第1話 俺は殺していない
「来週からは雲もなくなり、日が差すでしょう。以上、山形県の天気でした」
「くそっ、晴れかよ。気分悪い」
俺は悪態をつくと、ジャンパーに付いているフードを目深に被りなおす。晴れの日は嫌いだ。肌を焼くような日差しには耐えられない。休みの日も日中はカーテンを閉めているのが習慣だった。
「お天気の後はニュースです。木原さん~」
ひな壇のように並んだ十数台のテレビが一斉にニュース画面へと切り替わった。画面の向こうにいる彫りの浅い男性キャスターが抑揚のない声でニュースを読み上げる。
「えー、続きましては、山形県山形市で起こった殺人事件について、被害者は峰 孝和さん36歳……」
「やべっ!」
俺はそそくさと家電量販店を後にする。去り際に見たテレビには、俺の顔が映し出されていた。免許証にしか載っていない顔写真が、十数台のテレビ全てに映っていた。
「何で俺がこんなことに……」
曇り空の下で携帯を点けると、通知欄に『未読9件』と表示されていた。家族や数少ない知り合いからのLINEだった。言い方は異なるが内容は全て同じ。『なぜ殺しなどやったのか』。
「俺は殺しなんかやってねぇ!!」
閑散とした駐車場、声を押し殺した叫びは誰にも聞かれることはなかった。
「はぁ……どうしろってんだよ。アパートにも帰れないし」
一人暮らしの俺は、ある騒動の後、乱雑に物が置かれたアパートから必要なものだけを持ち去り、今は市内を転々としている。
ホンダのPCX125にまたがり、別の場所へ行こうとする。当てなど、当然なしだ。セルを押すと、ぶるるぅん、と単気筒のエンジンが乾いた音を立てた。
「警察が優秀か無能かのどっちかだな、俺の命運が分かれるのは……」
アクセルを開ける前に、反射的に左右を見た。パトカーが見えないことを確認してから、ようやく発進する。
交差点を曲がるたび、バックミラーを見る回数が増えていた。
「早く解決してくれ……あったかい鍋が食いたい」
ヘルメット越しだが涼やかな空気が頭皮を撫でた。バリカンを自棄になったように滑らせ、髪を残らず剃ったのは、生まれて初めての経験だった。メガネをかければもはや別人だ。ミラーに映る知らない人間を見ながら、俺は法定速度ギリギリでバイクを走らせる。
「殺人容疑で逃げているのに、速度違反で捕まるなんて笑えねぇしな……」
俺は運転しながら右手を見る。市街地と繋がっていたトンネルを抜けると、道の両側が一気に田んぼになった。水田には、刈り取り前の稲が背高に広がっており、青草の匂いがする。田んぼの向こうは手つかずの森が広がっていた。
ちなみにこういうところには地図に載っていない神社があったりする。俺は目を凝らすと、杉林の隙間から白い壁が露出しているのを見つけた。
「いいな、あれ」
目線の先には森に囲まれた廃墟が確認できた。山形とあるように、この場所は山と森ばかりだ。木を隠すには森の中というが、人や廃墟を隠すにも十分な面積があった。
「気乗りしねぇが、あそこを目指すか……」
俺は右にウィンカーを出し、俺以外のエンジン音が聞こえない事を確認すると、勢いよく右折する。先が見えない今後のことを考えては、悶々としていた。
「……ん?」
ふと、上空に何かがよぎった気がした。小柄な蝙蝠に見えたが、それにしては、鶴のように幅広な羽根を広げているようにも見えた。
「……追われる立場って、架空の敵とか作り出しちまうんだな」
いきなりの異常事態に気が滅入っているのだろう。ぽつんと俺だけしかいない道路で、一つ深呼吸をする。赤から青に変わった信号とともに、俺はバイクのアクセルを入れた。
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「結構、綺麗だな」
俺は門の脇にバイクを停め、正面に立った。錆びついた門を抜けると、高さより横幅の方が広い屋敷が現れた。青灰色の壁に所々ナツヅタが這っている廃墟は、二階建てで格調高いものだった。住んでいた人間が金持ちだったのだろうか。生活感はあるが汚れや乱雑さなどは無い。俺の部屋とは比較にならないほど、手入れが行き届いていた。
「これなら普通に暮らせるまであるな……助かった」
雨風をしのげ、身を隠せれば十分だった。この初秋の季節、森林には虫がわんさかといるためまともに滞在すらできず、市街地は人に見つかるリスクと背中合わせだ。
「当面はここに滞在して、風呂とか洗濯、食事はネカフェで済ませるか……?貯蓄も十分だし。それができればいいんだが」
