ありがとう
光の、輪の中。
私は——息を、ひとつ、吸った。
そして。幕が——開く。
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まず、私は——母に、なる。
背筋を伸ばし、声をやわらかく。
『おいで。今日は、何して遊ぼうか』
次の瞬間、私は子になる。身体を小さく、声を高く。
『ねえ、おかあさん! あのね、あのね——!』
たった一人で、母と子を演じ分ける。そこに、いるはずのない二人の姿が。暗闇の中に、確かに——浮かび上がっていく。
ささやかで、あたたかい——親子の、日々。
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けれど。その日々に——影が、差す。
戦争が——始まったのだ。
昼は、空襲。逃げ惑い、身を隠す日々。
二人が、ほっと息をつけるのは——夜だけ、だった。爆音が、やむ。闇が、何もかもを、やさしく覆い隠す。母の腕の中で、子は。ようやく——眠りにつける。
夜は。二人にとって——たった一つの、安息だった。
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でも。ある夜。
子が、ぽつり、とこぼした。
『……ねえ、おかあさん。どうして。どうして、わたしたちばっかり——こんな、目に、あうの』
母は、すぐには答えなかった。ただ静かに、子を抱き寄せて。ゆっくりと——語りはじめる。
「……そうね。わたしたちが生きる、この世界は。理不尽なことで、あふれてる。人間なんて、ちっぽけで、弱くて。こんなにも簡単に、壊されてしまう」
「その理不尽さが——まるで、永遠に明けない、闇みたいに、感じるときも、ある」
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——闇が。ぴくり、と、動いた。
『……そうだ』
低く。吐き捨てるように。
『その、通りだ。人間も、世界も。何もかも——理不尽で、醜い。だから、俺は——』
でも、母の声は続く。
「でもね。ほら——空を、ごらん。こんな夜でも。星は——綺麗でしょう?」
「あんなにも、きらめいて。わたしたちの状況なんて、お構いなしに。この世界は——残酷なほど、美しいの」
「あんなに綺麗に輝いているのは——この、真っ暗闇が、あるおかげなの」
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——闇が。はっと、息を、のんだ。
『……何を、言って』
明らかに、動揺した声。
闇が、あるから。光は、輝ける。それは——いつか、回想で見た。兄が、弟にかけた言葉と。あまりにも——重なっていた。
「起きてしまうことは、変えられない。でも——どう生きるかは。変えられるのよ」
「気づかずに生きることも。気づいて、美しいと思いながら生きることも。どちらも、わたしたちは——選べるの」
母の声が。やさしく——震える。
「だからね。あなたには。この”命”という煌めきを。最後まで——感じて、いてほしい」
「呑まれないで。最後まで——あなたで、生きていてほしい」
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——闇が。びくり、と。大きく、震えた。
『……呑まれ、ないで……』
その言葉は。闇の、いちばん——触れられたくない、場所を。まっすぐに——抉った。
(……呑まれたのは。俺だ。最後まで、自分で——いられなかったのは)
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母は、子の頬を。そっと——撫でて。最後に、こう——付け加えた。
「それにね。こんな暗闇の中に、小さく、健気に光って。そんな存在を、美しいと——思えたなら」
「それは。あなたの心に。ちゃんと——希望を、持てた証よ」
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『……っ、——!!』
その、瞬間。
闇の、脳裏に。
ふっと——あの子の、笑顔が。浮かび上がった。
夜の闇の中で、誰よりも無邪気に。笑って、いた。あの——光のような、女の子の。
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やがて。蓄えていた食料が、底をついた。
このままでは、二人とも——飢えてしまう。
母は、子に「待っていて」と言い残して。危険を承知で、昼の街へと——食べ物を、探しに出た。
でも。
その昼。空が——爆音に、引き裂かれた。
空襲。逃げ惑う、人々。そして——母は。その中に、巻き込まれて。
二度と——帰って、こなかった。
『——おかあさん。おかあさん……っ』
子は、来る日も来る日も——待った。でも。いくら待っても、母は——戻らない。
もう二度と、あのあたたかい腕は——帰ってこない。
その現実に、子は——泣き崩れた。声が、嗄れるまで。何度も、何度も。母の名を——呼んで。
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その、夜。
子は。独り、横たわって——泣いていた。
『……おか……ぁさ……ん……』
涙が、止まらない。もう、何も——見たくない。そう、思った——とき。
ふと。
その手に——月明かりが、落ちてきた。
子は、ゆっくりと——空を見上げる。そこには。あの夜と、同じ——満天の、星。
『……ほんとだ』
弱々しく。それでも——子は、笑った。
『こんな夜でも……ほんとうに……綺麗だ、なぁ……』
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それから、子の身体は——どんどん痩せ細っていった。
病。飢え。次々と、襲いかかる——理不尽。
それでも。子の心だけは——折れなかった。
道端に咲いた、小さな花に微笑む。夜空を、流れる星に——手を伸ばす。ささやかな楽しみを、見つけては——笑ってみせた。
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——闇が。じっと。その姿を、見つめていた。
病を、抱えながら。それでも、夜に楽しみを見出していた。あの——光のような、女の子に。
重なる。どうしようもなく——重なって、いく。
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そして。
痩せ細った子は、震える手で。何かを——書いていた。手紙のような、何かを。
でも。次の瞬間。
ぱたん、と——その手が、落ちた。
『……もう、真っ暗で。何も、見えないや』
掠れた声。それでも、その口元は——かすかに、笑っていた。
『……でも。ありがとう。わたしは……この世界に、生まれて。いろんなことを、知れて……よかった』
『…………ありがとう』
その言葉を、最後に。子は——静かに、動かなくなった。
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暗闇に。静寂が——満ちる。
私は。深く、深く——頭を、下げた。
「……この演目は、これで——おしまいです。見て、いただいて。ありがとう、ございました」
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『…………』
ずっと黙り込んでいた——闇が。小さく、声を漏らした。
『……なんで、だ。あの子は。どうして……死ぬ、間際に。“ありがとう”なんて——言えたんだ』
震える、声。そして、闇は——ぽつり、と呟いた。
『……あの子も。俺が、見ていた——あの子も。最期に……笑って、いた。炎の中で。俺を、見て。ありがとう、って——』
ずっと、固く閉ざされていた——心。その奥の、いちばん深いところが。今——確かに、震えていた。




