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急に地球が滅びないかな、と異世界で私は呟いた 〜気絶のフリで乗り切るはずが、私を召喚した令嬢に転生を待たれていた件〜  作者: めるしー


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鉢植えの、鍵

 フレデリカと別れたあと。


 私は、廊下を進みながら、考えていた。


 謎を追う、と決めたはいいものの。「シルヴィアが、なぜわたしを呼んだのか」なんて核心に、いきなり手は届かない。情報には、順番がある。まずは、足元から。


(……そうだ。まず、シルヴィア自身のことを、知らなきゃ)


 考えてみれば、私は、この身体の持ち主のことを、ほとんど何も知らない。名前と、銀髪と、脱走癖。それと、夢で見た、泣きながら笑う顔だけ。


 でも、これから私は、この子として、生きていく。なら——シルヴィアが、どんな子だったのか。周りに、どう接していたのか。それを知らないと、演じることも、託されたものを背負うことも、できない。


 ちょうど、後ろから、軽い足音が追いついてきた。


「お嬢様! もう、お部屋を出られて……! お加減は、大丈夫なのですか?」


 エマだった。私が部屋にいないことに気づいて、探しに来たらしい。


「ごめんなさい、エマ。少し、屋敷の中を、見て歩きたくて。……その、思い出すきっかけに、なるかもしれないから」


 我ながら、便利な言い訳である。「記憶喪失」は、こういうとき、本当に役に立つ。


 案の定、エマは、ぱっと顔を輝かせた。


「まあ……! それは、良いお考えです! では、わたしが、ご案内しますね。お加減が悪くなったら、すぐおっしゃってください」


-----


 エマの案内で屋敷を歩きながら、私は、さりげなく、質問を、織り交ぜていった。


 記憶喪失の令嬢が「わたしって、どんな人だったの?」と尋ねるのは、まったく不自然じゃない。むしろ自然だ。エマは、問われるたびに、嬉しそうに、けれどどこか切なそうに、語ってくれた。


 わかったのは、こういうことだった。


 シルヴィアは——使用人たちに、慕われていた。


「お嬢様は、わたしたち使用人にも、いつも、お優しくて。風邪をひいた下働きの子に、こっそり果物を届けてくださったり。厨房のおばあさんの腰が痛むと聞けば、自ら、薬師のところまで……」


 脱走癖は、確かにあった。でもそれは、わがままというより——


「お屋敷の中だけだと、息が詰まるって、おっしゃって。街の人たちが、どんなふうに暮らしているのか、自分の目で見たいって。だから、平民のふりをして、こっそり……。何度、ハラハラさせられたか」


 エマは、困ったように、けれど愛おしそうに、笑った。


(……いい子、なんだな)


 夢で見た、あの気品のある横顔と、エマの語る人物像が、少しずつ、重なっていく。


 優しくて。好奇心が強くて。身分に関係なく、人に手を差し伸べる。そういう令嬢。だから、使用人に慕われ、エマは涙ながらに「逝かないで」と願った。


(……演じる足場が、できてきた)


 これは、大きい。シルヴィアの人物像がわかれば、私は「らしく」振る舞える。優しく、好奇心旺盛に、分け隔てなく。幸い、そのへんは、緑の素の性格とも、そう遠くない。演じやすい役だ。


 そして、ひとしきり歩いたあと。


 エマが、一つの扉の前で、足を止めた。


「ここが……お嬢様の、本来のお部屋です」


「本来の?」


「はい。昨日は、街から運ばれて、一番近いお部屋にお休みいただいたので。こちらが、いつもお嬢様が使っていらっしゃる、お部屋です」


 扉を開けると——そこは、優しい部屋だった。


 淡い色の調度。窓辺には、いくつもの鉢植え。本棚には、ぎっしりと本が詰まっている。壁には、街の風景を描いたらしい、素朴なスケッチが、何枚も。


(……これが、シルヴィアの世界)


 好奇心の、塊みたいな部屋だった。植物、本、街のスケッチ。屋敷に閉じ込められながら、外の世界に、手を伸ばし続けていた、その痕跡。


 胸が、きゅっとなった。


 この部屋の主は、もう、ここにはいない。その世界を、私が、引き継いでしまった。


「ごゆっくり、ご覧ください。わたし、温かいお茶を、お持ちしますね」


 エマが、気を利かせて、部屋を出ていった。


 一人になった私は、ゆっくりと、部屋を見て回った。


 本棚の前に立って、ふと、気づく。背表紙に並ぶ文字が——読める。


(……あれ。読める、んだ)


 見たこともない、流れるような文字の連なり。元の世界の、どのアルファベットとも、漢字とも違う。なのに、目で追うと、すんなり意味が頭に入ってくる。「植物大全」「南方地理誌」——そんなふうに。


 たぶん、この身体が、シルヴィアのものだからだろう。喋る言葉が自然と通じているのと、同じこと。シルヴィアが読み書きできたものは、その身体を借りている私にも、読める。知識じゃなく、身体が覚えている、という感じ。


(……便利、というか。ありがたい)


 文字が読めなかったら、情報収集も、何もあったものじゃない。私は、ひそかに胸をなで下ろして、本棚の本を、改めて、眺めた。


 植物図鑑、地理書、それから物語の本。どれも、よく読み込まれて、ページの端が、柔らかくなっている。壁のスケッチは、市場や、噴水や、子供たちが遊ぶ広場。署名に、小さく「S」と。シルヴィアが、自分で描いたものだ。


(変装して街に出ては、こういう景色を、描いてたんだ……)


 会ったこともない少女の人生が、少しずつ、輪郭を持って、迫ってくる。


 そして——本棚の、一番下の段。


 他の本と、少しだけ、背表紙の高さが、違う一冊が、あった。


(……ん?)


