精霊王
「……時計台へ」
私は。城の方を睨んだまま、呟いた。
「あの闇に、立ち向かうには。今のままじゃ、足りない。……精霊王に。会いに、行かなきゃ」
あの、時計台の精霊王。ずっと私を見守り、導いてくれた存在。あの方となら、きっと、契約を結べる。今の、私なら。
ユリウスが、頷く。イザベラも、涙を拭って立ち上がった。
「わたしも、行くわ。……おかあさまが、守ってくれた、この世界を。今度は、わたしが」
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私たちは。草原を——駆けた。
城へ向かう闇は、刻一刻と。その勢いを増していく。一刻の、猶予も、ない。
たどり着いた時計台は、あの日と同じように。静かに、そびえていた。けれど、その空気は。前よりずっと張り詰めている。遠くの闇に、呼応するように。
私は。塔の根元に立ち、そっと手鏡を握りしめた。
「精霊王……! いますか。わたし——契約を、結びに、来ました」
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塔が。ふわり、と——淡く、光る。
『……来たか』
あの、荘厳な声が、響いた。深く、重く。けれど、どこまでも優しい。大地の底から、響くような。
『すべてを、知ったのだな。手帳の謎も。お前の根も。そして——なお、前へ進むと、決めた』
「……はい」
私は。まっすぐに、光を見上げる。
「全部、知りました。わたしが、なぜここにいるのか。シルヴィアが、何を願ったのか。……それでも。わたしは——この世界を、守りたい。だから——あなたと、契約を」
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『よかろう』
精霊王の、声が。あたたかく——響いた。
『あのとき、我は言った。“まだ早い”と。自分の根を知らぬうちに、契約を結ぶのは。お前のためにならぬ、と。……だが、今のお前は、違う』
光が。いっそう、強くなる。
『己が何者かを知り。重き真実を背負い。それでも、なお。誰かのために、立とうとしている。……見事だ、緑。今こそ——我と、契約を、結ぶに、ふさわしい』
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光が、私を包み込む。
あたたかくて。どこまでも、深い。海の底のような、空の果てのような。そんな、途方もない大きさの——光。
私の中に、何かが流れ込んでくる。指輪が、応えるように熱を持つ。私の魂と、精霊王の力が。そっと——結ばれていくのを、感じた。
(……繋がった)
胸の奥に。ぽぅ、と。あたたかな灯が、ともる。心強い。一人じゃ、ない。そう——思えた。
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『……うむ。お前と、契約を結ぶのは。これで、二回目だな』
「……え?」
二回目? 何を、言って——。
『ははっ。厳密に、言うとな。一回目は——シルヴィアだ』
「——ええーーっ!?」
思わず。素っ頓狂な声が、出た。
(シ、シルヴィアも!? この方と、契約してたの!?)
ぜんぜん、知らなかった。びっくりして、隣を見る。
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『——さて』
その、ときだった。
光が。ゆっくりと、形を結びはじめる。
(……え?)
淡い光が、人の輪郭をかたどっていく。
そして——目の前に。一人の、人影が、立っていた。
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息を——呑んだ。
銀の、糸のような髪。月の光を集めたような、白い肌。切れ長の瞳は、深い湖の色。年は——若く見える。けれど、その佇まいには。何千年もの時を見てきたような——途方もない荘厳さが、宿っていた。
人間離れした、美しさ。思わず、見惚れて。声も、出ない。
『驚かせたか。……これが、我の、姿だ』
精霊王が。初めて——その姿を、現した。
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ふと。私の、隣で。
シルヴィアが——息を、のむ気配が、した。
その瞳が、揺れている。何かを懐かしむように。けれど、何も——言わない。ただ、じっと。精霊王を、見つめていた。
(……シルヴィア?)
