《game.2》案内人
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泉が覚醒した時、その手には持っていたはずのスマホはなく、彼女は高校の制服を着たまま見知らぬ大地に立っていて、目の前にはまったく初対面の人物が向き合っていた。
「─────ご機嫌よう、朝比奈泉さん。そしてようこそ、Hell✞Moneyの世界へ」
胸に手を当てながら丁重に頭を下げたのは、燕尾服風の黒いスーツに、黒髪碧眼の青年。
その姿は、まるで超一流芸術家の彫刻作品のような─────とてもこの世の者とは思えない、端整で美しい顔立ちをしていた。
しかし現実離れしているのは青年だけではなく、周囲の風景もまた同じで、まるで夕暮れをさらに濃くしたような赤茶けた鈍色の空には、時折烏の群れが鋭く鳴いて、本能的に泉を不安にさせる。
「まずは、第一関門の突破、おめでとうございます」
やや皮肉の響きが含まれた声音と微笑で、青年が賛辞を述べる。
「しかしよくわかりましたね、あのカウントダウンが偽装ということに」
「………………」
「ほとんどの方はあれに引っかかって安易に同意ボタンを押して即ゲームオーバー、になるのですが────よく冷静に偽の規約を翻訳できましたね?」
青年は感心した様子で泉に訊いた。
泉は深呼吸を一つしてから、ここがどこで、目の前にいるのがどこの誰だかわからない相手────という状況にも関わらず、自分でも冷静に答えた。
「あの数字が決断するまでの制限時間だなんて、画面のどこにも書いてなかったから。だったら、内容をよく調べる方が重要なんじゃないかと思ってあえて無視したの。それであの文字が『ヘブライ語』ということを画像検索で調べて、しっかりとダミーの規約とやらを翻訳して読んだというわけ。もう一つ言うと、序文の『真のSTARTボタン』という思わせぶりな言葉もヒントになったわ」
あの規約が引っかけであることは、文章を正確に翻訳した人間ならばはっきりとわかる。ダラダラとそれらしく文字が羅列してあったのはほとんど意味のない文章で、冒頭の部分にはっきりとこう書いてあったのだ。
『これを正確に翻訳できた者だけに伝える。この文章は規約などではない。画面を下にスクロールして本当の同意文をチェックすることが真の参加条件である。仮初めの同意文に頷いた者は退場させられ、二度とこのアプリを見ることはないであろう。また、以下の文章は何の意味もないので注意されたし。本日は晴天なり、明日はナイルで雨が降ろう。神々の黄昏の刻は近い─────』
「いや、これは素晴らしい。満点を差し上げましょう!」
聞き終えた青年はゆっくりと拍手をはじめたが、泉はそれを遮るように言った。
「見え透いた世辞なんかいらないわ。そんなことより、こちらの質問に答えてもらえる?」
「どうぞ」
拍手をやめ、青年は右手を差し出して促した。
「まず、ここはどこ?そしてあなたは誰?Hell Moneyって仮想現実ゲームなの?」
「おやおや。これはこれは、一度にたくさんの御質問を─────まぁよいでしょう、一つずつお答えしていきましょうか。
今、あなたと私が立っているこの空間はバーチャルな仮想現実ではなく、この私が施した大がかりな『魔術結界』の中ですよ。設定としては、とある時代のヨーロッパの小国の郊外を再現しているのですが、今までおられた貴女の世界とは完全に隔絶された空間です。ああ、そういう意味ではここが『仮想現実』と言えなくもないかもしれませんね?」
さも当たり前のように話しているが、この青年は何を言っているのだろう?
泉は呆れるような顔で彼の言葉を聞いていた。
「魔術結界?何それ、そんなものがこの世の中にあるわけが──────」
途中まで言いかかって、泉は口を閉じた。
確かに信じがたい話であるが、では今直面している現実、先程まで確かに自室にいたはずの自分が、今は見知らぬ大地に立っているこの現象は何なのか。
自分が夢を見ているのでなければ、受け入れざるをえない現実があることを、彼女は気づきつつあった。
青年が微笑む。
「『魔術結界』と言うと聞き馴染まない単語で理解しくいかもしれませんが、あなた方の国にも本来、神社など至る所に規模は小さくても『結界』と呼べる物は存在しているのですよ?ただ、この結界はそれらとは比べ物にならない、この世界の根幹に直接干渉している大規模な物です。あなたが目にしたことがないのも致し方ありませんが」
泉は戦慄して青年を見た。
この世の者ならざる美しい青年は、笑顔の背後にとんでもない『何か』を隠し持っているのではないか?と、今更ながらに気づかされたのだ。
「あなた─────、一体、何なの?」
「おや、私ですか?淑女への礼儀として名乗りたいのは山々なのですが、私どもの名は、あなた方の言語では正確に発音できませんのでね。代わりに《案内人》とでも呼んでいただければと」
「案内人?どういうこと?あなた、一体何が目的で─────」
泉の言葉に、青年は心外そうに首を傾げた。
「私の目的?─────それは話があべこべですね。『目的』というなら、むしろ私の方があなたに問い質したい。
朝比奈様。あなたは、何を求めてこのHell moneyに参加しようと思ったのですか?」
興味深そうな案内人の視線を向けられ、泉は唇の端を噛んだ。
脳裏に浮かんだのは、絶望的な現実と家族の慟哭──────
彼女の中の様々な感情と、過去の映像が過る。
泉は案内人の青年をキッと睨んだ。
アンタなんかに、今の私の気持ちがわかるものか─────!
