秘密の隠れ家
翌日。
暗号で読み解いた、あの断片が、頭から、離れなかった。
気をつけて。あの人に。お願い、あなたに、託したい——。
シルヴィアは、何かを、私に、伝えようとしている。警告を。そして、託したい、何かを。
(……シルヴィアのこと、もっと、知りたい)
暗号の続きは、まだ解けない。でも、暗号だけが手がかりとは、限らない。シルヴィアは、脱走癖があって、いろんな秘密を抱えていた人だ。きっと、他にも——私の知らない隠し事が、あるはず。
「ねえ、ピピ」
私は、肩の上の、小さな相棒に、呼びかけた。
「シルヴィアが——この身体の、本当の持ち主が、何か、隠してるもの。他にも、ないか、探せる?」
『んー、やってみる! 探し物、得意だもん!』
ピピは、ぴょん、と跳ねて、ふわふわと、部屋の中を、漂い始めた。
きょろきょろと、あちこちの気配を、嗅ぎ回るように。本棚。机の引き出し。ベッドの下。一つひとつ、確かめていく。
そして——クローゼットの前で。ぴたり、と、止まった。
『……みどり。ここ』
「クローゼット?」
『うん。この奥……すっごく、変な気配。今まで感じたことない、強い気配がする』
(……奥?)
私は、クローゼットの扉を、開けた。
中には、ドレスや外套が、整然と掛かっている。ごく普通の、衣装入れだ。変な気配なんて、感じない。——いや。私には、感じないだけ、かもしれない。
恐る恐る、掛かった服を、かき分けて。奥へと、手を、伸ばす。
その、瞬間だった。
クローゼットの、いちばん奥。木の壁が——ふわり、と、淡く、光った。
(……っ!?)
思わず、手を、引っ込めかける。でも。
『大丈夫! 怖くないよ! これ、入口だ! きみ、入れるよ!』
ピピが、嬉しそうに、光の中へ、すいっと、吸い込まれていく。
(い、入口……?)
心臓が、早鐘を打つ。でも——ここまで来て、引き返す気はなかった。シルヴィアの秘密に近づける。その予感が、私の背を押した。
私は、ごくり、と唾を飲んで。光る壁へと、手を——そして、身体ごと踏み込んだ。
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ふっ、と。
視界が、切り替わる。
次の瞬間、私が立っていたのは——見たこともない、小さな、部屋だった。
(……ここ、は)
クローゼットの奥に、こんな空間があるなんて。物理的には、ありえない。屋敷の構造から考えても、こんな部屋が入る隙間は、ないはずだ。
でも——確かに、そこに、あった。
こぢんまりとした、居心地のよさそうな、隠し部屋。
柔らかな、間接照明みたいな淡い光が、どこからともなく満ちている。ふかふかのクッション。小さな書き物机。壁には、押し花や、綺麗な小石、街で買ったらしいささやかな雑貨が、大切そうに飾られている。
誰にも邪魔されない。誰の目も、気にしない。自分だけの、小さな宝物の部屋。
(……シルヴィアの、隠れ家)
ひと目で、わかった。
これは——シルヴィアが、一人になるための場所だ。ぎくしゃくした家族。気を張る社交。「いい子」を演じ続けた、令嬢生活。その、すべてから逃れて。ここで、彼女は、ただの「自分」に戻っていたんだろう。
(……だから、脱走、してたのかな)
胸が、少し、締めつけられた。
優しくて、好奇心旺盛だった、シルヴィア。でも、その裏で——きっと、ずっと息苦しさを抱えていた。だから、変装してまで街へ出て。あるいは、こんな隠れ家を作って。必死に、息継ぎをしていたんだ。
『みどり! こっち、見て! これ、なんだろう?』
ピピの声に、我に返る。
部屋の隅。小さな、木箱の中に。それは、しまわれていた。
栗色の、ウィッグ。地味な、街娘風の、ワンピース。目深に被れる、帽子。
(……変装、道具)
エマが、言っていた。シルヴィアは、栗色のウィッグで変装して、街へ抜け出していた、と。これが——その道具。
私は、栗色のウィッグを、そっと、手に取った。
(……これがあれば)
ふと、思いつく。
これがあれば——私も。シルヴィアの顔を、隠して。「銀髪の令嬢」じゃない、ただの街娘として。街へ、出られる。
今は、まだ屋敷の中だけの世界。でも、暗号の続きを追うにも、シルヴィアの過去を探るにも、いずれ外に出る必要が出てくるはず。そのとき——この変装は、きっと役に立つ。
(……ありがとう、シルヴィア。これ、借りるね)
心の中で、断りを入れて。私は、変装道具を、そっと、抱えた。
そして——その、木箱の、底に。
もう一つ。
何かが、布に包まれて、しまわれているのに、気づいた。
(……これは?)
布を、そっと、解く。
現れたのは——一枚の、手鏡だった。
銀の、繊細な細工。古めかしいけれど、品のいい装飾。鏡面は、曇り一つなく澄んでいる。
(……綺麗)
でも——それだけじゃ、なかった。
なんだろう、この感じ。ただの手鏡とは、思えない。見ているだけで——どこか、惹きつけられる。吸い込まれそうな。不思議な雰囲気を、まとっている。
そっと、指先で、鏡面に、触れてみる。
その、瞬間。
とくん、と。
胸の奥の、あの温かい力が——小さく、応えた。
(……っ。今、反応した?)
まるで、この手鏡と、私の中の力が。何か、呼び合うように。共鳴したような——そんな、感覚。
でも、それきり。鏡は、ただの静かな鏡に戻っていた。何かが起こるわけでも、ない。映るのは、シルヴィアの——銀髪の、少女の顔だけ。
(……なに、これ)
心臓が、ざわつく。
この手鏡は——特別だ。理屈じゃ、ない。本能が、そう告げていた。ただの装飾品じゃ、ない。何か、大きな意味を持っている。
そういえば——以前。鏡を覗き込んだとき。シルヴィアの記憶の中に、引き込まれたことが、あった。鏡は——もしかしたら、シルヴィアと私を繋ぐ、何か、なのかもしれない。
(この鏡も……何か、あるの?)
問いかけても。手鏡は、ただ、静かに、私の顔を、映すだけ。
答えは、ない。
でも——直感が、告げていた。これは、暗号と並ぶ、もう一つの、大きな鍵かもしれない、と。
私は、手鏡も、そっと、変装道具と一緒に、抱えた。
(……シルヴィア。あなたは、ここで。どんなことを、考えていたの)
誰にも見えない、誰も入れない、自分だけの、隠れ家。そこに遺された、変装道具と、不思議な手鏡。
知れば知るほど。シルヴィアという少女の、奥行きが——深く、なっていく。
優しいだけじゃ、ない。脱走癖が、あるだけでも、ない。彼女は——何か大きな秘密を抱えたまま。私に、それを託そうとしている。
(……一つずつ、だ)
私は、隠れ家を見回して。それから、ピピと一緒に光る壁を抜けて、元の部屋へと戻った。
手の中には。シルヴィアが遺した、二つの、手がかり。
謎は、まだ、深い。
でも——確かに、一歩ずつ。私は、その核心へと、近づき始めていた。




