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実験小説『イケベ大公爵家の日常』  作者: 西村紅茶
アニ・ヴィーゼル編
17/24

その2(第10話)

◆生まれてこの方もっとも貴族らしい生活をしている乳母のアニ嬢の優雅な目覚めと朝食





 今日も小鳥のさえずりで目が覚めた。

 もう一日の目覚めからして素晴らしく優雅で、実家にいたころとは大違いだ。


 実家にいたころは、弟や妹がたくさんいたから、大抵そのうちの誰かが朝の五時とか、そういうとんでもない時間に目を覚まして、わたしの寝室に突撃してきてそこらじゅうを跳ね回るのだ。もうちょっと寝かせてくれえ、と言っても聞いちゃくれない。


 それで、朝ごはんの時間になると、弟妹たちの寝室をまわって、布団を次々引っぺがして起こし、ぐずる子がいれば、抱っこにおんぶで抱え込みつつ、その辺で暴れている子供を羊飼いみたいにして食堂に追い立てて行って、喧嘩してるのがいれば頭をはたき、食べこぼしたのがいれば拭いてやり、遊んでばかりで食べてないのがいれば食事を口に突っ込んでやり、ごはんが終われば、今度は群れを洗面所の方に追い立てて、歯を磨かせて顔を洗わせて、寝間着を脱がせて服を着せて、脱ぎ散らかされてある寝間着を籠に突っ込んで、洗濯場に届けると、やっとひと段落がつける。というような生活をしていた。


 そんな生活が今ではどうか。


 身を起こして、隣に寝ている天使のように可愛いご主人様を起こさないよう、そっと寝床から抜け出して、窓辺に近づき、十分に日が昇って明るくなった庭に面した窓を少しきると、朝の澄んだ空気が、窓に面した庭園から、かすかな花の香りとともに入ってくる。


 小鳥の声に耳を澄ましていると、上品なノックの音が聞こえて「どうぞ」と答えると扉が開いて「朝のお茶をお持ちしました」という声とともに、とても美しくてかわいらしいメイドさんが茶器を携えて入ってきて、このワタクシのためにハーブティーを淹れてくれる。


 ああ、あまりにも違いすぎる。


 前略。お父様、お母様。あなたたちの娘は乳母として人に雇われる身になってはじめて、なぜか生まれてこの方もっとも貴族の女性のような生活をしています。これが子供たちの世話を嫁き遅れの長姉にさせる貧乏副子爵家と、たった独りの御子のためにすら専属の乳母を雇う大公爵家との格の違いというものなのでしょうか。……などという感想はもちろん両親への手紙に書いたりはできないが、つまりその何というか、今までの生活と現状との、あまりの差から、ついそんな感想を抱いてしまう。


 まあそれはいいとして、美人メイドのエマさんが静かにお茶を淹れてくれている間に、わたしはシホ様に呼びかけて、そっと揺り起こす。もちろん実家とは違って、突然布団を引っぺがしたりなんてしない。


 そうすると「んぅ……」という小さな声とともに、小さなご主人様が目を開ける。


 おはようございます、良い朝ですよ。と挨拶をすると、可愛いご主人様は半分寝ながら、


「うゅ……おはようごじゃいましゅ……」


と舌足らずな声で、挨拶を返して下さる。


 半分寝ながら返事をしていらっしゃるのに、御挨拶はかっちり丁寧語というあたりが、やはり十六歳ということなのだろうか。シホ様は、夜に寝るときにも意味なくぐずったりはされないから寝かしつけるというほどの必要もない。寝かしつけるというよりは、わたしと、とりとめのないおしゃべりをして、そして寝たら、起きる時間になるまで、ずっと静かになさっている。


 あまりにも手がかからないので、もうなんだか、乳母いらないんじゃないかという気がしないでもない。実家とくらべて楽すぎる分、存在意義の薄さに悩むところだ。貧乏性の人間はヒマに弱いんである。


 まあそれでも、寝間着の前をはだけて、おっぱいを含ませると、半分寝ながら吸ってはくださる。


 それで、おっぱいを吸われながら、淹れてもらったハーブティーをわたしが飲み干したころに、シホ様がようやくしっかり目を覚ますので、今度はシホ様と自分の歯磨きと洗顔と着替えをして、少し待つと朝食の案内がある。




