第3話 理解不能な夜
丸い月が街を照らす夜。
過ごしやすい涼しい夜……というには少し暑いのかもしれないが、ここ最近の気温を考えてみればまだ過ごしやすい部類に入る夜なのだろう。こんな日は大騒ぎせずにのんびりつかの間の平穏にひたっていたいと思う人は、決して珍しくないのではないだろうか。しかしここ最近の度重なる出撃でお疲れ状態の猪原は早めに布団に入り込んでいた。
だがどうも睡眠を妨げたいものがいるらしい。
「うるさい」
猪原は体を起こす。
おそらくは風なのだろうか。何かが彼の部屋の窓を叩いているのである。
まさかこんな日本有数の武闘派集団の寮に空き巣に入る馬鹿はいないだろうが、ここまでうるさいと気になってしまうものである。好奇心とは違う気になる感情を抑えきれずに、カーテンをめくってベランダを見てみる。
「こんばんは」
「夜這い?」
「まさかその返事とは思いませんでした」
新谷がいた。
「いや、自分もまさか第一声が『こんばんは』だとは思わなかったけど」
そしてその隣には稲嶺もいた。
「デート?」
「違います」「違う」
何をどうしたら他人の部屋のベランダにデートで来るのか。
彼女はこれまで散々話をしていたくせに、急に「静かに」とアピールして部屋に一歩だけ踏み込んだ。
「猪原さん。すぐに出ます。靴を履いてベランダまで」
「なぜ?」
「理由は後です」
彼女は制限解放器が付けている『はずの』左腕へ視線を落とし、そこにある時計で時間を気にしていた。そう今の彼女にそれはない。
「持ち物は……いえ。何も持っていく必要はないかもしれません。あえていうなら武器だけ」
「お、おぅ」
猪原は彼女の言うとおり武器と上着だけ羽織る。もちろん上着の下は寝間着代わりに付けていたジャージである。
なんだかよく分からないが玄関から靴を持ってくるなり、彼女の手招きするベランダに出るとその時は来た。遠くの方で何かの照明が光り、彼らのいる寮の方を照らし始める。
「早かったですね。行きますよ」
「ちょっ、新谷⁉」
彼女は焦る猪原の手を取るとそのままベランダの手すりを乗り越えてダイブ。稲嶺も迷わずそれに続く。因みに3階である。
「猪原さん。走ってください。場所は3番ゲート前」
「て、敵襲か?」
「半分敵で半分味方。ですが分かりやすい言い方をすれば、立ち向かい者は敵であり、手を差し伸べる者は味方です」
つくづく今日の新谷はよく分からないが、とにかく彼女と共に走ればいいらしい。動きやすい格好だったのが幸いである。
「いたぞ。こっちだ」
「どこから漏れてたんでしょうね」
数人の足音と声に苦言を呈す新谷は上着の内ポケットから何かを取り出し遠投。中高生くらいの女子とは思えぬ、プロ野球選手クラスの放物線を描いたそれはどこかの草むらに飛び込み大きな音を鳴らす。
「この程度で撒ければいいですが、こっちです。逆方向に逃げます」
「な、なんだよ。いったい」
「何も言わないでください」
いったい何度この言葉を発したか分からない猪原と新谷。だがそもそも説明してほしい彼の主張も最もだし、状況が理解できるものならば時が惜しい新谷の主張も最もなのである。
「止まれ。そこまでだ」
3人が逃げる先、その前に1人の男が立ちふさがった。新世代を統括する上層部のエンブレムを胸に付けた男。本物の上層部は椅子にふんぞり返っているであろうことからして、彼ですら末端の1人なのだろうが。
「どいてください」
「止まらないと撃つぞ」
足を止めない新谷に対し男は拳銃を引き抜き牽制する。
しかしそれでも止まらない3人の足。
そして一発の銃声が月夜に響き渡った。