現実的な方針を口にしたが、理想的な逃亡プランであるように思えた。先ほど利用したネカフェは無人レジであった。戦々恐々としながら利用したが、ゆっくりとシャワーを浴び、誰にも顔を見られず退店までできた。ちゃっかりドリンクバーと料理サービスも利用したほどだ。
「お邪魔します……」
誰が聞いているわけではないが、俺は両開きになっている玄関のドアノブに手を掛ける。きぃ、という蝶番が擦れる音とともに、すんなりと扉は開いた。施錠されていることを覚悟していたので、嬉しい誤算だった。
「すっげ、ホテルみたいだ」
正面には二階へ続く幅広い階段があり、思わず目を奪われた。ドアの内側には一種の芸術品のような光景が広がっていた。
開放的な屋内を見て、自然と視野が広くなる。控えめだが高貴な装飾が施された壁紙に、俺の両腕には収まりきらないほどのシャンデリア。濃い飴色の木製テーブルはシミひとつなく、椅子が几帳面なほど等間隔に並べられていた。
「狭いアパートよりここに住みたいくらいだ……」
棚からぼたもちというのだろうか。ここでなら、数週間とは言わず数年は滞在できる。クモやゴキブリなどはさしたる問題ではなかった。
「問題は、誰かにここを嗅ぎ付けられるかどうかだな」
木々にカモフラージュされた豪勢な屋敷。周囲に人は住んでいないようだったが、この豪邸が誰かの所有物である、あるいは誰かが管理しているという線は大いにあり得た。
「ともかく、落ち着ける場所があってよかったぜ……」
俺は二十人は囲めそうな華美なテーブルに手をつき、椅子に腰かける。家主の交流関係が広かったのだろうか。ふぅ、と一息つくとスマホを取り出しニュースを大雑把に眺めた。幸い、目に入った中には俺を容疑者として報じるニュースはなかった。検索をすればいくらでも出てきそうだが。
「すげぇ、机もシャンデリアも下ろしたてみたいだ」
指で机をなぞっても、埃一つ付かなかった。壁や柱は所々風化しているが、まるで外部から時間が隔絶されたような、廃墟とは思えない清潔さだった。
ぼうっと窓を眺めていると、窓にぽつぽつと水滴が付き始めた。それにつれて屋根を叩く雨音が聞こえる。軽快な雨音はやがてバケツをひっくり返したような轟音に転調。雷と雨滴の音が重なり合うが、自然と心地よさを感じる。
「いいねいいね。雨の日は良い。外に出なくてもよいし、おまけに今は警察の捜査も足止めできるだろう」
とても出歩こうという天候ではなかった。ましてや、人探しならなおさら。
ぴしゃあっ!と白光とともに雷が落ちる音がした。窓から入る光が、部屋内の調度品を写真のネガのように影として切り抜く。
「っ!!」
俺は見逃さなかった。その中に人影が一つ混ざっていたことを。
「家主かっ!?」
俺は周囲を見渡すが誰もいない。しかし、影の主は思いもよらぬ方向から声をかけてきた。
「田代 圭さん、だったかな?ふふ、会いたかった」
俺は降りてきた声の方向——つまり真上に顔を上げる。
そこには、ありえない光景が映っていた。
女子高生だった。近隣の生徒が着用している制服を身に着けているため一目でわかった。病的に白い肌に整った顔立ち。両目は深い紅を湛えていた。鈴尾の房のように、切り揃えられた髪が整然と真上に逆立っていた―—否、少女が天井に足を付け、蝙蝠のようにぶら下がっていたのだ。
「なんだ……!?幽霊?」
「ヴァンパイアです。私は」
「ヴァンパイア……だと?」
子供の冗談だと思った。朝のニュースで見たが、巷ではコスプレなどが話題になっているという。人間離れした赤い眼や作り物のような紅色の髪は、コスプレの一環。目に入った少女から、俺はまっとうな説明を組み立てた。だが、まるで天地が反転したように、天井へと足を付けている理由は、どう考えても説明できなかった。
「……とにかく、いろいろ混乱しているんだけど、一つだけいいか?」
「何?殺人鬼さん」
俺がどういう扱いになっているのかも知っているのか。だが、彼女の名誉のために指摘しておく。
「パンツ、丸見えだぞ」
「え?あっ……」
彼女の髪と一緒に、スカートも重力には逆らえなかったようだ。彼女が自分の足元を見る―—この場合は上を向くとなるのだが。
彼女の白い頬にどんどん赤みが増す。そして右手でスカートをがばっ、と押さえると、憤懣に満ちた顔で俺の方を睨む。
「最低…!変態!捕まれっ!!」
「理不尽すぎないかっ!?」
都内では女性にAEDを使っただけで痴漢扱いされる、なんて噂を聞いたことがある。真偽は知らないが、今ならその理不尽さだけは想像できた。




