第4話 『知りたい』という目的
満月を二つに割ったような半月が良く見える夜だった。
半袖では肌寒さを感じるようになった頃。月光が煌々と輝き、鈴虫の音色が響いている。
稲穂の匂いと共に、血の香りが運ばれてきた。
警服姿の俺は、舗装された道路の上で呆然と立ちすくんでいた。
「……」
目の前には筋肉質な男の死体が転がっていた。三十代半ばだろうか、見開かれた目に引き攣った口元。壮健さがあった男の表情はまるで地獄の縁を凝視したように歪んでいた。
足元に落ちているのは一丁の拳銃。名を『ニューナンブM60』という。9mm径の、取り回しの良い回転式拳銃だ。ちなみに持ち主の名は、田代 圭といった。
額に脂汗が浮かぶ。辺りには鈴虫が物静かに鳴いているだけのはずだが、心臓の鼓動が叩くように聞こえてきた。
「はぁ…はぁ…」
俺の使命はここで待つこと。男の死体を視界の端に入れながら、金縛りのように立ち続ける。
幾ばくの時間が過ぎただろうか。
五臓六腑が不調を訴える中、先に悲鳴を上げたのは精神だった。
「っ!」
俺は駆け出した。無我夢中で路面を蹴った。混乱の中、とりあえず自分が住むアパートに向かった。
飼い主を待つ忠犬の役割は、失敗に終わった。
****
「あなただって、何で警察官なのに人殺しなんかしたの!?」
無垢な少女の痛ましい糾弾は、俺の心には響かなかった。責めるように屋根を叩くを雨滴は、屋内にいる俺には届かない。
「俺は人殺しなんかやってない」
「は?そんなわけないでしょ」
瑠璃は眉を顰める。向けられた紅色の両目は、俺の真意を測り損ねているように見えた。
「警察が警察官を追ってるんだよ?あなたがやったに決まってるじゃん!」
俺が質問に答えたら、瑠璃はしつこく食い下がってきた。彼女の質問に答えたら受け入れなかったり、俺が問いかけたら意に介さなかったり。先入観の強い子だと思った。
「ったく、うるさいなぁ…」
「ちょっ…うるさいって、人が殺されてるんだよ!?なんでそんな事言えるの!?」
瑠璃の言うことは正論だと思う。人を殺した人間が、このような飄々とした態度を取っていたら、俺だって手が出てしまうだろう。だが、俺にとってこの問答は不毛でしかなかった。
「やっぱり、思った以上にヤバイ人だね。さすがの私でも引いたよ?」
「もうなんとでも言え」
「…わかったよ」
瑠璃は机から降りると、椅子に座り直した。彼女のブレザーから生えていた翼は、いつの間にか消えていた。
「人殺しじゃないんなら、私、あなたに興味ないんだけど」
「知らんがな。冤罪だ、俺は」
「その根拠は?私が裁判官だと思って答えてよ」
「言えない」
「はぁ?」
瑠璃が首を傾げる。でっち上げの裁判官様には前科ありに取られただろう。
「黙秘権を使うってこと?」
「黙秘権...いいな、それ。そうだ、俺は黙秘権を行使するぜ」
瑠璃は神妙な趣で押し黙っていたが、しばらくすると「死刑」という呟きとともにそっぽを向いてしまった。どうやら彼女の中で俺は報道通りの殺人犯ということになったらしい。
事件があった夜を思い出す。無惨に転がった死体の苦悶に歪んだ表情。それを思い出す度に胸に鈍痛が走る。
「誰にだって、言いたくないこともある。殺人犯って呼ばれてる俺でもな」
「それはまぁ、分からなくもないけど……」
頑なな姿勢を崩さない俺に対し、瑠璃は一瞬困惑する。俺が姿勢を直すと、座っている椅子が、ぎし...と音を立てた。
「なんで逃げちまったんだろ…」
「ん?なんか言った?」
「瑠璃っていい名前だなって言った」
もちろん適当にでっちあげた嘘だが、瑠璃は真に受けたようだった。口元をもぞもぞと動かし、視線を逸らした。
「そ、そう」
瑠璃はくるりと後ろを向いてしまった。目を凝らして観察してみたが、ブレザーを着用した背中には禍々しい羽根の付け根は視認出来なかった。
(どうなってるんだ、あの羽根は。)
俺が口をすぼめながら短く剃り上げた頭を掻いていると、瑠璃はこう言った。
「アナタ、圭って名前だっけ?」
「ああ、そうだが?」
「じゃ、私もケイって呼ぶことにする。二文字だから呼ぶの楽だもん。」
「権左衛門みたいな名前じゃなくてよかったぜ」
瑠璃は手を腰の後ろで組み、半回転してこちらに向き直った。
「じゃ、私にはあんまり近づかないでね、ケイ」
「……へいへい」
高校以来、初めて女の子から名前を呼ばれた。内容が拒絶だったため全く嬉しくなかったが。
「俺、しばらくここを根城にしようと思う。辺鄙な山奥だし、捜査課もそうそう見つけられないだろう。……問題ないか?」
「え?何が?」
「誰かが管理してるんじゃないのか?廃墟にしちゃ綺麗すぎるだろ」
「いや、ここは本当に本物の廃墟。ケイがたまたまここを見つけたように、私もたまたまここを見つけてたの」
俺はピクリと眉を動かす。てっきりこの廃墟は誰かの手が入っているものだと思っていた。
広間を見回す。シミのないテーブルに、埃のない椅子。これが、誰も手を入れていない家なのか。
