第3話 ベターなチョイスを頂けますか
「私はヴァンパイアと人間――どっちに見える?」
瑠璃の呟きとともに、世界が白黒になった。
薄暗い館内が一瞬、白い閃光に満たされる。優美な椅子の上で体育座りをしていた瑠璃の姿が、黒い影となって浮かび上がった。
刹那の後、館内は元の薄暗さに戻った。
「ん?どっちって、そりゃあ───」
空間をつんざくような鳴動により、俺の発言は雷鳴にかき消された。音の激しさに、思わずビクリと肩を震わせてしまう。
俺の唇の動きを見ていた瑠璃は深紅の瞳を細めた。虹彩に反射する光が、わずかに強くなった気がした。
「あなたに、私は、どう見える?」
声音は先程と変わらない。だが、彼女はまるで先程までのあどけない女子高生から超然とした存在に変わってしまったようだった。これではまるで────
『吸血鬼じゃん』
思った言葉は口から出てこなかった。俺は唾を飲む。人間とヴァンパイア、彼女がどちらに見えるか?
「うーんそれよりも……」
「?」
「なんだっけあれ……そう、ハンギングフライだ!」
「ハンギン……え?」
選択肢以外の回答にきょとんとする瑠璃。実際、逆さまにスカートを垂らしながら華奢な足を天井に付けていた瑠璃の姿は、あんまりヴァンパイアには見えなかった。
「ぶら下がるシルエットからして似てるって!初めて見たときにビビっと来たんだ」
「何……?ハンギングフライって」
彼女がスカートのポケットからミストブルーのiPhoneを取り出す。透明のスマホカバーにはリラックマとすみっコぐらしのステッカーが貼ってあった。
「さすが殺人鬼さん、私が知らない事をよく知ってるんだね」
「それは今関係ないだろ……」
瑠璃が俺を窘めるように目くばせする。俺は腕を組み、一つ息をついた。瑠璃はスマホで何かを検索している様子だった。しばらくすると「きゃぁぁぁぁあっ!!」という悲鳴と共にスマホが投げ出された。
「な、何を調べさせてるの!?」
「調べたのは君だろ」
ごとん、という音と共に投げ出されたスマホには、俺の言ったハンギングフライが生々しくハエを捕食する写真が大きく表示されていた。
ハンギングフライは、長い脚と細長い翅をもつ昆虫だ。植物などにぶら下がり、飛んできたハエなどの獲物を捕食する。その植物からぶら下がる姿は、先ほどの瑠璃とそっくりだった。
「人を虫扱いしないでよ!最低!」
瑠璃は木目が残るテーブルの上に落ちたスマホをひったくると俺を睨みつけた。
「足が細い所とか結構似てて……待て落ち着け、ごめん、悪かったって!!」
俺は己の失言を後悔した。瑠璃が腕を一振りすると、俺の右腕に軽い裂傷が五か所できた。結局、瑠璃が口を利いてくれるまでに三時間かかったのだった。
****
「で、どう思うの」
「何が?」
「私が、人間かヴァンパイアか、って話」
二人には広すぎるテーブルにて、片足をテーブルの縁に乗せている瑠璃は、スマホを操作しながらさりげなくといった様子で聞いてきた。
「俺には、人間にしか見えねぇよ」
瑠璃の軽快に画面をタップする指が止まる。その目線は電子の光に向けられていた。
「なんで?」
「天井に立ったり、爪で机を切り裂いたり……人間離れした姿は見てきたけど、普通に話している感じじゃただの高校生だよ。そんだけだ」
「ふーん……」
こちらには一瞥もくれずスマホを眺める瑠璃。そこからは会話が続かなかった。それでも、俺は質問に何か意図がある気がしてならなかった。
テーブルを挟んで向き合う俺たちの前には、色のない硝子の中で光が乱反射する、風雅な取っ手が付いたグラスが置いてある。容器を満たしているのは、見つかるリスクと引き替えに、俺が近所のコンビニで買ってきた大容量の緑茶だった。
瑠璃がグラスに口を付けると、静かに一言呟いた。
「……これでも?」
