偏見の、お裾分け
暗号が、一段、進んでから。私は——少し、根を、詰めすぎていた、かもしれない。
毎日、手帳と、にらめっこ。過去のこと。母のこと。考えても、考えても、答えの出ないことばかりで。気づけば、ため息ばかり、ついていた。
(……たまには、息抜きも、しなきゃ)
ふと、思った。
また——街に、行きたい。あの、活気のある、雑多な、街の空気を。吸いたい。前に、変装して、出かけたときみたいに。
でも。
(……一人じゃ、危ないし。エマを、連れていくのも……気を遣わせちゃうしなあ)
令嬢の、お忍びだ。何かあったら、困る。かといって、大勢で行けば、目立つ。悩ましい。
『——なんだ。街に、行きたいのか』
ふわり、と。フェンが、現れた。
「うん。でも、一人じゃ、危ないでしょう。護衛も、いないし」
『なら、私が、ついていけば、いいだろう』
「え。でも、フェン。あなたの姿、わたしにしか、見えないし……」
『——人間に、化ければ、済む話だ』
(……は?)
私は、ぽかんと、口を、開けた。
「……いま、なんて?」
『だから。人間の姿に、化けるんだよ。そうすれば、他の連中にも、見える。護衛の、ふりくらい、できるさ』
「えぇ?! 人間に、化けられるの?!」
思わず、大声を、出してしまった。そんな、こと。一度も、聞いて、なかった。
『……なんだ。言ってなかったか』
フェンは、きょとんと、している。
「言ってないよ! そんな、すごい力!」
『すごい力? ……はて。見た目が、変わるだけだぞ?』
(……いや、じゅうぶん、すごいから!)
精霊の感覚は。やっぱり、人間とは、どこかずれている。こんな、とんでもない力を。「見た目が、変わるだけ」と、しれっと言ってのける。
「……ていうか。フェン、いつも、どんなときに、人間に、化けてるの?」
『ん? ……ああ。たいていは——街で、食い物を、買うときだな』
「食い物?」
『私は、食わなくても生きていけるがね。……食べるのは、好きなんだ。屋台の串焼きとか。甘い菓子とか。ふらりと化けて、買い食いするのが——ちょっとした楽しみでね』
(……なんか、意外と。庶民的だ)
知的で。食えなくて。やれやれ系の、フェンが。こっそり街で買い食いを楽しんでいる。その、ギャップに。私は、思わず、ふき出しそうになった。
「……ふふ。フェン、食いしん坊なんだ」
『……っ。う、うるさい。べつに、いいだろう』
(……お。ちょっと、照れてる)
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というわけで。
私は、いつもの、栗色のウィッグで、変装して。人間に化けた、フェンと、一緒に。街へ、繰り出すことに、なった。
人間の、フェンは——。
(……うわ。イケメンだ)
すらりと、背が高く。さらりとした金色の髪。少し吊り上がった、切れ長の目。涼やかで、どこか人を食ったような雰囲気。狐のときの面影が——そのまま、人間になったみたいだ。
『どうした。見惚れたか?』
「……はいはい。かっこいい、かっこいい」
『……ふん。心が、こもってないな』
軽口を、叩き合いながら。私たちは、街を、歩いた。
フェンは——本当に、食べるのが好きらしい。あちこちの屋台に、目を輝かせて。串焼きを頬張り。揚げ菓子を買い。すっかり、ご機嫌だ。人間の姿だと、ちゃんとお店の人にも見えるし、やりとりも、できる。
(……なんだか。普通の、男の子、みたいだなあ)
いつもの、飄々とした、精霊とは。少し、違う。無邪気に、買い食いを、楽しむ、フェン。なんだか——微笑ましい。
(……そうだ)
ふと、思いついた。
いつも、ピピも、フェンも。私のために、力を貸してくれている。暗号だって、フェンがいなければ進まなかった。なのに、私は——お礼らしいこと、何もしてない。
(……お礼に、作ってあげよう。二人の、好きそうなもの)
私は、市場を、見回した。
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「……あった。お米と。お豆腐」
この世界にも、米はある。でも——不思議なことに。もっぱら、炒め物に使われているらしい。パラパラに炒めた、米料理。それは、それで美味しいけれど。
(……炊いて、握る、っていう発想は。ないんだなあ)
それから、豆腐。こちらは、しっかりした木綿豆腐。醤油に似た調味料も、ある。甘い果実から作る、りんご酢みたいなお酢も。
(……これだけ、あれば。作れる)
頭の中で、レシピが、組み上がっていく。
(……フェンは……見た目、狐だし。やっぱり、お稲荷さん、よね!)
我ながら——すごい、偏見だ。狐だから、お稲荷さん。でも、なんだか、しっくり、くる。
(……で。ピピは、水の精霊、だから。甘くて、つるんとした……水飴! うん、水飴が、似合う!)
