第2話 殺人鬼と吸血鬼
瀟洒な廃墟の大広間、俺と自称ヴァンパイアの女子高生が中央に据えられた長いテーブルを挟み座っている。
もっとも、和気藹々といえる雰囲気ではない。少女は椅子の上で膝を抱え、俺に背を向けたままアンティークの背もたれをぎゅっと掴んでいる。
表情を見なくてもわかる。あれは明らかに警戒している仕草だ。
「あと三メートル、離れてくれませんか」
「それじゃあもうテーブルを挟む意味ないだろ」
「入ってこないでって言ってるの。私のテリトリーに」
俺は何をしているのだろうか?警察に追われている最中、身を隠せて快適に過ごせそうな無人家屋を見つけてラッキーと思っていたのに、現在は謎の人外JKに手を焼いている。
この子は今いる豪邸の持ち主なのか?少女が嘯く通り、本当に映画でよく見るようなヴァンパイアなのか?
「本人の口から聞くしかねぇか……」
この際推測は無意味だ。俺は一つ咳払いをすると、目の前で背を向ける少女に話しかける。
「あー、さっきは悪かったよ」
「悪かった?」
「その……見えてしまったこと」
少女の肩がぴくりと跳ねる。彼女も俺がなぜ謝っているのか思い当たったようだ。よかった。
「でも黒いレースはちょっと攻めすぎ―—」
少女が勢いよく振り向いた。大きく見開かれた紅の瞳から凍てつくような視線を向けてくる。嫌悪を催すようなおぞましい物を見る目だった。……まぁ、そのおぞましい物というのは俺のことなのだが。
「眼球をくり抜かれたいの?」
「……悪い、ノンデリがすぎた」
どうやら俺には、開いた距離を縮めようとして余計に広げる才能があるらしい。余計なことを口走ったのは、黒い下着が白い肌に映えて印象的だったから……と、パンツの話はそこまでにして。
「あのさ」
「……何、ですか」
渋々といった様子で、少女がこちらを見据える。次変な事を口走ったらただじゃおかないといった表情をしていた。
「何で俺の名前を知っているんだ?面識なんてないだろ?」
それを聞いた少女の表情が消えた。長卓が互いを区切る中、ようやく会話のテーブルに着いてくれたような気がした。
「最初に言っただろ。『田代 圭さん』って。俺は君に名乗ってない」
「……ニュースで見たからに決まってるじゃん」
少女の薄い朱が乗った口元が、わずかに吊り上がる。
「今も追われてるんでしょ?殺人鬼さん」
表情とは裏腹に、紅い両目から冷ややかさが失われることはなかった。
少女の考えが見えなかった。ゆえに俺は、疑問を一つずつ解消していくことにした。
「俺、逃げてる最中にたまたまこの廃墟を見つけたんだ。でも君は違うだろ?」
俺は少女の顔を見据える。少女のわずかに開いた口から覗く歯列、その中に並んでいる犬歯だけが刃物のように鋭いことに気がついた。
「最初から俺が来るのを待っていたように見えた」
少女の眉がピクリと動いた。些か自意識過剰な仮説だったが、あながち間違いではないようだ。
「関心がね、あったの」
肘掛けを排した椅子の座面に体育座りのまま顔を上げた少女は、深い闇を湛えた紅の双眸でこちらを見据える。
「だって、自分の住んでる場所で人が殺されたんだよ?連日ニュースでやってたし。被害者の知り合いっぽい人も、ずっと泣いてた」
「それは……」
いろいろと事情があるのだ、と言っても一蹴されるのは目に見えている。だが、謂れのない容疑は払拭しておきたかった。
「これだけは誤解してほしくないから言っとく。ニュースの内容は間違ってる、俺は誰も殺していない」
一瞬、二人しか掛けていないテーブルが静まり返る。滝のように降る雨の音だけが穿つように耳朶を打った。
少女がきょとんとした顔でこちらを見る。まるで狐につままれたように数秒硬直していた。
「え?でもニュースではお兄さんがやったことになってるし、実際に人も死んでるんでしょ?」
「冤罪だ。事情はいろいろあるが、俺は殺しの罪を着せられただけだ」
窓を叩く雨音は止む気配がない。一陣、風が吹く音がすると、外で重い物が倒れる音がした。
「……うそでしょ」
少女は怪訝な表情をとる。なぜだろうか。少女は落胆している様子だった。
「いや、だって……殺人鬼なんだから平気で嘘とかつくかもしれないし、ニュースが間違ってるわけないし!」
「信用ねぇな、俺……」
予想通りというか、俺の主張は取り合ってもらえなかった。大っぴらに犯罪者だと報道されている人間が、まともな信頼を得られるわけがなかった。
「やってないのは事実だし、別にどう思われてもいいが……」
一つ気になったのは少女の動機だ。関心があったから俺に接触したといった。
(なぜだ……?)