「誰かが使ってるわけでもないし、ちょっと掃除したらシンデレラ城みたいになった!」
「シンデレラ?」
「そ。入る前はホーンテッドマンションみたいなの想像してたんだけどね」
「あー、ディズニーか」
元が綺麗なのもあるが、手入れをしていたのは、先に足を踏み入れた瑠璃のようだった。
少なくとも、今ここを使っているのは瑠璃だけらしい。人目に付かず、雨風も凌げる。隠れるための根城にはうってつけだった。
「そういう事なら俺はここに居座らせてもらおうか。瑠璃が泣いて拒否してもな」
「好きにしたら?」
反発が来ると思ったが、あっさりと返された。
「私もちょっと気になることが出来たし」
「気になること?」
瑠璃は細い人差し指を俺に向ける。
「ケイから事件の真相を吐かせる!」
「は?」
「だって、『俺はやってない』だけで事件の内容は何も言おうとしないんだもん」
俺は冷や水を浴びせられたような気分だった。子供の好奇心で思いもよらないことをされては困る。
「110番通報でもするのか?」
「そんな、警察には頼らないよ」
右手をひらひらさせる瑠璃。
「私が、私自身で、ケイが殺人鬼なのかを確かめたいの」
「なぜそこまでして俺に執着する?」
「えっ?」
素朴な疑問だった。瑠璃と俺は先ほど出会ったばかりだ。殺人鬼として報道されている男との接触。多少興味を持つくらいならまだ分かる。だが、こいつのそれは少し違う。
好奇心にしては、妙に俺へ向きすぎている。動機の不明瞭な執着が、彼女の中にあった。
「……一目惚れ?」
「ころすよ?」
「分かってるって。えーと確か…」
瑠璃は殺人鬼として報道されている俺に関心があったと言った。これまでの言動から推測するに、彼女の動機は……
「分からん!なんで俺に執着するんだ!?」
彼女は他人?仲間?
それとも、敵?味方?
ヴァンパイアという異形の存在であることが、瑠璃の奇怪さに拍車を掛けていた。
「知らなくていい」
「え?」
「ケイは、知らなくていい」
今までとは違う声音だった。瑠璃は瞳と同じ紅色の髪を指で払い、血色のいい舌で上唇をゆっくりと舐めた。
彼女の隠された部分が露わになったような気がした。目を伏せると、長いまつ毛が揺れた。
「私、探偵とかかっこいいと思ってたんだ」
まぁ、そう思った直後には元の調子に戻っていたのだが。
「というわけで、ケイの犯した罪は私が暴くから。覚悟しててね」
わずかに開いた口から、整った歯列のうち、一本だけ突出している犬歯が見えた。鋭い歯は、外からの光を受け、妖しく光っていた。
「……やれるもんなら、やってみろ」
考えたところで仕方がない。俺の目的は、あの日の事件から逃げ切ることだった。——たとえその逃亡の果てに待っているものが破滅だとしても。
「ケイ……いや、殺人鬼ならきっと……」
瑠璃が何かを呟いた。うっかり聞き漏らした俺は、その表情がいやに真剣だったものだからちゃんと聞いておけばよかったと思った。
俺は瑠璃の事を何も知らない。
何を企んでいるのかも分からない。だが、俺が殺人鬼であることに、こいつは何かを期待している。
それだけは、なんとなく分かった。
「プライバシーの侵害は、俺も良くないと思うんだけどな」
俺の目的は逃げること。だが、彼女の思惑を推理し、理解することは必要なのではないだろうか。
「探偵は、俺はかっこいいとは思わねぇぞ。個人でコソコソやるくらいなら警察に任せろってんだ」
―—返事はない。彼女は屋敷の奥へと行ってしまったようだ。
「……聞いてねぇし」
一人残された俺は、頭上を見上げる。
ひび一つない大きなガラス窓が目に入った。
ふと、銃撃のように屋根を叩いていた轟音が、ぴたりと止んでいることに気づいた。
それでも、厚い雲の向こうから、太陽が顔を出すことはなかった。
****
その日の夜。
当然というかなんと言うか、俺と瑠璃は屋敷の中で物理的な距離を取って行動していた。
だが俺は瑠璃のいる部屋に趣き、漆が塗ってある扉をノックする。
「瑠璃、いるか?」
返事はなかった。人工光が無く暗闇に近い廊下は、外からの風でぎしぎしと低い音を立てた。
「ここの部屋にはいないか...」
ここに居ると思ったがアテが外れたようだ。そういえばこの部屋には何があるんだろう、そう思った俺はドアノブを回す。
「っ...眩しっ」
ドアを開けると、鋭い光が差し込んできた。見ると瑠璃が、真っ暗な部屋の中で、ジャージ姿で寝っ転がりながらスマホを見ていた。
「きゃっ!何!?」
驚いたように付けていたイヤホンを外す瑠璃。だから聞こえなかったのかと合点すると、俺は要件を伝えた。
「明日、俺は少し遠出するから承知しといてくれ」
「遠出...どこ行くの?」
「買い出しだよ。この屋敷は立派だけど、物が何もないから」
「ふーん...」
俺はそれだけ伝えると、反転しドアを閉めた。
閉める直前、ドアの隙間から瑠璃の表情が見えた。
ドアの隙間から見えた瑠璃の目は、まるで何か企んでるように目尻が上がっていた。




