を渡すために奏水が書いた曲。
神楽までの短い期間で急いで仕上げた曲で、それだけ集中したこともあり二人分の熱量が存分に詰め込まれている。ただ、急いだので十分に話し合えていなかった面もあり―
「わたしの詞、奏水は第一稿で採用してくれました」
「そうだね。多少手直しはあったけど」
「どうしてそんなにわたしの詞を信用してくれたのです? 音楽の知識や経験なら奏水の方が圧倒的に多いはずです。対してわたしはまだ詞を書き始めてわずかの初心者です」
「ああ、確かに疑問かもね。でも理由はちゃんとあるよ。別に番だから甘く見て妥協したわけじゃない。そんなこと、いち音楽家としての矜持が許さない」
先程までにまにまとにやけていた奏水は消えた。
あっという間に鋭い目つきになったその様子に琥珀はごくりと息を呑む。先程までの動揺と動悸は収まっていた。
「理由は二つ。一つ目は琥珀の方が私より勝っている点 ― この国の文化風習世俗への理解の深さ。どんなに曲が良くてもその主題や語彙が人々に受け入れられるかどうかは別。でも琥珀なら十分この国のことを知っている。何が受け入れられやすくて何が拒絶されるか、どこに弱点があってどんなふうに攻めれば刺さるのかを知っている。私より何百倍、何千倍も」
「無論作詞なんてのはメロディとアレンジに引っ張られるもの。それらが体現している世界を言葉に変換していく作業。だから主題や語彙だって曲そのものに影響される。曲が望まない詞を当てても良いものにはならない。だけど、それでもなお作詞家には自分のセンスと思考で詞を書く権限がある。曲が求めるものに共鳴しつつ、同時にそれを聴かせる相手に合わせていく権利があるし、それをする技術も自然と身に着く。だから私が書くより琥珀が書いた方がこの国に広く受け入れられると思っている。ゆえに琥珀の詞やセンスを信じている。それが最善の選択だと思っている」
「そして二つ目は琥珀の技量が十分にあること。これは私も驚いたけど琥珀の飲み込みや上達速度は異常に速いよ。私が自分の曲に詞を付けようとして苦心してきた5,6年の試行錯誤をあっという間に追い抜いていった。音数への対応、母音やリズムとの調和、テーマの決め方や構成の作り方、その他諸々あるけどどれも私より上手い。だから単純に琥珀の詞が上達しているので私が修正させる部分が減ってきているということ」
「例えば『玻璃の国』はテンポが速い曲だよね。そこで琥珀は一個の音符に対して複数の文字を詰めるという技法を使っている。今までの曲では音符一個に対して一文字を忠実に守っていた琥珀がいきなりそんなことをした。つまりそれは本人のセンスと歌手視点からの本能的な快楽性から無意識にやっていたということ。音を詰めることで疾走感を出してメロディの魅力を引き出し、歌手としても歌っていて気持ちいいという境地を理解してそれを詞から再現しようとした」
「どう? 言われてみれば無自覚でしょ? そんな風に琥珀の技術はどんどん上達している。だから作曲家として、音楽ディレクターとして口を挟む余地が少ない」
「という二つの理由から私は第一稿が世に出すに足るものと判断して採用した。…………これで回答になってるかな?」
琥珀はもう何も言えずにただただその言葉に耳を傾けていた。
驚かされること、気付かされることばかりだった。
確かにこの国という大きな存在を勉強してきた身だし、楽器演奏の経験だって少しはあった。でも奏水に言われると自分が奏水の曲にとっていかに適した人間であるかを自覚させられた。
無意識のうちの成長にだって当然気付いていなかった。ただ、奏水の曲を良くするために、自分が歌いやすいものにするために考えて書いていた。奏水の指摘など意識の外だった。
「……奏水は、そこまで深くわたしを見ていてくれたのですね」
「もちろん、なんたって番だからね」
「ありがとうございます。たくさん話してもらえて、嬉しかったです」
「どういたしまして」
奏水の顔と自分の顔が急接近して、奏水の心の中にも触れることができて、琥珀にとってはもうそれだけでこのデートをした意味があるというものだった。
しかもそこに美味しいお菓子が来るものだから―
「お待たせしました。ご注文のあんみつと羊羹になります」
「やった! ありがとうございます!」
「か、奏水っ! 店員さんの前ではしゃがないでください!」
それはもう最高のデートになったわけだ。