 朝食は食堂の方へ移動してとる。


 このお屋敷は、使用人はやたら大勢いるから使用人ホールのテーブルはすごく賑やかだけど、御当主様であるシホ様はまだ幼児で他に家族がいらっしゃらないから、主人一家用の大きくて立派な食堂のテーブルに着くのはシホ様たったひとりになってしまう。


 それでまあ、わたしが食事の介助がてら一緒にお相伴をさせていただくことになっている。まああれだ。王家とか大貴族の家とかにたまにいる『御令嬢のお話し相手』というやつみたいなもんだろう。わたしが一応は貴族令嬢だから、まあ乳母と兼任でそうなったんだろうと思う。


 おかげで食事の内容はすごく豪華になるけれど、シホ様とわたしの二人きりの食事になるから少しさみしいような気もする。家では大家族だったから余計にそう思う。


 食事の介助といってもシホ様は「この体は動かしにくいの」とおっしゃって、たまに食べこぼしをなさったりはするけれど、ぐずったり暴れたりして食事を食べないとか、好き嫌いをするとかいうこともなさらない、ひどく模範的な赤ちゃんだから、ほとんどわたしには仕事がない。だからわたしは今日もシホ様の隣に座って、シホ様がたまに食べこぼしたのを拭いたり、少し食べるのが難しい食材を横から手を貸してカットしたりなどしつつ、とても実家では食べられないような豪華な朝食を、シホ様ととりとめもないおしゃべりをしながら優雅に楽しんだ。






 食事が終わって、食後のお茶を淹れてもらって飲んでいると、家令のアスラウさんが朝の御挨拶にやってきた。

 シホ様の前で、膝をついて恭しく挨拶をなさっているが、その隣にはわたしもいるわけで、もうなんというかわたしの緊張感が半端ない。 



 わたしの斜め前で跪いている、イケベ大公爵家の家令でもあるアスラウさんことアスラウ・ライオネルさんのライオネル家は、イケベ大公爵家が副帝位にあって広大な領地を持っていたころから、その領地の三分の一ほどを委任された副公爵だった。


 副爵の任命は、自分の爵位よりも下の爵位でしかおこなえないから、副公爵を任命できるのは、国王か大公爵だけで、つまり陪臣としては最高クラスになる。それに陪臣を副公爵に任命しようと思えば、副公爵は宮廷序列では公爵の一段下になるから、直臣で言えば侯爵クラスの領地なり資産なりをその陪臣のために用意しなければ、帝国の紋章院にその叙爵が認められないことになる。


 そして、それほどのものを用意しておきながら、それをそのまま配下に委任するというようなパターンはなかなかない。


 だから帝国中を探しても『副公爵』はライオネル副公爵を含めて二人か三人しかいなかったと思う。


 そのうえ、ライオネル家は副公爵といっても、あの海のように広大なイケベ家の領地の三分の一を委任された副公爵だから、実質その権限は侯爵クラスどころか、大きな国の国王にも匹敵する。


 イケベ大公爵家は領地がとにかく広いし、お金もたくさんあるから、陪臣家の数もすごく多いし、そのなかには非常に大身の家もたくさんあるけれど、ライオネル家はそのイケベ大公爵家の陪臣のなかでも文句なしに筆頭格になる。


 で、そのライオネル家の御当主のアスラウさんは、百年以上昔からリョウ様の陪臣をなさっている、ものすごく大きな獅子に変化できる獣人で、獣人の変化した獣の大きさはそのまま強さに比例すると言われるけれど、その通りに、かつて戦争の時などはリョウ様と一緒に強力な晶術を行使して、敵陣に暴れこみ『獅子の副公』と渾名されたそうだ。などとたまに歴史の本など読んだら、そこに名前が出てきたりする。


 それでイケベ大公爵家の先代のリョウ様が出奔なさった時には、この信頼厚いアスラウさんに後事を託され、それでアスラウさんは陪臣筆頭として陪臣達を束ね、イケベ大公爵家を取り仕切っている……


という、そんな様な人がわたしの斜め前で跪いてるんですよ皆さん! もうね、やりにくいったらありゃしない。



 わたしが乳母として雇われてきた初日に執務室で挨拶して、あーあ、緊張したなあ。とか思って、寝て起きたら朝ごはんのときに現れるから、あわてて椅子をがたがたいわせて立ち上がろうとしたら「ああ、そのままそのまま」とかおっしゃるから、わたしはその場で椅子に半分腰かけたまま固まってしまった。そしたら副公爵様が突然跪くから困ってしまう。とにかくもう居心地が悪い悪い。