どうか、したのかな。そう思った、けれど。今は、それを聞いている——余裕は、なかった。
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『緑。契約は、成った。我の力、存分に——使うがいい』
「……はい! ありがとう、ございます」
心強い、味方が、増えた。これで、あの闇にも立ち向かえる。
そう、思った——そのとき。
精霊王の表情が、ふと翳った。城の方角を、じっと見つめて。
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『……あの、闇』
精霊王の、声が。低く——沈む。
『お前たちには。告げて、おかねば、なるまい。あの城に——集おうとしている、闇の、正体を』
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精霊王の声は、精霊士である私にしか届かない。ユリウスにも、イザベラにも。聞こえて、いないはず。
大事な、話だ。二人にも、聞いてほしい。
「フェン。お願い。二人に——精霊王の声を、届けて」
私が、頼むと。フェンは。ちらり、とこちらを見て。
『……ふんっ。稲荷寿司、な』
「えっ、こんなときに!? ……わ、わかった。あとで、いっぱいあげるから」
『言ったな。……まあ、いい。任せろ』
フェンが、やれやれ、と尻尾を揺らして。ふわり、と——その身に、淡い光をまとった。
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フェンの、力。声を運ぶ、力。精霊のものでも、人のものでも。本来は届かないはずの声を、その耳へと——渡してくれる。きっと、今——ユリウスにも、イザベラにも。精霊王の言葉が、届いている。
現に。二人の、表情が。緊張に——引き締まって、いく。
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(……正体)
ごくり、と。喉が、鳴る。
『あれは——闇の、精霊王。すべての、闇の精霊を、統べる者。今、王を——器として。失われた力を、取り戻し。復活しようと、している』
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「闇の……精霊王」
声が、震えた。
精霊たちの、王。あの、おぞましい闇の大本。それが、王様の身体を乗っ取って——蘇ろうと、している。
(……待って。王様、が?)
頭が、追いつかない。
だって——わたしたちは、ずっと。王様のことを、王妃に操られた可哀想な傀儡だと。そう、思っていた。王妃が黒幕で、王様は——ただ、巻き込まれた被害者だと。
でも——違った。
王様は、傀儡なんかじゃ、ない。それどころか——王妃よりも、ずっと上。すべての元凶の、いちばん奥にいる。最上位の、闇。その器、だったなんて。
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(……そう、いえば)
ふと、思い出す。いや。思い出そうとしても——思い出せ、ない、こと。
あの夜会。王様は、確かにそこにいたはずだ。なのに。どんな顔だったか、何を話したか。像が——まるで結ばない。霧が、かかったみたいに。まるで——最初から、誰もいなかったみたいに。
ずっと、不思議だった。王妃のことは、あんなに鮮明に覚えているのに。王様だけが、記憶から——するりと、すり抜けていく。
あれは——まさか。
自分の存在を、気配を——消していたから……? あの身体の奥に、とてつもない何かを。潜ませて、いたから……?
ぞわり、と。背筋が——凍りつく。
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『そして——』
精霊王の、声が。さらに——重く、なった。
言うべきか、迷うように。一拍、置いて。やがて、静かに——告げた。
『闇の精霊王は——我の。弟、なのだ』
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(……え?)
時が、止まった、ような。気が、した。
「弟……? 精霊王の……?」
『ああ。かつて——共に、この世界を、見守っていた。だが——あれは、闇に、堕ちた。そして、我が——この手で。封印、した』
その声に、深い哀しみが——滲んだ。
味方であるはずの精霊王。その実の弟が——倒すべき、最大の敵。
兄が、堕ちた弟と——対峙する。そんな、哀しい運命が。今、城で待っている。
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「……お父、さま」
イザベラが、呆然と呟いた。その顔から、血の気が引いている。
そうだ。あの城の王様は——イザベラの、お父さん。母を失ったばかりの、この子が。今度は——父まで。
「いや……いやよ。お父さままで——そんな……っ」
わかる。さっき、お母さんを亡くしたばかり。なのに、今度は、お父さんまで——闇に。そんなの、あんまりだ。
私は、ぎゅっと拳を握る。今度こそ。今度こそは——。
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『……案ずるな』
精霊王の、声が。ふいに、響いた。
『闇の精霊王は、まだ。王の魂に、完全には定着しておらぬ。力を、取り戻しきって、いないのだ』
「……っ、それって」
『ああ。今ならば——間に合う。王の魂が、闇に呑みきられる前に。我らが、駆けつければ。……王を、救い出せる』
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「……お父さまを。助けられるの……?」
イザベラの瞳に、みるみる——光が戻っていく。絶望に、沈みかけていた、その顔に。希望の色が——差した。
「……うん。救おう。絶対に」
私は、力強く頷いた。
もう。母を失った、あの悲しみを。父でまで、繰り返させない。今度は——間に合わせる。
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『詳しくは——道すがら、話そう。今は、時が、惜しい』
精霊王の、声が。再び、凛とする。
『城へ、向かうぞ。弟が——完全に、力を取り戻す、前に。……王を、救い。そして、弟を——止める』
「……はい!」
私は、仲間たちと頷き合う。
最後の、戦いが。始まろうと、していた。




