消えた手紙
エマの一件が落ち着いてから、私はずっと、ひとつのことが気にかかっていた。
あの夜、届いた走り書き。「あなたの大切な侍女は、預かったわ」という、あの脅迫状。
(……あれ、まだ、取ってあったよね)
イザベラ王女の関与を示す、唯一の手がかり。もし何か、事を明らかにするときが来たら。あれは、大事な証拠になる。そう思って、引き出しにしまっておいたはずだった。
ところが。
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引き出しを、開けて。私は、首を、かしげた。
(……あれ?)
ない。
たしかに、ここに入れたはずのあの紙が。どこにも見当たらない。
引き出しの中を、ひっくり返す。机の下も周りも、探す。エマにもそれとなく聞いてみた。でも、どこにもない。きれいに消えてしまっていた。
(……おかしい)
誰かが捨てた? いや、あんな大事なもの。私が勝手になくすはずがない。エマも、触っていないと言う。
その、ときだった。
引き出しに手を入れた、私の指先が。ぞくりとした。
(……これ)
かすかに。本当に、かすかにだけど。あの紙が置いてあった場所から。あの忌まわしい黒い靄と同じ、淀んだ気配がにじんでいた。
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(……闇の、気配)
背筋が、冷たくなった。
あの夜は、エマを助けることで頭がいっぱいで。気づく余裕もなかった。でも今、こうして落ち着いて触れてみると、わかる。あの手紙には。いや、あの手紙が消えたことには。闇が関わっている。
(……どういう、こと)
誰かが——あるいは、何かが。あの証拠を、消した。闇の気配を、残して。
ぞわぞわとする。私のすぐそばで、気づかないうちに、何かが動いている。その感覚が、たまらなく嫌だった。
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落ち着け。私は、深呼吸を、して。順を追って、考えてみた。
そもそも——あの脅迫状。最初から、違和感が、あったのだ。
(……あのイザベラが。こんなもの、書く?)
イザベラ王女は、賢い人だ。お茶会で対峙したときも。声を荒げず、静かに私を追い詰めるような。そういう、底の知れない聡明さがあった。
そんな人が。侍女をさらうなんていう大それたことをしておいて。わざわざ自分の筆跡で、証拠の残る手紙を送りつける?
(……らしくない)
あまりにも迂闊だ。まるで、後先を考えていない。賢いイザベラ王女のすることとは、思えなかった。
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それに——もう一つ。
あの、隠れ家の、悪党たち。
思い返せば。あいつらは、こう言っていた。「俺らが目をつけて攫ってきた、上玉だ」と。
(……あれも、変だった)
もしイザベラ王女が命じてエマをさらわせたなら、あの悪党たちは王女の手の者のはずだ。なのに、あの口ぶりは。まるで自分たちで見つけて横取りしたみたいな。王女のことなど、知りもしない様子だった。
(……噛み合って、ない)
イザベラ王女の脅迫状。なのに、攫った悪党は王女と無関係そう。そして、証拠の手紙は闇の気配とともに消えた。
全部が——ばらばらで。ちぐはぐで。
(……まるで)
ひとつの、考えが。ゆっくりと、浮かび上がってきた。
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まるで——イザベラ王女、自身が。何かに、振り回されて、いるみたいだ。
彼女がエマをさらおうとした。それは、たぶん本当。私への嫌がらせのつもりで。でも、その思惑はどこかでずれて。悪党に横取りされ、人身売買の危機にまで転がった。彼女の想定を、超えて。
そして、迂闊な証拠を残し。それが、闇の気配とともに消される。
(……イザベラ王女は)
ずっと「変わってしまった」と言われていた。ユリウスにも、グランツ公爵にも。昔は明るくて、まっすぐだった、と。
その、変わってしまった原因。判断を狂わせ、迂闊な行動を取らせている、何か。
(……まさか。あの人も)
ぞくり、とした。
あの、街の人たちみたいに。心を闇に蝕まれているんじゃ、ないだろうか。だから、あんなにちぐはぐで。後先のない行動を。
だとしたらイザベラ王女は、ただの悪役なんかじゃない。彼女もまた、闇に呑まれかけている。被害者、なのかもしれない。
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『……みどり。こわい顔、してる』
ピピが、心配そうに、見上げた。
「……あ。ごめん。ちょっと、考え事」
『イザベラって人のこと?』
「……うん」
私は、頷いた。
お茶会で感じた、あの寒気。私を嫌うまなざし。たしかに彼女は、私に敵意を向けている。それは、本当だ。
でも、もし。その敵意すら、闇に増幅されたものだとしたら。本当のイザベラは、もっと別の何かを抱えているんじゃ、ないだろうか。
(……知りたい)
彼女のことを。なぜ、そんなに私を憎むのか。何が彼女を変えてしまったのか。そして、本当に闇に呑まれかけているのなら。
(……もし、できるなら)
私は、あの街の人を助けたときのように。彼女の心も、鎮めてあげられるだろうか。蝕まれた心を、引き戻してあげられるだろうか。
まだ、わからない。彼女は私を憎んでいる。簡単に、近づけはしない。
でも。
ただ、敵として退けるだけでは。きっと何も解決しない。そんな気が、した。
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窓の外。空は、今日も、どんよりと、曇っている。
街を覆う闇は、日に日に濃くなっていく。人の心を蝕み、すさませ。そして、きっと王女の心さえも。
(……急がなきゃ)
暗号。母の死。王妃。王様。イザベラ。そして——この世界を、覆おうとする、闇。
ばらばらだった、点が。少しずつ。私の中で——繋がろうと、している。
まだ、その全体像は見えない。でも、確かに。すべてはどこかで、一本の線で結ばれている。
その線を、たどった先に。きっと——すべての、答えが、ある。
(……負けない。絶対に)
私は、窓の外の暗い空を見据えて。静かに、拳を握りしめた。