これも、完全な、決めつけ、だった。でも——きっと、喜んでくれる。そんな、気がした。
材料を、買い込んで。私は、ほくほくと、街を、後に——。
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しようと、した。そのときだった。
「……シルヴィア?」
聞き覚えの、ある声に。私は、ぴたり、と、足を、止めた。
(……この声は)
振り向くと——案の定。
ユリウスが、立っていた。お忍びなのか、いつもより、ずっと、地味な、身なりで。でも——あの、深い青の瞳は、隠せていない。
「ユリウス様……!」
(……うわ。よりによって、こんなときに)
変装が、バレている。まあ、彼は、いつものことだ。でも——問題は。
「……その、隣の方は?」
ユリウスの、視線が。すっと——私の、隣に、立つ、人間姿の、フェンへと、向けられた。
その、声が。その、目つきが。
(……あれ?)
なんだか——いつもの、穏やかな、ユリウスと。少し、違う。
声の、トーンが、低い。そして——フェンを、見る、その目が。どこか、鋭い。探るような。値踏みする、ような。
『……ほう』
私の、隣で。フェンが、面白がるように。にやり、と、口角を、上げた、気が、した。
(……え。なに、この、空気)
穏やかなはずの、ユリウス。飄々としたはずの、フェン。その、二人の間に。なぜか——ぴりぴりと、した、何かが。火花のように、散っている。
「……えっと。この方は。その……遠い、親戚の」
私は、慌てて、口から、出まかせを、並べた。
(……まずい。なんか、まずい気がする)
理由は、わからない。でも——この、状況。早く、なんとか、しないと。
なぜか——背中に、冷や汗が、にじんだ。
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その後。なんとか、その場を、切り抜けて。私は、屋敷へと、逃げ帰った。
(……なんだったんだろう、あれ)
ユリウスの、あの、鋭い目。フェンの、面白がるような、笑み。思い出すと——どうにも、落ち着かない。
『くくっ。……いやはや。面白いものを、見せてもらったよ』
「……フェン。何か、知ってるの?」
『さあて。……鈍いお前は、気づかなくて、いいさ』
(……なんなの、もう)
まったく。精霊って、いうのは。どいつも、こいつも。
……まあ、いい。今は——それより。
(……さっそく、作ろう)
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屋敷の、厨房を、借りて。私は、腕まくりを、した。
まず——油揚げ。木綿豆腐を、薄く切って。よく水気を切ってから、油で揚げる。それを、醤油みたいな調味料と。甘みで——じっくり煮含める。
そして——お米。炊いて。りんご酢みたいな、お酢と、混ぜて。ほんのり、甘酸っぱい、酢飯に。
それを——煮含めた、揚げで、包めば。
「……できた! お稲荷さん!」
ふっくらと。つやつやの、お稲荷さんが。お皿の上に、並んだ。
『……ほう。なんだ、これは』
いつのまに、戻ってきたのか。狐の姿の、フェンが。興味深そうに、鼻を、ひくつかせる。
「フェンの、ためのやつだよ。ほら——あなた、狐でしょう? 狐といえば、お稲荷さん!」
『……は? なんだ、その、偏見は』
「いいから、いいから。食べてみて」
半信半疑の、フェンが。お稲荷さんを、一口。
——その、瞬間。
フェンの、金色の目が。かっ、と、見開かれた。
『……っ! ……なんだ、これは。……うまい』
「でしょう?」
『……甘くて。しょっぱくて。米と、揚げが……こんな。……もう一つ』
(……お。気に入った)
あの、何事にも動じないフェンが。お稲荷さんを、二つ、三つと。夢中で頬張っている。さっきまでの飄々とした態度は、どこへやら。
「ふふ。お粗末さま」
『……みどり。これは。また、作れ。いいな。……たまに、でいい。いや——できれば、頻繁に』
(……ちゃっかり、催促してきた)
素直じゃ、ないくせに。お稲荷さんには、勝てないらしい。なんだか——可愛いところも、あるじゃないか。
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『みどりー! 僕のは? 僕のは、ないの?』
ぷかぷかと。ピピが、寄ってきた。
「もちろん、あるよ。ピピには——これ」
私は、もう一つの、お皿を、差し出した。
琥珀色に、つやめく——水飴。甘い果実の、蜜を、じっくり、煮詰めて、作った。
「ピピは、水の精霊だから。甘くて、つるんとした、水飴が、似合うかな、って」
『……うわぁ! きれい! きらきら、してる!』
ピピは、大喜びで。水飴に、ぱくり。
『……あまーい! みどり、これ、すっごく、おいしいよ!』
(……よかった)
二匹が、それぞれ。お稲荷さんと、水飴を、頬張って。幸せそうに、している。
その光景を、見ていたら——なんだか、私まで。胸の奥が、ぽかぽかと、温かく、なった。
(……こういうの、いいな)
謎も。過去も。不安も。たくさん、抱えているけれど。
それでも——こんなふうに。大切な、相棒たちと。穏やかな、時間を、過ごせる。それは——きっと。とても、幸せなことだ。
(……ありがとう。ピピ、フェン)
声には、出さず。心の中で、そっと、呟いて。
私は——二匹の、幸せそうな顔を。いつまでも、眺めて、いた。
……まあ。街での、あの、不穏な空気のことは。ひとまず——忘れることに、して。




