表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
急に地球が滅びないかな、と異世界で私は呟いた 〜気絶のフリで乗り切るはずが、私を召喚した令嬢に転生を待たれていた件〜  作者: めるしー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/101

薔薇の庭で

 それは、思いがけない形で、訪れた。


 ある日、私のもとに、一通の招待状が届いた。差出人を見て、息が止まりそうになる。


 イザベラ王女。


(……また、王家から)


 今度は、お茶会への正式な招待だった。王城ではなく、街外れの小さな離宮。ごく内輪の集まり、と記されている。


 罠かもしれない。エマの一件のあとだ。警戒すべきだ。それに——。


(……お父様の、言葉)


 ふと、父のあの必死な顔がよぎった。「王妃殿下には、決して深く関わるな」と。私は「気をつけます」と、答えた。


 でも、今、父は領地の視察で屋敷を空けている。しばらく帰らない。相談も、できない。


(……お父様が、いたら。きっと、止められる)


 わかっている。これは、危険なことだ。父との、約束にも、反する。


 でも。


(……それでも)


 私は、イザベラのことを知りたかった。なぜ私を憎むのか、何が彼女を変えたのか。本当に、闇に蝕まれているのか。確かめるには、向き合うしかない。それに——王女からの招きを、伯爵令嬢が、何度も無下にはできない。下手に断れば、かえって、家に、累が及ぶかもしれない。


(……ごめんなさい、お父様。でも、行かなきゃ)


 ピピとフェンに、そっとついてきてもらうことにして。私は、招待を受けることにした。せめて、危険がないよう。二匹に、守ってもらいながら。


-----


 離宮の庭は、静かだった。


 手入れされた薔薇が、咲き乱れている。その中央に、ぽつんとテーブルがひとつ。そこに、彼女は座っていた。


 燃えるような、赤い髪。紅い瞳。深紅のドレス。イザベラ王女。


「来たのね。シルヴィア」


 その声は、お茶会のときと同じ。冷ややかで、酷薄で。けれど、どこかひどく疲れているようにも聞こえた。


「お招き、ありがとうございます。イザベラ王女殿下」


 私は、淑女の礼をして、向かいに座った。精霊士の感覚を、研ぎ澄ませる。


(……やっぱり)


 彼女のまわりにも、あの黒い靄が。うっすらとまとわりついていた。王妃のときほど濃くはない。でも、確かに。彼女の心は、少しずつ蝕まれかけている。


-----


「先日は。あなたの侍女が、大変だったみたいね」


 イザベラが、優雅に、ティーカップを傾ける。


(……他人事みたいな、言い方)


 その言い方に、ひっかかった。まるで、自分は関係ない、ただの噂話、とでも言いたげな。本当に、自分がさらわせたのなら。こんな、しらじらしいことを、言うだろうか。


「……エマを、さらわせたのは。あなたでは、ないのですか」


 私が、まっすぐ問うと。イザベラの眉が、ぴくりと動いた。


「さあ。どうかしら。証拠でも、あって?」


(……っ)


 消えた手紙。彼女はそれを知っている? それとも、ただのはったり?


「ふふ。証拠もないのに、王女を疑うなんて。ずいぶん、無礼なのね」


 イザベラは、嗤った。けれど、その瞳の奥に。一瞬、何か別の色がよぎった気がした。戸惑いのような。あるいは、彼女自身も何が起きたのかよくわかっていない、ような。


(……この人、もしかして)


 自分のしたことの結末を、本当には把握していないんじゃないか。誰かに侍女をさらわせた。でも、その後どうなったのか。気づけば人身売買の隠れ家にいて、証拠の手紙も消えていて。彼女自身、わけがわからないまま、なんじゃ。


-----


「……ねえ、シルヴィア。あなた、本当に、覚えていないの?」


 ふいに。イザベラの声が、低くなった。


「わたくしたちが。昔、どんなふうだったか。何があったのか。……全部、忘れたって言うの?」


(……っ)


 その声に。初めて。冷ややかさ以外の、何かが、滲んだ。


 悲しみ。怒り。そして——裏切られた、ような。深い、痛み。


「……はい。記憶を、失っていて。昔のことは、ほとんど」


「……そう」


 イザベラは、目を伏せた。長い睫毛が、影を落とす。


「いいわね。忘れられて。あなたは全部、なかったことにして。きれいさっぱり忘れて。……わたくしだけが、こうして覚えている」


 その言葉には。たしかな、恨みが、こもっていた。でも、それ以上に。


(……寂しさ?)