そう心に烈しく思ったが、ぼそりと口に出したのは別の言葉だった。
「このHell Moneyって、最終的にたくさんお金がもらえるんでしょ?─────だったら、その目的以外でプレイする理由が存在するとでも?」
「なるほど………これは言葉足らずで失礼いたしました。私は目的のもっと手前、動機をお伺いしたつもりでしたが、それは朝比奈様のプライベートな事柄でしたね。重ねて御無礼をお許しください。では、説明の順番が変わりますが確かにこのゲームの勝者にはその方自身と等価の財産を差し上げております。それは私の名誉に賭けて、必ず保証いたします」
案内人を名乗る青年の宣言。
泉は臆することなく、立て続けに訊いた。
「具体的に、いくらなの?」
「それは等価交換ですので、人によって変わりますが─────朝比奈様なら億は下らないでしょう。ただし、貴女にもそれ相応の代償を賭けていただくことになりますが。代償がない人間には博打の場に立つ資格もございませんからね」
「──────そう、わかったわ。じゃあ、そろそろゲームのルールを教えてちょうだい」
青年は意外そうな顔をした。
「ゲーム以外の質問はもうよろしいのですか?たとえば─────この私のことなど、ね」
魅惑的な笑みを、泉は一蹴した。
「興味ないわ─────それに、自分の本当の名前を明かさないような人にこれ以上何を聞いても同じでしょうし。それよりも、さっさとHell Moneyの内容を教えて」
青年は満足そうに微笑んで、頷いた。
「結構、理解と話が早くてこちらも手間が省けます。─────では、これより朝比奈様にHell Moneyのルールの説明を行います。ルールを聞く前の今なら無条件でこのゲームを降りることができますが、聞いてからだとそれはできなくなります。それでも、この先のルールを聞かれますか?」
「くどいわ。早くして」
何の躊躇もなく答える泉。
「よろしい。では、この時点で朝比奈様とHell Moneyの仮契約成立でございます。これからその契約に則って、ゲームルールをあなたに御説明させていただきます」
青年は右手の人無し指を立て、それを泉に向けた。その指が微かに光るのが見えた瞬間、泉の脳に情報が洪水のように、一気に流れ込んできた!
『ルール1.ゲームがスタートした瞬間から参加者の契約は本契約に移行され以後はHell✞Moneyのルールに則って行動することルール2.参加者は制限された時間内で最後まで殺し合い最後の一人に残った者を最終的な勝者とするルール3.制限時間以内に複数の人間が残った場合は無効ゲームとするルール4.一度参加を宣言した参加者は代償なしにゲームを降りることはできないルール5.Hell✞Moneyのゲーム内容を現実世界で語ったものは厳正に処罰されるルール6.魔術結界内の身体損傷及び死は現実に影響しないがHell✞Money敗者にはゲーム終了後に個別の罰が課せられるルール7.参加者は次の職種の中から一つを選択して他参加者と競い合うことができる戦士,魔術師,狩人,盗賊,騎士,司祭ルール8.各職種にはスキルが付与されるルール9.各職種の概要は次の通り──────』
次から次へと脳に直接情報を叩き込まれ続け、泉は無意識に声をあげていた。
「──────う、ぁぁぁぁぁぁッッ?!!!」
それは誰かの声なのか、文章なのか、それともその両方かは、泉にはわからない。確かなのは、多くの情報が頭の中に高速で、しかも強制的に流れ込んでくるということだ。
やがて脳内に流れ込んでくる情報の洪水が止まった時、軽いめまいがして膝をつきそうになったが、なんとか足に力を入れて踏ん張り、泉はそれに耐えた。しかし、思わずこめかみに手を当てて呻いてしまう。
「さて。無事にルールは御理解できましたでしょうか?」
青年が爽やかな笑顔で問いかけてくる。
─────何が、無事に、よ!!!
