報われない、と知って
お稲荷さん騒動から、数日後。
グランツ家から、私あてに、一通の、手紙が、届いた。
ユリウスからだった。「少し、話したいことがある。よければ、お茶でも」と。丁寧な、文面。でも——なんだか、いつもより。少しだけ、急いでいる、ような。
(……話したいこと?)
心当たりは——正直、ある。
先日、街でばったり会ったとき。私の隣にいた、人間姿のフェン。あのときの、ユリウスの、あの妙に鋭い目つき。フェンの、面白がるような笑み。
(……あのこと、かなあ)
なんだか——気まずい。でも、誘いを、無下にも、できない。私は、お受けする旨を、返事して。約束の日、グランツ家を、訪ねた。
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グランツ家の、応接室。
ユリウスは、いつも通り、穏やかに、私を、迎えてくれた。お茶を、勧め。世間話を、して。
でも——なんだろう。
(……どこか、そわそわ、してる?)
いつもの、彼らしくない。何か、切り出したそうで。でも、切り出せずに。茶器を、もてあそんだり。視線を、泳がせたり。
やがて——意を決したように。ユリウスが、口を、開いた。
「……ねえ。先日の。街で、会ったとき」
(……来た)
「君の、隣にいた——あの、男性のことなんだけど」
ユリウスの、声が。さりげなさを、装いながら。どこか——硬い。
「……ええと。遠い、親戚の方、だと。言っていたよね」
「は、はい。そうです」
(……うっ。嘘が、バレてないと、いいけど)
実際は——人間に化けた、フェンだ。でも、まさか、そんなこと、言えない。私は、平静を、装った。
「……その。失礼だけど。彼とは。よく、会うの?」
(……え?)
「いや。なんというか。ずいぶん——親しげ、だったから。その。気心の知れた、感じ、というか」
ユリウスの、視線が。微妙に、私から、逸れている。
(……なんだろう。この、感じ)
なんだか——ユリウスらしくない。彼は、いつも、こちらの事情を、深く、詮索しない人だった。なのに、今日は——やけに、あの「親戚」のことを、気にしている。
「……親しい、というか。その。家族みたいな、ものなので」
嘘では、ない。フェンは、相棒だ。家族みたいな、ものだ。
「家族——」
その言葉に。ユリウスの、肩から。ほんの少し、力が、抜けた——気が、した。
「そう、か。……家族、ね。……いや。変なことを、聞いて、悪かった」
(……?)
なんだか——ほっとした、ように、見える。気のせい、だろうか。
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その後も。ユリウスは、何度か。さりげなく——でも、しつこく。あの「親戚」のことを、聞いてきた。
どこに、住んでいるのか。いつから、知っているのか。これからも、よく、会うのか。
(……なんで、そんなに、気にするんだろう)
不思議だった。
まるで——あの、フェンのことが。気になって、仕方ない、みたいに。
(……まさか)
ふと。一つの、考えが、頭を、よぎった。
(……嫉妬、とか……?)
考えて——すぐに。自分で、打ち消した。
(……いやいや。ないない。何を、自惚れてるの、わたし)
だって——おかしいでしょう。ユリウスが、嫉妬する、なんて。
彼が——もし、誰かを、想っているなら。それは——「シルヴィア」だ。幼い頃から、知っている。人見知りだった、自分に、優しくしてくれた。あの、シルヴィア。
でも。今、ここにいる、私は。中身は——池崎緑。シルヴィアの、ガワを、借りているだけ。
(……ユリウスが、見ているのは。シルヴィアで。わたし、じゃない)
だから——嫉妬なんて、するわけがない。彼が、気にしているのは、きっと。「幼馴染の、シルヴィアが。見知らぬ男と、親しくしている」こと。心配——とか。幼馴染としての、お節介。そんな、ところだ。
(……うん。そう。そうに、決まってる)
胸の奥が。ちくり、と、痛んだ。
わかって、いる。ユリウスの、優しさも。気遣いも。全部——「シルヴィア」に、向けられたもの。
私じゃ、ない。
(……勘違い、しちゃ、だめだ)
自分に、言い聞かせる。期待しちゃ、だめ。自惚れちゃ、だめ。これ以上——好きに、なっちゃ。
(……だめ、なのに)
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「……シルヴィア?」
黙り込んだ、私を。ユリウスが、覗き込んだ。
「どうか、した? ……なんだか、浮かない、顔だ」
「……いえ。なんでも、ありません」
私は、慌てて、微笑んだ。令嬢の、仮面。演者の、技術。こういうのは——得意だ。
「……そう?」
ユリウスは。少し、心配そうに。それでも、それ以上は、踏み込まずに。
「……シルヴィア。もし——何か、困ったことが、あったら。いつでも、言ってほしい。君のためなら——僕は、力に、なりたいんだ」
(……っ)
まっすぐな、言葉だった。あの、深い青の瞳が。じっと——私を、見つめている。
その、瞳に。見つめられると。どうしようもなく——胸が、騒ぐ。
(……ずるい、なあ)
そんなふうに。優しく、言われたら。勘違い、しちゃう。期待——しちゃう。
でも、それは——「シルヴィア」への、言葉。
私は——ぐっと、奥歯を、噛んで。込み上げる、気持ちを、抑え込んだ。
「……ありがとうございます。ユリウス様」
精一杯の、笑顔で。そう、返すのが——精一杯、だった。
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帰りの、馬車の中。
私は、ぼんやりと、窓の外を、眺めていた。
『……みどり』
ぽつり、と。ピピが、囁いた。
『なんか……しょんぼり、してる?』
「……ううん。なんでも、ないよ」
そう、答えて。私は、そっと、目を、閉じた。
ユリウスの、あの、まっすぐな瞳が。優しい言葉が。何度も——頭の中で、繰り返される。
嬉しい。でも——苦しい。
好きに、なれば、なるほど。「これは、私に、向けられたものじゃない」という、事実が。鋭く——胸に、刺さる。
(……はあ)
ため息が、漏れた。
恋なんて。しなければ、よかった。叶わないと、わかっている、恋なんて。
でも——気づいたときには。もう、手遅れ、だった。
私は——あの、蒼い瞳の人を。どうしようもなく——想って、しまっている。
たとえ、その想いが。決して——報われないのだとしても。
窓の外。茜色の、空に。二つの月が、薄く——浮かび始めていた。




