城の、門
私たちは、城へと急いだ。
街は、異様な静けさに包まれていた。人影は、ない。みんな、家の中に逃げ込んだのだろう。窓の隙間から、怯えた目が。こちらを——うかがっている。賑やかだった市場も、屋台も。今はもう、固く戸を閉ざしている。
いつもなら、この時間は。子どもたちの笑い声や、物売りの威勢のいい声で。あふれていたのに。今は——不気味なほど、静かだ。
空を見上げれば、城の上に——あの、闇。ごうごうと渦を巻き、じわじわと大きくなっていく。一刻ごとに、その禍々しさを——増しながら。
まるで——巨大な生き物が。空に口を開けて、この世界を丸ごと——呑み込もうと、しているみたいだった。
(……間に合って)
祈るように。私は、足を速めた。
遅れたら。あの闇に、王様が——イザベラの、お父さんが。完全に呑み込まれてしまう。そうなったら——もう、救えない。
-----
やがて。城の、大きな門が——見えてきた。
近づくにつれ、空気が重くなる。肌に、ぴりぴりと。闇の圧が——突き刺さるようだ。息をするたびに、喉の奥に苦いものが絡みつく。さすがのユリウスも、険しい顔で。剣の柄を、握りしめている。
ピピが、私の肩で。ふるふると震えていた。フェンの毛も、逆立ったまま。シルヴィアでさえ、緊張に——表情を、こわばらせている。
それほどまでに、この場所の闇は。濃い。
その門の、前に。
ぽつん、と。一人、立っている——人影が、あった。
(……あれは)
蜂蜜色の、髪。見間違える、はずもない。
「……フレデリカ、お姉様!?」
-----
「——っ、やっぱり、ここに来ましたのね!?」
フレデリカお姉様が。こちらを見るなり——駆け寄ってきた。
いつもの、つんと澄ました顔は、どこにもない。その表情は——怒りと。それから、隠しきれない心配で。ぐしゃぐしゃに、なっていた。
「城は、こんな——大変なことに、なっているし! あなたは、出かけたまま。ちっとも、帰ってこないし——! わたくし、どれだけ……っ」
言いかけて。お姉様は、はっと口をつぐむ。それから。ふい、と——顔を、そむけた。
-----
「……べ、別に。心配なんて、していませんわ。ただ——グリュンヴァルト家の、人間が。こんな、騒ぎのときに。行方知れずだなんて。外聞が、悪いでしょう」
(……お姉様)
ああ。やっぱり、この人は——。
口では、いつも。つんけん、しているけれど。本当は——いつだって。私のことを、心配してくれていた。こうして、危ない場所まで——探しに、来てしまうくらいに。
ふと。元の世界の、妹を思い出す。
二つ下の、生意気な妹。「お姉ちゃんなんて」が口癖で、いつもつっかかってきて。でも——私が落ち込んでいると。こっそり、机に。お菓子を置いていくような、不器用な——優しさを、持った子。
お姉様の、ツンと尖った態度の奥にある優しさが。あの子と重なって——胸の奥が。じんわりと、あたたかくなる。
同時に。もう会えない、あの子を思うと。少しだけ、胸が——痛んだ。
-----
「お姉様。来てくれて、ありがとうございます。でも」
私は。お姉様の目を、まっすぐに見た。
「ここは、危険です。この先は、わたしたちでなんとかします。お姉様は。どうか——安全な、ところに」
「なっ……」
お姉様の顔が、さっと曇る。
「な、何を、言って。あなたを、こんな危ない場所に残して。わたくしだけ、逃げろと——?」
-----
その声には、本物の怒りと。そして——譲れない意志が、こもっていた。
でも。私だって、お姉様を——こんな闇の中に、巻き込みたくない。
「……お願いします。お姉様に、もしものことが、あったら。わたし——」
「…………」
しばらく。お姉様は、唇を噛んで。じっと、私を睨んでいた。やがて、深いため息を——一つ、ついて。
-----
「……わかり、ましたわ。でも——お屋敷には、戻りません」
「お姉様……!?」
「せめて——城の、中の。安全な、部屋で。待たせて、ちょうだい。こんなところで、おとなしく屋敷に帰れるほど。わたくし——薄情では、ありませんわ」
「で、でも、それは……」