 それ以来毎日同じことが繰り返される。それで今日も、自分よりはるかに偉い人がすぐ斜め前で跪いてるのを、ティーカップ片手に椅子に座って眺めるという精神的拷問を『そのままそのまま』じゃねーよ! などと口に出して言えるわけもなく、ひたすら身を固くしながら耐えていたわけだった。



 ご挨拶がすむと、シホ様とアスラウさんは、ミソとショウユ、それに糸をひくほど発酵させた豆であるナットウとかいう食品についてお話をなさっていた。


 まあわたしにはゲテモノ食いの趣味は無いので、糸ひく豆の発酵食品についてはどうでもいいのだけれど、その後の話の展開が重要だった。


 シホ様が、そのナットウとやらを食べるために、帝都へ旅行なさるというのだ。


 わたしは、家庭に収まってしまうよりは、まだ色々と見聞を広めたいと思って、いい縁談を無視して奉公に上がったわけだけれど、やっぱりそう思うようになったきっかけとして帝都には特別な思い入れがある。


 もう一度旅行したい、というかできれば住んでみたいと思うけれど、自分一人ではなかなか機会もないし、道中も不安だし、まだ給金も出てないし、休暇の時期もきてないし、そもそも乳母に休暇なんて無いし、という状況で、わたしのご主人様が帝都へご旅行になるという話になったわけだ。


 ご主人様が帝都へ御旅行になるのであれば、乳母のわたしも、お世話をするということで、一緒についていくことになるだろうと思う。つまり仕事で帝都に旅行ができるのだ。もちろんご主人様にずっと貼りついていなきゃならないけれど、それでも幾らかは自由時間も貰えるだろう。


 そうしたら、リュールさんにも会えるかもしれない。


 そんなことを考えていたら、目の前のアスラウさんが、



「まず、シホ様が天竜を呼ぶことがおできになるかどうか、次に晶術の行使がおできになるかどうか、おできになる場合はその威力がどれほどのものかということでございます。

 リョウ様からシホ様あての手紙でございます。お読みください」


と言って、シホ様に手紙を差し出した。




 アスラウさんの、その言葉を聞いて、そういえばシホ様はイケベ大公爵家の御当主様なんだから当然そういうことになるなと思う。

 大公爵家の御当主ともなれば、求められる強さも並じゃない。


 というか、普通はそういう素質のある跡継ぎを選んでから代替わりをするものだけれど、アスラウさんの口ぶりからすると、シホ様がどの程度のお力をお持ちなのか把握していないみたいにも聞こえる。というより、シホ様は貴族家の当主になるには少し小さすぎるとも思うし、いやでも十六歳ということだから、年齢だけならそうでもないのか、それともシホ様はまだお小さいから、とりあえず暫定的に御当主様になっているということなのか。


 そんなことを考えていると、手紙を受け取ったシホ様が、その手紙の封蝋を珍しげに見て、指でつついたりなさっていた。そうしたら蝋が指についてしまって、その指を見ながら困ったような顔をなさる。


 なんだか始めてシホ様が見た目相応のかわいらしい仕草を見せてくださった気がしてうれしくなった。ハンカチをとりだして拭いて差し上げると、にっこりして「ありがとー」と言ってくださった。


 そういう気遣いが、シホ様がただの赤ん坊には見えないところでもある。普通の赤ん坊は、もっと何も考えずにされるがままになっているものだ。


 それで、シホ様は封筒から手紙を取り出して、読んでおられた。


 そして、手紙を読み終わると手紙を封筒にしまいながら、

「つまり、わたしが晶術を使って見せたり、天竜のラスタスに乗って見せればいいのね?」


とおっしゃった。





 ということで、わたしはアスラウさんの後について、シホ様を抱っこして屋敷内にある衛士のための練兵場にお連れすることになった。


 お屋敷を出て、庭を北側にすこし歩くと、地面が盛り上がって小さな丘のようになっているところがあったのだけれど、そこに近づくにつれ、岩どうしを思いきりぶつけあわせるような、ゴキーーィンというような音が連続して響いてきた。何だか採石場とかにある岩でできた崖が崩れるときの音のような感じでもある。