「えっ?」
俺が持つグラスに入っている緑茶が大きく波立った。
ばさっ、という音が聞こえた。突風が顔面を直撃し、反射的に目を閉じる。目を瞑る直前、黒い何かが勢いよく広がるのがかろうじて見えた。
「何だ……?」
ゆっくりと目を開ける。そこには、俺を見下ろす形でテーブルにひざまずく瑠璃の姿があった。
ただし、その背には一対の翼。蝙蝠を思わせるそれは彼女の身長ほどもあった。
「……ヴァンパイア」
「ほらね」
それ見たことか、と瑠璃は呟く。彼女が右手で唇をつまむと、広げて口腔内を露わにする。わかっていたことだが、そこには人の肉など容易に切り裂けるであろう鋭利な犬歯が生えていた。
蛇に睨まれたカエルのように、俺は動けなかった。
ヒントは幾つもあったのに、女子高生だから御せるだろうと思っていた俺は、浅はかだったかもしれない。
「……私の姿を見た人は、皆慌てふためいて叫ぶの」
瑠璃が大きくしなやかな翼を畳む。その姿はまるで、小さいころ西洋文化の本で見たガーゴイル像のようであった。
「でも、お兄さんは微動だにしない」
手に持った空のグラスをひらひらさせる。獲物を視線だけで絡め捕るように、暗い中でも煌々と光るように見える、ルビーのような瞳が俺に向けられる。
「なぜ?」
この場所には怪物と人間が一人ずつしかいなかった。人間とは、もちろん俺の事だ。
呼吸の仕方を忘れたような喉から、かろうじて声を絞り出す。
「そりゃ……急な事だからびっくりするに決まってるだろ。へっ、立派な翼だな」
「それ褒めてる?嬉しい」
微塵も嬉しそうでない顔で瑠璃が言うと、テーブルの上で足を崩し、横座りになる。
「私、殺人鬼さんに会いたかったんだ。私の中には基準があって、この人はOK、この人はダメって分けてる。お兄さんはOK。吸血鬼を見ても、取り乱したりしない」
「……ずいぶんと、年相応に見えたからな。ビビる気もなくなるわ」
虚勢を張ると、俺はグラスの緑茶を一口啜る。
「ヴァンパイアってのは、本当だったんだな。最初はコスプレでもするのかと思ったぜ」
「危機感無さすぎるよ、ばーか」
「でも、言ったよな?ヴァンパイアか人間のどっちに見えるか、って」
俺はグラスを静かに置く。いくら良い食器で茶を拵えても、味が変わるという事はないと分かった。
「俺には『ちょっとおっかない人間』に見える」
瑠璃の手から、空のグラスがゴトン、という音を立てて卓上に落ちた。
「……え?」
瑠璃がきょとんとする。思わぬ反応だった。なんというか、残忍なヴァンパイアのロールプレイが剥がれたように見えた。
「悪いが俺も追われる身だ。偶然出会ったヴァンパイアもどきに構ってるほど暇じゃねぇ」
「……もどきって」
瑠璃が目を伏せる。どうやら俺の言葉には瑠璃の気に障る所があったようだ。
「もどきじゃない!私はヴァンパイアだからあんな目に!……あっ」
「本音が出たな。ごくろうさん」
彼女を人間寄りとして見ているのは本心だ。だが、彼女の問いには含みがあった。
「今後どうなるかはともかく、俺は異形だからって排斥はしねぇよ。俺の尊敬する人のポリシーだ」
胸がちくりと痛む。今はその『尊敬する人』のせいで大変なことになっているのに。
瑠璃は唇を結び、握った右手だけが震えていた。結んだ唇が堰を切ったように解かれる。
「……あなただって」
「ん」
俺への呼び方が『お兄さん』から『あなた』に変わっていることに気づいた。
「あなただって、何で警察官なのに人殺しなんかしたの!?」
俺はごくり、と唾を飲む。
山形県内外のニュースで、繰り返し流れている俺の肩書きを思い出す。
田代圭、二十五歳。殺人の疑いがあるため現在捜索中。
そして――。
職業、警察官。
現職の警察官が殺人を犯したという報道は、世間に衝撃を与えた。




