第17話(忙しい陛下)
森で陛下に見つけられてからというもの、私の護衛はぐっと増えてしまった。
王宮へ戻るまでの道中、私はずーっと陛下のそばを離れられなかった。暑いってのに、馬車の中では膝の上。食事をするのも陛下の腕の中。
移動のほとんどを、抱き上げられて過ごした。
この季節、馬車は風が通る夏仕様になっているけれど、暑いっ。体温がうっとおしいっ。
過保護な親に縛られて歩かせてもらえないと不満な子供の心境がよくわかった。歩こうとしても、ひょいっと胴に腕がまわってきて動けなくなるのだから。
そりゃ、最初はそれでもよかったけど。
ずっとそんなだとは思わないでしょ、普通。
最低最悪だったのは、自然の欲求が私を呼ぶ時。
頼むから、遠くに行っててくれない?
と何度言っても理解してはもらえなかった。
私はねっ、男性にトイレ事情を知られたくなんかないし、知りたくもなかった。
たとえ夜を共にする仲だったとしても、それはそれ、これはこれでしょ。広大な自然のトイレには危険がいっぱいなのは認めるけれども。
あの時ほど裾の長いドレスの実用性を痛感したことはなかった。いろいろ隠せるって素晴らしい! 音と臭いは消せないのが残念無念。
でも、陛下がそばにいてくれて心強かったのは確か。一人暗い森の中に取り残される夢から覚めた時、そこにはいつも陛下がいて。だから夢も怖くはなくなった。夢の中にも駆けつけてくれるようになったから。
陛下はそばにいる間ずっと仕事モードだったので、きりっとした姿を真近でみることになった。私専属の騎士のようで、その姿はちょっと格好よくて。こっそり斜め下から見上げてドキドキした。
馬車内と食事中とトイレ事情以外は、だけど。
王宮へ戻ると、ホルザーロス卿のこともマレリーニャ嬢のこともすでに何もなかったことになっていた。やはりマレリーニャ嬢は偽王女で、本物の王女は国でお亡くなりになっていたそうだ。偽王女が使者だったことは口外しないようにと言われた。そういうことは国で交渉するんだろう。
そして、私に付いてる警護騎士の人数が倍になった。今や、廊下を移動する時の行列の長さは、陛下に匹敵するほど。散歩に行く庭園にも騎士が先に行って構えていて、落ち着かない。
王宮にいるんだから、こんなに騎士達いなくても大丈夫だと思うんだけど。
私も自分で身を守る対策をしないとと思い立ち、へそくり(陛下にもらった宝飾品)で買い物をした。侍女リリアにも席を外してもらい、内緒で業者の人に細かく要望を説明し、作ってもらえるよう頼んだ。
出来次第、届けてくれるらしい。
早く来ないかな。
「ナファフィステア妃、そろそろ陛下へお茶をお持ちするためのお仕度をなさいませんと」
にやにやしているところへ侍女リリアから声がかけられた。
そうだった。
溜まった執務の処理と今回の事件の処理などで陛下はとても忙しい。で、私は暇。
休憩時間になると陛下がやって来るので、どうせなら私が陛下のところへ行けばいいんじゃないかと提案したのだ。
それは快諾され、私は毎日午後のお茶の時間には、陛下の執務室へ通っている。仰々しい行列を引き連れて。
「そうね」
リリアの声に、私は立ち上がった。
執務室へ行くだけで着飾るのは面倒だけど、これも妃業の一貫なので手は抜けない。
そして午後、執務室の奥にある小さな小部屋に、私と陛下の二人きり。小部屋の大きな背もたれつきの椅子で今は陛下が目を瞑っている。その膝の上で私は大人しく動かない。
休憩のお茶を持ってきただけなんだけど。まあ、いいか。
陛下は疲れているんだろう。
私を抱えてたら休めないだろうに。小さいから抱き枕がわりに丁度いいサイズなのかもしれない。
それにしても、動けない。
動いたら起してしまいそうだから。
ゆらゆらと窓際でカーテンが揺れている。
入り込む風は肌の上を撫でるくらいだけど、昼寝には丁度いい。緑や土が多いと吹く風も違うと思う。
以前のアスファルトから立ち上る熱のゆらぎも、道路脇を歩けば車から吐き出される熱さも、じめじめした湿気の多い息苦しさも、ここにはない。
さて。
今はこうして陛下が面倒をみてくれてるけど、先のことを考えなければならない。王女が偽物だとわかったと同時に、私の肩書きが嘘だということも調べられているはずだから。私はどこの姫でもなく、身元不明なただの人だと。
まだリストラされてはないけど、失業するまでさほど時間があるとは思えない。だから、すこしでも早く次の就職先を探しておきたいのだけれど、今の時期は王都にめぼしい芸人一座がいない。夏は貴族達が避暑地へ行ってしまうため、そうした催しが少ないのだ。芸人一座へ自分を売り込みに行こうにも、行く先がないのだった。
別の就職先を考えるか、一ヶ月すればどこかの一座が来るだろうからそれを待つか。
はーっ。
私は深々と溜め息をついた。
すうすうと規則正しい呼吸音。
「助けにきてくれてありがとう、陛下。すごく嬉しかった」
私はまだ言ってなかったお礼を聞こえていないだろう陛下に小さな声で告げる。
陛下は動かない。
ので、調子にのって喋る。
「陛下、絶対に老けて見えるわ。毎日仕事ばっかりで休まないからだと思う。だから、私が横に並んだら子供にしか見えないんじゃない」
近くで陛下の顔をみながら私は喋る。
話し相手にはならないけど、ぬいぐるみに向かって話してると思えば。
『でもね、若く見えるっていうのは割と使えるんじゃないかと思うのよね。芸人一座で、この黒髪を目玉に有名子役を目指すの。黒毛の注目度は高いから』
私は日本語で陛下に向かって話しかける。
もう使うことはない言葉。返ってくることもない。
『いつか私が有名になったら、陛下は王宮へ呼んでくれる? 覚えていてくれるといいな。陛下が、元気だったかって、ただの芸人に声をかけるの。で、周りの人が驚くのよ。お前、陛下と知り合いだったのかって。私は得意そうに自慢するの。私はここで妃だったことがあるのよってね』
空想の未来。
そんなふうになったらいいと、思う。
ここを離れても、また逢えるかもしれないと思うことが何かの支えになるのだろうから。
日本語ではなくこの国の言葉で陛下に告げる。眠ってるんだから伝わらないとわかっているけど、伝わるといいなと。
「いつかまた逢った時には声をかけて。どんな言葉でも、覚えててくれるだけできっと嬉しいから」
陛下はうんともすんとも言わずに、ただ静かに寝息を立てていた。
陛下の膝の上でそれを感じながらぼんやりしていると、女官が戸口から合図を送ってきた。
陛下を起こす時間だ。
「陛下。お時間です。起きてください」
私が陛下の肩に手をかけ、身体を揺するようにしながら声をかけた。
すると、ぱかっと陛下の目蓋が開いた。
怖っ!
寝起きなら、ゆっくり開けようよ。
アンティーク人形みたいな無表情なガラスの青い目を真近で急に見るのは怖いんだって。
ああ、まだ心臓がバクバクしている。
陛下は無表情で私を囲っていた腕を解いた。
寝起きだからなのか、機嫌が低空飛行のよう。
「大丈夫、陛下?」
という私の問いかけに、軽く頷いただけで陛下は執務室へと歩いて行った。
疲れているのかな?と思いながら、私は部屋へと戻った。




