57_地獄の現出
レイが突き飛ばされた。
間違いなく、気の緩んだことがいけなかった。
私たちより少し大きいだけの、小鬼族の中では大きい方だった奴の最期のあがきによるものだった。
誰がいくら声をかけてもレイは目を覚まさない。
私の中で、何かが崩れ落ちる音がした。
「ルナ……ルナ! レイが……!」
シズネが私に向かって何かを喋っている、叫んでいる音がした。
あれだけあったはずの紫色の雷雲は消え、すっかり快晴となっていた。
もう一人の自分——言ってしまえば、私の半身が死んだかも知れない。普段では全く感じることのないような感情が、私の中でひたすらに蠢いていた。
気がつけば、私は魔族達に包囲されていた。だが、“私”の情動の赴くままに焼き尽くす。
「Stralun:|HelnFeuer」
ああ、これでいいんだと思った。全て焼き尽くしてしまえばいいと思った。
「ルナ……?」
後ろから私を心配そうに、シズネが見つめる。その傍にはレイが横たわっていた。
私と後ろの二人以外の全てが、私の、私たちの敵に見えた。
「……すべて、燃やし尽くす」
******
ルナの意思は、そのまま二人を巻き込まないように藍色——その中でも特に暗い濃藍色の炎となって、器用に燃やし尽くし始めた。
敵と直接渡り合っていた『旅団』のメンバーすらも関係なく、炎は全てを呑み込もうとしていた。
やがて炎は城壁にまで広がるが、石造りの城壁を超えて城塞内部までは燃え広がらなかった。代わりに、これまた器用に城壁を伝って炎は城塞を取り囲む敵の軍勢を包囲し、焼き尽くそうとしていた。
城壁の前では人間も、魔族も混乱していた。彼らには何が起きたのか分かっていなかった。まさか一人の意思がこの遠大な炎を解き放っているとは誰も思わなかった。一人を除いて。
「ルナ!」
どこからか聞こえたその声がルナに届いたのか、一瞬だけ炎は弱まったかに見えた。しかし濃藍色の炎は完全に消えず、むしろ今度は魔族のみを狙い澄まして焼き尽くそうとする。城壁をぐるりとした炎は、異様な様子を見ようと城内から出てきた一部の人間を含め、魔族の軍勢を正確に焼き尽くしていた。
リカ以下『旅団』の人間は、団長たるリカの声が聞こえたのをきっかけに炎を避けながら後方にある森へと退避していく。彼女の叫びはこの戦場にいる全ての『旅団』のメンバーに、この炎をルナの仕業と確信させていた。
濃藍色の炎は、地獄絵図を自ら作り出していた。
魔力を込めるのに精一杯となり、魔法の発動の際に前を向かなかったルナは改めてその景色を見て、自分が何を引き起こしたのかを理解した。いや、理解してしまった。
「あ……あぁ……」
自らはなった魔法による現状を理解できないのか、それとも理解しながらもそれを拒んでいるのか、ルナは崩れ落ち、呆然としていた。
ルナの少し後ろには、ルナ以上に状況を理解できていないシズネと、その傍に未だ意識を失ったままのレイが残っていた。
「……ねえ、レイ、起きてよ。何が起きてるの? ルナは何をしたの? ねえ……」
シズネは置かれている状況に困惑しながら、レイに向かってぽつりぽつりと語りかける。
レイは、未だに意識を取り戻していなかった。
この状況を引き起こしたのはルナだと、リカは炎の色を見てすぐに理解した。同時にその原因がどういうことであったかも、おおよその察しはついていた。森の方まで退避した後、倒れ伏したレイとその傍にいるシズネを確認し、その状況が決して芳しくはないものの極端に悪い状況では無いだろうとリカは考えていた。
問題は、この惨状をどうするか……彼女の頭にあるのはそれだけだった。ルナが正気を取り戻したのか炎が沈静化するに従って、思考を今あるこの惨状の解決策を『旅団』の団長としてどう責任をとるか、それのみに集中しようとしたとき、唐突に“それ”は開いた。
どこかから“何か”が来た、そんなように思えた。
「見事也。流石は“魔女の素質”を持ちし少女也。ルナ・アン=リヴィールよ」
「……誰よ」
リカは感性に従って場所を突き止めると、門のような“何か”からルナのすぐ傍へと出てきた、黒の大きな鎧を着た者がそこにいた。
「……貴様が此奴の今の庇護者か……案ずるでない。今、此の地に居る我が軍は全て此奴の炎によって焼き尽くされた。儂も今の貴様らに敵対する心持ち無く、また其の謂れもなく、よって貴様らの用心なぞ要らぬ」
「……用心、だと? ならば……貴様の名を名乗れ!」
魔族がこの地に陣を敷き、結果として仕組まれたこの戦場に苛立ちを覚えていたマリが鎧の男に向かって吠える。彼はやれやれといった素振りを見せつつ、その要求に答える。
「儂か? ……儂の名は、Fydgroe。
偉大なる大魔神の恩寵と魔人族の推戴を受け、アガンベグァン、グヴォースダリョフ、ザバリビン、カンテシロフ、ソートヴィンツェフ、マハノフ、モイセエンコ、パヴルビン、リジョンコフ、その他二十の領邦を従えるインペラートルであり、東北魔族国家群の盟主にして最高君主である」
ひどく尊大な態度を見せていた鎧の男は、自らをインペラートル……帝国語に訳すならば、魔人族の皇帝、魔皇帝と呼んだ。
それを信じるのであれば、彼は偉大なる大魔神の恩寵を受ける者、つまりは魔族を統べる者であり、魔族各種族の頂点に立つ者だという。
「……ならば、貴様があれらの頭目か! 何故に——」
「そもそも……」
マリの憤りは頂点へと達し、がなり立てようとするが、それを遮ろうと魔皇帝は語り出す。
「……ええ、確かに儂は彼奴等の頭目でありましょう。それ自体は認めます。
しかしながら、貴様等の見てきた様な所業は、儂の企図する処で無く、また儂の耳の知るところではなかった。彼奴等に代わり、いや彼奴等を代表して陳謝致す。
……あくまで儂は、平和を願っておりまする」
「貴様が! 手綱を取らねばこの様なことになるのは! 当然であろう!」
珍しくイツキが吠える。それに続いて『旅団』の他のメンバーからも怒号と罵声が浴びせられる。
「儂は、あくまで盟主である。最高君主はその付随に過ぎぬ。故に、儂が此の様な些事には関わらせてもらえるはずもなく……当然ながら手綱を握らせてもらえる立場にもない」
このような戦争と惨禍を些事と言いきったことに、『旅団』の者らは激高する。
「……だとすれば、貴様はどうしてこの場に来た」
「何故、か……。
本来はこのようなこと、貴様等如きに語るものではないが……特別に教えてやろう」
リカの質問に魔皇帝は少し間を置き、その理由を話す。
「我が未来の嫁を……一目見に来た。それだけよ」
「……未来の、嫁……?」
余裕のなかったはずのシズネがその言葉を偶然耳にしたことは、シズネ自身も驚いていた。
「大魔女にも勝るとも劣らぬその膨大の魔力! 一度決めたら完遂するまで終わることのないその意志の強さ! そして何よりも……唯一儂に従わぬ種族を抑える楔!
……我が嫁となるには最良であろう? ルナ・アン=リヴィール」
シズネは、あの男からルナの名前が出た途端、震えだしていた。
「とはいえ……力を出し尽くした者を今この場で連れ出すことは、興が削がれる……では、また逢おう」
そう言い残し、魔皇帝と自ら名乗った男は、再び門のような“何か”を通ってどこかへと去って行った。




