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急に地球が滅びないかな、と異世界で私は呟いた 〜気絶のフリで乗り切るはずが、私を召喚した令嬢に転生を待たれていた件〜  作者: めるしー


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忍び寄る、影

 シルヴィアとの、修行を、始めてから。


 私の、世界の、見え方は——少しずつ、変わっていった。


 今まで、ぼんやりとしか感じられなかった、気配。空気の流れ。物に宿る、小さなざわめき。それらが——日に日に、くっきりと。輪郭を持って、立ち上がるようになってきた。


『……上手に、なったね、みどり』


 手鏡越しの、シルヴィアの声も。嬉しそうだった。


(……まだ、ほんの、入り口だけど)


 それでも——確かに。私は、変わりつつある。精霊士としての、目が。少しずつ——開いて、いく。


 でも——その、開いた目が。


 ある日。私に——見せたくないものを、見せて、しまった。


-----


 その日。私は、エマと、街へ、出ていた。


 買い物の、付き添い。ごく、普通の、外出。人波で、賑わう、いつもの、街並み。


(……ん?)


 ふと——足が、止まった。


 なんだろう。この——感じ。


 修行で、研ぎ澄ました、感覚が。ざわり、と——警鐘を、鳴らす。


 街の、空気が。どこか——淀んで、いる。


(……気のせい?)


 最初は、そう思った。でも——違う。歩けば、歩くほど。はっきりと、感じる。街の、あちこちに。重く、よどんだ——黒い靄のような気配が。点々と、漂っているのだ。


(……なに、これ)


 今までの、私なら。きっと——気づかなかった。でも。精霊士の、目が、開いた、今は。はっきりと——視える。


 その、淀んだ、気配の、近くでは。


「——だから! 何度、言えば、わかるんだ!」


「うるさいわね! あんたこそ!」


 通りの店先で。夫婦らしき二人が、激しく言い争っていた。些細なことで——というには。あまりに、剣幕がすごい。顔を真っ赤にして。憎しみすら、こもった目で。


(……っ)


 その、すぐ、そばにも。黒い、靄が——まとわりついて、いた。


-----


『……みどり』


 肩の上で。ピピが——震える声で、言った。


『……あれ。やだ。すごく、いやな、気配……。ちくちくする、どころじゃ、ない。あれは……黒くて。冷たくて。……こわいよ』


(……ピピ)


 無邪気な、ピピが。こんなに、怯えるなんて。初めてだ。


『——おやおや』


 ふわり、と。フェンが、現れた。いつもの、気だるげな様子は——どこにも、ない。金色の目が。鋭く、街を、見据えている。


『……これは。まずいな』


「フェン。……あれ、何か、知ってるの?」


『……はっきりとは。だが——あれは。“まともな”気配じゃ、ない』


 フェンの、声が。低く、緊張を、孕んでいた。


『精霊にも——いろいろ、いる。私や、ピピのような者もいれば。……ああいう。淀んで、濁った——人の負の心に巣食うような。そういう輩も、いる』


(……負の、心に、巣食う)


『見ろ。あの、黒い靄の、近くでは。人が、苛立ち。憎み。争っている。……偶然じゃ、ない。あれが——人の、心を。悪い方へ、悪い方へと。煽っているんだ』


 ぞくり、と——した。


 黒い靄。人の、負の感情を、煽る、精霊。それが——街のあちこちに。点々と。


(……いつから。こんなものが)


『……最近だ。間違いなく』


 フェンが、断言した。


『前に、この街に来たときは。こんなもの——いなかった。ここ、ほんの、短い間に。……急に、湧いて、出たんだ。まるで——どこかから。少しずつ、染み出してくるように』


-----


(……どこかから、染み出す)


 その言葉に。私は——背筋が、冷えた。


 手鏡の、暗号が、告げた、言葉が。よぎる。「気をつけて。あの人に」。母を、奪い。シルヴィアを、追い詰めた——「あの人」。


(……まさか。この、黒い靄も。「あの人」と——関係が、あるの?)


