パラケルスス編④
ノビーは錬金塔に篭り、薬の製造を開始する。製造には深い集中が必要となるため、ダリアンらは館で薬理試験に使う鼠捕りの使命を与えられた。最後の使命が鼠捕りと悪態を吐くダリアンだったが、これまでのノビーの言動を振り返り、それなりに助手として認識されていたことから、いたずらに使う毒茸を山中に捨てて帰ってきていた。一日目――ダリアンらは塔で見かけていた鼠を探すが、上手く見つからない。二日目――館の中で巣を見つけ、協力して追い詰めるが上手くいかない。三日目――彼女らはフォーメーションを開発し、その練習に費やした。そして四日目――彼女らはその卓越した運動神経と練習したフォーメーション連携によって見事一匹の鼠を捕まえたのだ。しかしその鼠はノビーがいっていた「黒い鼠」ではなかった。彼は薬理試験の際に前回の結果と比較するため、自分が意識を失っている間に逃げ出した鼠も捕まえてほしいと頼んでいた。ダリアンは自分の使命を最後まで全うするため、「白い鼠」の捜索に取りかかった。
ノビーが塔から出てきたのは製造から一週間後だった。ダリアンらはそれまでに残りの白い鼠も捕まえていた。ノビーの作った薬液が鼠に浸透していき、白かった毛皮はミレニアの肌のように黒色の様相を呈していき、最終的にはノビーの肌のように漆黒に染まる(ミレニアは茶褐色)。それが前回の試験結果と同一であることから薬の製造は完璧に行われたと結論づけ、ノビーらはその日のうちにパラケルススの待つ大聖堂へと向かった。
ノビーらが向かうと、パラケルススは自室のさらに奥、実験室にて待っていた。ノビーが薬を渡すが、パラケルススは最後の条件だといって、ノビーの体を再構築する際にこの薬液を混ぜると宣言した。それはきわめて危険な行為であり、似たような実験でガラス管の中で泡となって消えた彼の妻と同様の末路を辿るかもしれない危険な賭けだった。ダリアンはやはり怪しいと思っていたと、パラケルススの蛇のような目を睨みつける。ノビーは自分に残された道がそれしかないと悟ると、快く承諾した。ダリアンが止めるが、元々彼は自分の腕にケイラス細胞を二度も注射するような男なのだ。元から覚悟は出来ていたとノビーはパラケルススに告げる。パラケルススはノビーの覚悟を受け取ると、ダリアンらに部屋を出るよう言った。これから行われる行為は人には見せられないとその技術の秘匿性の高さを説明した。ダリアンは睨みつけながら退出するが、その心の奥底ではノビーの末路に強い関心を抱いていた。どのような結末になったとしても、彼女が奇天烈な日常を送り、それを支援した人物として心に残り続けることは間違いない。
数十分、数時間が経ち、ダリアンはこっそり部屋を覗く。するとすでにノビーの姿はなく、壁に埋め込まれた巨大なガラス管の中で銀色の物体がもぞもぞと蠢いているのが見えた。パラケルススはもう行為は終わったとあとは待つだけだと告げ、ダリアンは何をしたのかと尋ねる。
「あなた何をしたのよ」
「フフフ……(パラケルススが笑いながら退出)」
さらに数時間、ガラス管の中のノビーの姿が人間に近くなっていく。彼が以前自身の精神の中に持っていた人間だった時の姿が、ガラス管の中で奇妙に再現されていく。
「もう大丈夫だろう……人間には戻れた。しかし、不老化しているのか……そこが重要だ」
ガラス管の中のノビーの姿が完全に人間になった。三十代くらいの中年の男性であり、体は筋肉質で丸まるようにガラス管の中で浮いている。
(これがノビー……)
ダリアンは最後のその時まで今まで牛頭の異形として関わってきたノビーを見守った。内心、毛深い男性であることに嫌悪感を抱いていたが、不思議と嫌ではなかった。
ガラス管の中でノビーが目を覚ますと、パラケルススが壁に埋まった上部の足場から手伝ってノビーを引き上げる。ザバザバと水を滴らせるノビーに、パラケルススは幾つか質問をした。彼は死を隔てており、精神体が無事に定着したのなら、彼の仮説どおり記憶を継承しているはずだからである。
「名前はわかるか?」
「私は……誰だ……?」
その言葉を聞いたダリアンは背筋が寒くなる。パラケルススはなぜだと肩を揺さぶる。するとノビーはダリアンを指差し「ダリアン……」と呟き、パラケルススを指差し「パラケルスス」と周囲の人物の名を口にする。そして「私は……」と自分の名前だけがわからないとパラケルススが予測すると、ノビーは自分の名前を口にする。パラケルススは呆気に取られ、ノビーは直前で条件を追加した仕返しだといった。彼は精神をきちんと引き継いでいたのである。記憶を失うこともなく、パラケルススは深い溜息を吐いた。
「何と幼稚なことを……」
しかしパラケルススはノビーの肉体が正常に作用しているのを見て、今後は検証の段階であると一段落した旨を述べる。
ノビーは自分の手の平を見つめ、精神が実在することに深い感銘と驚嘆を覚えていた。不老化細胞と混ぜ合わされたノビーの肉体は不純物がなく、完全に人間の形状を保っている。ミレニアのように黒くなることもなく、完全にその身体と同化しているように見えた。ノビーは無事に戻ることができた。ダリアンはとりあえず服を着ろと呆れる。
ダリアンはこの髭を蓄えた男の行く末を見届けられたことに強い満足感を覚えた。ノビーは体にバスタオルを巻き、居間へ戻る。皆ノビーの本当の姿に深いショックを受けている。パラケルススが今後の予定について聞く。ノビーは不老の検証には時間が掛かるとし、それまでほかに興味を抱いていたことを消化しようと思っていると述べた。彼の本来の目的は不老不死の研究であり、その目的が達成された今、彼は念願の余生を過ごすことになる。しかしダリアンたちとの約束を忘れたわけではない。そのことをダリアンに告げると、「はいはい」と生意気に手を挙げるのだった。
ノビーが研究を終えて数日したころ、ダリアンらと別れ、ダリアンらはとっくに自分らの家に帰っているものだと思っていた。秘密基地から物音がする。不穏な話声、嫌な予感は的中し、その部屋にはダリアン姉妹が居た。ノビーは約束と違うと窘めるが、ダリアンは約束は「もう二度とノビーの前に姿を見せない」だったと挙げ、今この状況はノビーが自ら部屋に出向いて姿を「見た」のであると屁理屈を述べたのだ。ノビーは眉を顰めるでもなくたしかにそのとおりだと納得してしまう。彼は理屈っぽいところもあり、妙な納得感と僅かな居心地の悪さが彼の心に渦巻いていた。ノビーは彼女らを追い出そうとはせず、むしろそれが逆効果になってしまうとわかっていた。だからノビーは彼女らに三日に一度帰れと新たな使命を与えたのである。