他人に身体的負荷をかけておきながら、それをまったく意に介さないこの青年に怒りを覚えるとともに、あらためてこの青年が人の皮を被った化け物なのだと泉は実感した。
しかし───────
確かに手段は強引だったが、この頭に直接送られた情報は、なぜかすんなりと内容を理解することができ、長々と言葉で説明されるよりも遥かに効果的であったことは、悔しいが泉も認めざるをえない。
「─────大まかには、ね。だけど、ルールに関して細かい質問は受け付けてもらえるのかしら?」
「ええ、説明の制限時間以内であれば」
条件付きではあるが、青年が笑顔で了承したので、泉はこの『案内人』といくつかの質疑応答を行った後にしばらく考え込んでから、一つの結論を口にした。
「よし、決めた。私は《□□□□》の職種を選ぶわ」
「そちらで、本当によろしいですか?ゲーム内の職種は一度選択すると以降は二度と変更不可ですが──────」
《案内人》の言葉を遮り、泉はきっぱり言った。
「それはもう聞かされてるから。いいから、さっさと手続きを進めてくれる?」
「─────承知いたしました。では、朝比奈様の職種を決定させていただきます」
青年が手を前に差し出すと、泉の右手首の辺りがぼんやりと光った。
「これが─────」
泉は自らの右手をまじまじと見た。
甲の部分に、蒼白く光る紋様の物が浮かび上がっている。泉の紋様は、矢のような形に見えた。
「それが、貴女がた参加者の職種を示す紋章、『職紋』でございます。スキルを使うとそれが浮かび上がるので初見の相手には注意が必要ですが、逆に他の参加者がスキルを使った際にも相手の職種特有の職紋を見ることができますよ」
「その話は、説明通りね」
「はは、まぁそう仰らずに。
これも説明済みで蛇足でしょうが、わざわざ相手の職紋を確認しなくとも、参加者の多くは戦闘に備えて職種ごとの専用装備を任意で装着している場合がほとんどですので、お互いに自らの職種をずっと隠し通すというのは、かなり難しいことだと言えるでしょう。
─────では、そろそろ時間ですので御説明は終了となりますが、よろしいでしょうか?」
「これ以上、何?
親切に説明時間を延長してくれるっていうの?」
何の期待も込めず泉が問うと、青年は肩をすくめて首を振った。
「まさか。朝比奈様の御覚悟をお聞きしただけでございます、時間の延長は認められません」
「ふん、だと思った─────じゃあ、あなたの顔もそろそろ見飽きたのでお別れといきたいところだけど、最後に一つ、いい?」
「どうぞ」
「ゲーム参加者は、全部で何人なの?」
「朝比奈様を含めて、20名でございます」
まともな返答を過度に期待してはいなかったが、意外にも青年はすんなりと重要な情報を教えてくれた。
「了解。ってことは、他の19人をぶっ倒せば、私の勝ちってことね」
「仰る通りです」
青年は鷹揚に頷いた。
「じゃ、また後でね」
「?
─────後、とは?」
「白々しい。どうせ、私が最後まで勝ち残ったらまた顔を合わせる仕組みなんでしょ?だから、先に言っておくのよ」
「─────それはその時になったらわかるでしょう、とだけ言っておきましょうか」
青年は否定も肯定もせず、泉に対して初めて曖昧な言い回しをした。泉がそれを不審に思う間もなく、微笑みながらさらに告げた。
「然るべき時が来れば、自ずと全ての答えがわかります。というわけで、朝比奈様。説明はこれにて終了です。どうぞご幸運を」
案内人の青年が胸に手を当てて軽く会釈すると、彼の姿が周囲の赤茶けた風景にゆっくりと、溶け込むように消えていった。
「─────さて、と。ここからがついに本番ってわけね」
目の前で人が消えるという怪現象に当然驚きはあるが、この日常とかけ離れた異空間で、これ以上あたふたしても仕方がないので、泉は努めて冷静に呟いた。
こんな状況に置かれながらも、自分でも驚く程に泉の感情と理性は平静に近い。
勝ち気な自らの性格もあるだろうが、彼女には勝利を掴み取らねばならない明確な理由と目的があることが大きいのかもしれない。
ゲームのルールはしっかり頭に入っている。
大丈夫、わたしならきっとうまくやれる──────
そう心に誓い、深呼吸を一つして息を吐いた瞬間、すぐ近くで、
パキッ
と、木の枝を踏むような物音がした。
「─────誰ッ?!」
泉は鋭い視線と声を、物音のした方に向ける。
目を向けた方は林になっており、薄暗くて中は見通せない。
何か異様な雰囲気を感じて泉は反射的に退こうとしたが、それより先に林の暗がりから何者かが、両手を挙げて現れる方が先だった。
「待ってくれ、この通りこちらに敵意はない。お願いだから、話ができないだろうか?」
「──────!」
それは眼鏡をかけたスーツ姿の若い男だった。
両手を上に挙げながらも、注意深い足取りで泉の方にゆっくり歩み寄ってくる。
「それ以上、近寄らないで!」
泉が制止の声をあげると、眼鏡の男はピタリと歩みを止めた。
「わかった、繰り返すがこちらに敵意はない。こんな状況に突然置かれた者同士として、君と冷静に話をしてみたいだけなんだ」