 まるで、置いていかれた子供のような。そんな、響きが、あった。


-----


(……この人は)


 わかってきた。イザベラは、ただ、私を憎んでいるんじゃない。


 彼女とシルヴィアの間には、きっと私の知らない濃い過去があった。仲が良くて。そして、何かがあって。シルヴィアは彼女に、ひどいことをしたのかもしれない。あるいは、その逆かも。


 どちらにせよ。イザベラは、その過去に。今も、囚われている。深く、傷ついたまま。


 なのに、当のシルヴィア(の中身は私だけど)は、記憶を失って全部忘れてしまった。イザベラにとってそれは、自分一人だけが過去に取り残されたような。そんな孤独だったのかもしれない。


(……だから、こんなに)


 その傷ついた心に、闇がつけ込んだ。恨みを、寂しさを増幅させて。彼女を少しずつ、呑み込もうとしている。


(……かわいそうな、人)


 気づけば、私は。そう、思っていた。


-----


「……イザベラ王女殿下」


 私は、静かに、口を開いた。


「昔のわたしが。あなたに、何をしたのか。わたしは、覚えていません。でも——もし、あなたを、傷つけたのなら。それは、申し訳なく、思います」


 イザベラが、はっと、顔を上げた。


「……何よ、それ。今さら、謝るつもり?」


「謝るというより。……知りたいんです。あなたのことを。昔、何があったのか。あなたが、今、何を抱えているのか」


 私は、まっすぐ、彼女の紅い瞳を、見つめた。


「あなたは、わたしを憎んでいる。それは、わかります。でも、あなたがそんなに苦しそうなのは。きっと、憎しみだけじゃないんでしょう?」


 イザベラの、表情が。揺れた。


 仮面が、ほんの一瞬剥がれかけた。その下から覗いたのは。傷ついて、寄る辺のない、一人の少女の顔だった。


-----


「……黙りなさい」


 けれど。次の瞬間。


 彼女のまわりの、黒い靄が。ぶわり、と。濃くなった。


「あなたに、わたくしの、何がわかるの。何も、知らないくせに。忘れたくせに!」


 イザベラの声が、荒れる。紅い瞳が、暗く濁っていく。闇が、彼女の感情を煽っている。


(……まずい)


「帰って。二度と、わたくしの前に、現れないで。次は——こんなものじゃ、済まないわよ」


 その声には、もう。さっきの寂しげな少女の面影はなかった。ただ、闇に煽られた剥き出しの敵意だけ。


 私は、立ち上がり、礼をした。これ以上は、刺激するだけだ。


「……失礼します。でも、イザベラ王女殿下。わたしは、諦めません。あなたのことを、知ることを」


-----


 離宮を出て。馬車に揺られながら。私は、深く、息を吐いた。


『……みどり。あの人、こわかったね。最後、すごい闇だった』


「うん。……でも」


 私は、窓の外を見つめた。


「最初は、違ったの。寂しそうで。傷ついてて。……本当のイザベラ王女は、きっと、あっちなんだと思う」


『……ほんとの?』


「うん。闇に煽られる前の。傷ついて、誰かに、わかってほしかった。ただの、女の子」


 あの、一瞬だけ覗いた、少女の顔が。忘れられなかった。


 彼女は、敵だ。私を憎んでいる。次に会えば、もっとひどいことをするかもしれない。


 でも。


(……それでも)


 あの傷ついた心を、見てしまった以上。ただ敵として退けることなんて、できそうになかった。


 いつか。彼女の、心を。あの闇から、引き戻したい。そして——できることなら。彼女が、一人で抱えている、その過去を。一緒に、ほどいてあげたい。


(……それが、いつになるかは。わからないけど)


 馬車は、夕暮れの道を、進んでいく。


 薔薇の香りが。まだ、かすかに。私の服に、残っていた。


 どこか——泣きたくなるような。そんな、甘く、切ない、香りだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