 演劇の小道具を、何百と扱ってきた目が、その「違和感」を、捉えた。あれは、本じゃない。本のふりをした、何か別のもの。


 私は、しゃがんで、それを、引き出した。


 やっぱり。本のように見えて、それは——木製の、薄い箱だった。表紙を模した蓋に、鍵穴が、ついている。


(鍵付きの箱を、本のふりして、本棚に……)


 隠していた、ということだ。誰かに、見られたくないものを。


 でも、鍵がない。どこにあるんだろう。


 私は、箱を手に、考えを巡らせた。シルヴィアが、大切なものを隠した箱。鍵は、きっと、簡単には見つからない場所に——


 その、とき。


 ふと、手の中の箱が、温かくなった。


 あの、医者のときと、同じ感覚。シルヴィアの、気配。


 導かれるように、私は、視線を、上げた。


 窓辺の、鉢植え。その一つ、よく茂った葉の根元に——銀色のものが、光っていた。


 小さな、鍵。


(……鍵)


 手が、勝手に、動いていた。いや、半分は、私の意思で、半分は——たぶん、シルヴィアに、導かれて。鉢植えの土から、その小さな鍵を、つまみ上げる。


 鍵を、箱の鍵穴に、差し込む。


 かちり、と。


 軽い音を立てて、箱が、開いた。


 中に入っていたのは——一冊の、手帳だった。


 古びた、けれど、大切に使い込まれた手帳。私は、そっと、それを、開いた。


 最初の方は、日記のようだった。流れるような、美しい文字。街で見た景色のこと。読んだ本のこと。使用人との、何気ないやりとり。優しくて、好奇心に満ちた、シルヴィアの、日々。


 でも——後ろの方の、ページに、近づくにつれて。


 文字が、少しずつ、変わっていった。


 乱れて。震えて。けれど、必死に、何かを書き留めようとする、筆跡に。


 そして、ある一ページで、私の手は、止まった。


 そこには、こう、書かれていた。


『もし、この手帳を読んでいるのが、わたしでないなら。』


 心臓が、跳ねた。


『——ようこそ。そして、ごめんなさい。』


『あなたを、選んだのは、わたしです。』


(——シルヴィア)


 これだ。夢で、彼女が言っていた。『いつか、ぜんぶ話すから』と。


 その「いつか」の、入り口が——今、私の手の中に、ある。


 震える指で、私は、次の行を、追おうとした。


 けれど。


『詳しいことは、ここには書けない。誰かに読まれたら、危険だから。だから——』


 そこで、文章は、途切れていた。


 いや、途切れているんじゃない。続きは、あった。でも、その先のページは——意味のわからない、記号と、文字の、羅列だった。


 暗号。


 さっき、本棚の背表紙も、この手帳の日記も、すんなり読めた。シルヴィアの身体は、この世界の文字を、ちゃんと知っている。


 なのに——この羅列だけは、まるで、読めない。一文字も。意味が、頭に入ってこない。


 つまり、これは。シルヴィアの知識をもってしても読めない、特別に組まれた暗号、ということだ。


 まるで、本当に「特定の誰か」にしか、解けないように。あるいは、特定の「鍵」がないと、開かないように。


(……最後の最後で、お預け、かあ)


 私は、思わず、苦笑した。


 でも——確かな手応えが、あった。


 シルヴィアは、私に、メッセージを遺していた。本のふりをした箱に隠して。鉢植えに鍵を隠して。そして、肝心なところは、暗号にして。


 誰にも読まれないように。でも、「来るべき人」には、必ず届くように。


(……どこまでも、用意周到で。どこまでも、優しい)


 会ったこともない少女のことが、また少し、好きになった。


 私は、手帳を、そっと、胸に抱いた。夢の中の、彼女がウィッグを抱きしめたみたいに。


(待ってて、シルヴィア)


(この暗号、絶対に、解いてみせるから)


(あなたが遺した「いつか」に——わたしが、必ず、たどり着く)


 ちょうど、扉の向こうから、エマの足音が、近づいてきた。


 私は、手帳を、そっと箱に戻し、本棚の元の場所へ——いや。


 少し考えて、それを、自分のガウンの、内側に、しまった。


 これは、私と、シルヴィアだけの、秘密だ。


 誰にも、まだ、見せるわけにはいかない。


「お嬢様、お茶をお持ちしました! ……あら、何か、面白い本でも、ございましたか?」


 戻ってきたエマが、にこやかに、尋ねた。


 私は、シルヴィアが浮かべたような——穏やかで、優しい微笑みを、作ってみせた。


「ええ。とっても、面白い本が」


 嘘じゃない。


 胸の内に、しまった「本」は、これから読む、どんな物語よりも——きっと、面白い。

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