 その丘に登ると、頂上部の空間が練兵場になっていて、セメントと盛り土で囲ってあって、その囲われた空間のところどころに、土砂で山を作ってあった。


 練兵場の中には、十人くらい人がいて、みんな鎧をつけて、盾とか武器とかをそれぞれ持って、訓練をしている途中だった。


 そのなかに、普通の人であれば、一歩も動けないような、どれだけ鉄を使ってるんだろうというような、巨大な重厚甲冑を纏って、これまた普通の人ではピクリとも動かせないであろうというくらいの、人の背丈ぐらいある重そうで大きな戦斧を使って訓練をしている人が二人いた。

 私の倍くらい背丈がある巨人の人と、これまた大きな蜥蜴族の人で、ふたりして、戦斧をすごい勢いで連続して打ち合わせるものだから、頭が割れそうな音がしていた。


 すごい光景だった。



 私の家も一応は貴族だから、王侯軍としての練兵もしなきゃならないはずだけど、ウチの領地では、畑が忙しくないときに、有志の皆で狩りをして、それで訓練ということにしてばかりいたくらいのもので、ロクな訓練をしていなかったけれども、そこへいくと大公爵家ともなるとやはりレベルが違うという感じだった。


「止めぃ!!」


 隣でアスラウさんが爆発したみたいな大声で怒鳴ったから、飛び上がってしまったけれど、そうすると崖崩れみたいな騒音がぱたりとやんだ。


「さ、こちらへどうぞ」


 アスラウさんの案内に従って、訓練をしていた人たちが膝をつくなかを歩いて、盛土で小山をつくってあるところの前に立った。


「あちらは、投射晶術の訓練の的にするために築いてある盛土でございますので、あれに向かって晶術を撃ち込んでくださいますように」


 アスラウさんがそう言ったから、シホ様を下ろそうとして、シホ様に靴を履かせるのを忘れていたのに気付いたので、仕方がないからシホ様が前を向けるように抱きなおした。


 そういやシホ様が移動するときはいつも、何となく抱っこで運んでしまうので、シホ様の靴を見たことがないけれども、それじゃあシホ様の脚が鍛えられないから、今度、靴を探さなきゃ、というかシホ様の靴って用意されてるんだろうか。とか考えたところで、


「じゃあやってみるわ!」


 シホ様は、キリッ! とかいう擬音が聞こえそうなほど決然とした、わくわくと嬉しそうな表情で、なぜかひどく嬉しそうにそうおっしゃった。シホ様は晶術が好きなんだろうか?



 シホ様は、えへん、とかわいらしい咳払いをひとつすると、ぷにぷにした手を前に突き出した。すると目の前に、直径が人の背丈くらいある青白く輝く巨大な光球が出現した。



 わたしは、その光の玉が何なのか一瞬分からなかった。


 私も投射晶術は使えるけれども、わたしが出現させられる火弾は色が赤が精々だし、大きさも人の頭くらいにしかならない。

 人が投射晶術を使っているのを見たのでも、色は黄色で、大ぶりの西瓜くらいの大きさまでの火弾しか見たことがなかった。


 だから青白く輝く巨大な光球を見て、これは何だろう? みたいな感じで、ぼんやりと一瞬考えてしまった。


 ちょっと考えて、そういや火弾は確か、赤、黄、白、青白の順で威力が上がるんだったと思い出した。確かそんなことを家庭教師から聞いたと思う。と思い出したところで、さーっ、と血の気が引いた。それにこのデカさ、こんな至近距離で爆発したらただじゃすまない。


 そこまで考えたところで、


「はっしゃあっ♪」


シホ様のひどく楽しそうな声が聞こえて、火弾が土山に向けて飛んでいき、同時に、


「ちょ、ま……!」


アスラウさんの、ひどく慌てたような声も聞こえてきて、ああ、あんな立派な人でも慌てることがあるんだなあと場違いなことを考えたけれど、体が反射で動いて、シホ様をかき抱いて、庇うように下にして地面に倒れ込んだ。我ながら機転が効いていたと思う。


 さらに多分アスラウさんだと思うけれど、誰かが上から覆いかぶさってきたところで爆音がして、耳がおかしくなって何も聞こえなくなり、爆風に煽られて宙に飛んで、体を地面に何度か打ちつけて、最後に頭を打って、それきりわたしの意識は途絶えた。でもシホ様だけは抱いたまま離さなかった。


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