ニュースの内容を見て甚く憤慨し、俺を罰するために馳せ参じたというのならまだ分かるが、どうやら目の前のませた少女は、正義感に駆られている様子ではない。
「腑に落ちねぇな」
これ以上問い詰めて警察でも呼ばれたら困るので、深くは追及しないことにする。
「……他に聞くこと、あるでしょ」
少女は苦虫を噛み潰したような表情をして、俺に語り掛ける。
「え?そうだな……」
ここで返答を間違えれば、少女はもう口を利いてくれなくなるような気がした。少女は自分の犬歯をなぞるように舌で舐めている。確かに、真っ先に聞くべきことが残っていた。
「君がヴァンパイアってのは本当なのか?」
少女はすぐには答えなかった。だが、一呼吸を置くと小さくうなずいた。
「そうだよ、私はヴァンパイア」
「マジで?」
「何よ、私も、お父さんとお母さん以外他のヴァンパイアは見たことない」
少女は頭を俯かせ、暗がりから目線だけをこちらに向けた。その目は先ほどとは違い、俺がどんな反応をするか窺っているように見えた。
「あー……ハロー。俺もヴァンパイアと会うのは初めてだ」
俺が気の抜けた返事をすると、少女はまるでプライドを刺激されたように眉間に皺を寄せた。
そもそも俺は友人が少ないうえ、女子高生とは道を聞かれたとき位しか喋ったことがなかった。それはコミュニケーションが上手くいかないことへの言い訳にはならなかったが。
「そうだよね、これが普通のヴァンパイアだったらお兄さん命を落としてたよ。よかったね、私で」
眉間に皺を寄せた表情を崩さず、少女は言い切る。つー、と、長いピンク色の爪でテーブルに円を描いている。対する俺は、おそらく7~8歳は年下であろう少女に対し冷や汗をかいていた。
「わ、悪かったな、気を害してしまって。俺も突然のことで困惑してるんだ」
それは本心だった。急に私はヴァンパイアですと言われても、すぐ状況を飲み込めるほど聡くはなかった。
とはいえ、百聞は一見に如かずというか、天井からぶら下がっている姿が信じる証左だった。天井と足裏がまるで磁石のようにくっつき、磁力がなくなったように落下して音もなく着地したのも確認した。
少なくとも『身体能力の高い女子高生』で片付けられる範囲ではなかった。
「何が出来るんだ?ヴァンパイアは」
少女は数秒こちらを睨むと、ぴっ、と右手の人差し指を弾いた。直後、鉋で木材を削ったような音と共に、傷一つ無かったテーブルに傷が刻まれていた。定規で引いたようにまっすぐで、深さは五ミリほどもありそうだった。
「私の爪はナイフのように鋭いんだよ」
「……便利そうだな、いろいろと」
「全然。ネイルが出来ないから最近は要らないって思ってる」
「そこかよ。……あー机勿体ねぇ」
新品同然の机だったのに、立派な傷が刻まれてしまった。家主に怒られはしないだろうか……
「自分の身より机の心配?やっぱり、殺人鬼っていかれてるんだね」
少女が半分呆れた表情でこっちを見る。彼女の俺に対する捉え方は、『殺人鬼』に決まったらしい。
「だから殺してないって言ってるだろ」
「口では何とでもいえるじゃん」
「困った、濡れ衣を晴らす手段がねぇ」
少女は答えず、爪で作った傷を指先でなぞる。
どうやら訂正する気はないらしい。それにしても、俺を殺人鬼と認めたのであれば、人殺しを前にして平然としすぎではないか。
俺は目の前で座る女子高生が、自分より大きな存在に見えてきた。
「……まあいい。それより、俺はここにいていいのか?しばらく滞在しようとしているんだが」
「何が?」
「この廃墟だよ。君の家じゃないのか?」
「家出してきたんだもん。私の家な訳ないじゃん。おばかさん」
「知らんて。というか、二人そろって不法侵入かよ……」
勝手にここを使ってしまってよいのか?見たところこの家にも周囲にも人の気配はない。
「大丈夫。私の隠れ家だから。誰にも知られてないよ」
少女は目を伏せた。勢いを増す豪雨は、この館ごと俺たちを守るベールに思えた。
「……そうか、そういうことにしとこう。変にちょっかい出すなよ、ヴァン子」
俺が適当に付けた愛称で呼ぶと、表情が一瞬呆け、ゆっくりと不満を表す形へと変わっていった。
「……ルリ」
「ルリ?」
「神室 瑠璃。私の名前。ヴァン子はない。終わってる」
少女——瑠璃は深紅の双眸で俺を睨む。
「瑠璃……」
濃青色を表すその名前は、少女が持つ深い紅色の瞳と対照的だった。
「いい名前じゃねぇか」
「そう思うなら名前で呼ばないでほしい」
「なんでだよ……」
思春期というのは気難しい。偶然出会ったのが子供でよかったと思う反面、彼女への扱いづらさも感じていた。
吸血鬼だということを除けば、本当に普通の女子高生にしか見えない。ただし、気を抜いたら取って食われる。そんな危うさも彼女から感じていた。
「瑠璃ちゃんは家出して戻らないのか?」
「ちゃん付けだけは本当にやめてほしい、気持ち悪い」
「……わかったよ。瑠璃は家出して大丈夫なのかよ?」
瑠璃はすぐには答えなかった。
膝を抱えたまま俯き、しばらく自分の足元を見つめている。
やがて、ぽつりと口を開いた。
「……ねえ」
「ん?」
瑠璃が顔を上げる。
先ほどまでとは違う、妙に真剣な目だった。
「私はヴァンパイアと人間――どっちに見える?」
窓の外で、雷光が点滅するように迸った。