「……約束します。危険を、感じたら。すぐに——逃げます。決して、無茶は、しません。だから——ね?」
その、まっすぐな瞳に。私は——気圧される。これ以上は、何を言っても——引かないだろう。
「……わかりました。じゃあ、城の中の、安全な場所で。絶対に——危なくなったら、逃げてくださいね」
「ええ。約束、しますわ」
ふと、お姉様の瞳が。揺れる。つんとした態度の——奥から。本当の気持ちが、こぼれ落ちるように。
「……無理だけは、しないで。絶対に。あなたが、無事で帰ってくることだけを。わたくし——信じて、待っていますから」
-----
「……はい。ありがとうございます、お姉様」
私は、深く頷いた。
お姉様は。もう一度、何か言いたげに私を見て。それから、ぎゅっと唇を結んで——踵を、返した。
お姉様が。城の、安全な方へと。歩いて、いく。その背中が、いつもより。少し、小さく見えた。
私は。その背中が——見えなくなるまで。じっと、見送って、いた。
もしかしたら。これが——最後に、なるかもしれない。そんな、考えが。ふと、よぎって。あわてて——打ち消す。
(……必ず。帰ります。お姉様)
心の中で。そう——誓う。
-----
「……ねえ」
ふいに、イザベラが。私を——呼んだ。どこか、ためらいがちに。
「ずっと……聞きたかったことが、あるの。あの、闇に。意識を、奪われていたとき。朧げで……はっきり、しないのだけど」
イザベラの瞳が、私をじっと見つめる。
「シルヴィアが……二人、いるように。見えたの。一人は——わたしの、知っている、シルヴィア。でも、もう一人は——」
-----
イザベラが。言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「今の、あなた。同じ顔なのに……雰囲気が、話し方が。わたしの知っている、シルヴィアとは。どこか——違う。……あなたは。本当は——シルヴィアじゃ、ないの?」
(……ああ)
やっぱり。気づいて、いたんだ。
私は、少し迷って。でも——この子には。正直に、話そうと決めた。
-----
「……うん。わたしは、シルヴィア本人じゃ、ない」
私は、静かに頷いた。
「わたしは、緑。事情があって——シルヴィアの身体を、お借りしている。ややこしい話だけど……でも」
イザベラの顔が、さっと青ざめる。じゃあ、シルヴィアは——と。そう言いかけた、その前に。私は——続けた。
「シルヴィアは。消えて、なんかいない。あの子は——精霊に、なったの。今も、ちゃんと、ここにいる」
-----
「……精霊に?」
「うん。さっき、あなたを光で包んでくれた、あのシルヴィアが。本物だよ。姿は変わったけど、あの子の優しさも。あなたを想う、気持ちも。何も——変わってない」
「……シルヴィア」
イザベラの瞳に、じわりと涙が滲む。けれど、それは。さっきまでの、絶望の涙とは——違った。
大切な親友が、失われていなかった。その——安堵の、涙。
-----
「……そっか。よかった。シルヴィア……生きてるんだ」
イザベラが、涙を拭って。ふっと——微笑む。
その顔は。もう、出会った頃の——刺々しい悪役令嬢の、ものでは、なかった。
私は、胸があたたかくなるのを感じた。
さあ。話は、終わり。
-----
私は。改めて、城の門を見上げた。
渦巻く、闇。その奥に、すべての元凶が——待っている。闇の、精霊王。そして——囚われた、王様。
怖くないと言えば——嘘になる。あの闇の、圧は。今まで戦った、どんなものより——桁違いだ。
でも。
私には——守りたいものが、ある。イザベラの、笑顔。お姉様の、待つ、約束。この世界の、人たちの——暮らし。そして——シルヴィアが、託してくれた、想い。
ぎゅっと、指輪を握りしめる。胸の奥で、精霊王の力が。あたたかく——応えてくれた。一人じゃ、ない。
ユリウスが、剣を抜く。イザベラが、拳を握る。シルヴィアが。ピピが。フェンが。そして——私の中の、精霊王が。静かに、力をたぎらせる。
「……行こう。みんなを——救いに」
私たちは。最後の戦いの舞台へと——足を、踏み入れた。