 確証は、ない。でも——嫌な、予感が、した。


 点と、点が。まだ、線には、ならない。けれど——確かに。何か、大きな、不穏なものが。この世界の、底で。静かに——蠢き始めて、いる。


 その、片鱗が。今——こうして。街に、滲み出してきて、いるのだとしたら。


『……みどり。あまり、近づくな』


 フェンが、鋭く、言った。


『今のお前じゃ。あれに、触れれば——呑まれる。あの淀みは。お前の、心の、隙間にも。入り込もうと、する』


(……心の、隙間)


 ぞっと、した。


 たしかに——黒い靄を、見ていると。胸の奥が。なんだか——ざわざわと。ささくれ立つような。嫌な、気分に、なる。


(……これが。人の、心を、煽る——力)


 私は、慌てて。シルヴィアに、教わった、通りに。意識を——研ぎ澄ませ。心を、鎮めた。すると——ざわめきが。すっと、引いて、いく。


(……あぶ、なかった)


 修行を、していなければ。きっと、私も。気づかぬうちに——あの、淀みに。心を、蝕まれて、いたかもしれない。


-----


「……お嬢様? どうか、なさいました?」


 エマが、不思議そうに、私を、覗き込んだ。彼女には——あの、黒い靄は。見えていない。あの、淀んだ気配も。感じて、いない。


(……そうだ。普通の人には。見えないんだ)


 だからこそ——怖い。


 人々は——何も、知らないまま。あの靄に、心を、煽られ。苛立ち。憎み。争っている。原因も、わからずに。


(……これは。放って、おけない)


「……ううん。なんでも、ないの。エマ。……今日は、もう、帰りましょう」


 私は——エマを、促して。足早に、その場を、後に、した。


 でも——心は。ざわついた、まま、だった。


-----


 その夜。私は——自室で。手鏡を、握りしめた。


 最初の頃は。シルヴィアと、話すのに。フェンの、力が——どうしても、必要だった。か細い消えかけの声を。手鏡を依代に。フェンが運んでくれて。やっと——届いた。


 でも——修行を、重ねるうちに。少しずつ。私一人でも。手鏡を通して。シルヴィアと心を交わせるように——なってきた。


(……これも。力が、ついてきた、ってこと、かな)


 私は——そっと。手鏡に、語りかけた。


「……シルヴィア。街で、見たの。黒い、靄みたいな——気配を。人の、心を、煽る。精霊、みたいな」


 手鏡越しに。シルヴィアの気配が——揺れた。明らかに——動揺、している。


『……そう。とうとう。街にまで——』


「シルヴィア。あれは、何? あなたは——知っているの?」


『…………ごめんね』


 また——その、言葉。


『それも——暗号の、奥に。だから——今は、言えない。でも』


 シルヴィアの声が。切実な、響きを、帯びた。


『——気をつけて。みどり。あれは。これから——もっと、増える。そして……もっと、ひどく、なる。世界は……少しずつ。あれに——蝕まれて、いく』


(……世界が、蝕まれる)


『だから——お願い。力を、つけて。一緒に——間に合わせましょう。あれが、何もかもを。呑み込んで、しまう前に』


 その声には。焦りと。祈りが——滲んでいた。


(……間に合わせる)


 私は——ぎゅっと。手鏡を、握りしめた。


 まだ、何も——わからない。「あの人」が、誰なのか。あの黒い靄が、何なのか。それが——どう、繋がっているのか。


 でも——確かに。何かが、始まって、いる。静かに。でも——確実に。この世界を、蝕む、何かが。


(……負けて、たまるか)


 私は——窓の外を、見上げた。


 二つの月は。今夜も——変わらず、夜空に、浮かんで、いる。


 でも——その光が。なんだか、今夜は。いつもより——少しだけ。頼りなく、霞んで、見えた。


 まるで——忍び寄る、闇に。怯えて、いるかのように。

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