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実験小説『イケベ大公爵家の日常』  作者: 西村紅茶
リー・ウォーレス編
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15/24

その2

◆最近、仕事が忙しくて、ちょっとばかし不満がある、副執事のリー・ウォーレスの愚痴





 月曜日の朝は、上級の使用人達だけで打ち合わせがある。



 執事室に据えてある大きなテーブルに座って、皆の揃うのを待っていると、家政のマーサさん手作りのお菓子と紅茶が目の前に置かれた。

 上級使用人の打ち合わせにはこれが出るのだ。

 さっそくお菓子をパクリとやって紅茶を啜ると、いつも通り美味だ。今日はベリーのタルトだった。

 これだけが昇進して良かったことだなあと思う。



 僕は旦那様の書記をしていたのだけれど、旦那様がいなくなってしまったので、旦那様の書記は必要なくなり、そのかわりに副執事に昇格することになってしまった。書記は上級使用人ではないけれど、副執事は一応、男性使用人達の上司というか、中間管理職ということになるから、上級使用人で、だから打ち合わせにも参加しなければならないわけだ。



 書記から副執事へ昇進したから、給料もそれなりに上がったけれど、僕はほとんどお金を使わない人間なので、あまり実感が湧かない。


 お付き合いをしている女性はいないし、服装にはあまり興味がないし、それほどグルメでもない。趣味といえば、怪奇現象とか謎の飛行物体とかについて書いた雑誌をたくさん買い込むのが唯一の趣味かもしれないくらいで、でも雑誌代なんてたかがしれている。


 だからまあ、副執事になったとしてもあんまり嬉しくないというか何というか。




 そもそも副執事って中途半端なのだ。


 執事という役職ほどの権威はないし、それでも従僕や小姓の人達の一応は上司ということで、なにか問題があったり、調整が必要だったり、面倒なことを押し付けるために、一応責任者が必要なときには、とりあえずリーさん呼んでこい(リー・ウォーレスというのが僕の名前である)という気軽な感じで、便利使い的にかりだされる。



 そもそも、僕が書記だったころから、単なる書記でしかない僕になんか色々と面倒なことが回ってきていた気がする。だいたい書記って契約書とかの書類を作成するのが本業で、わりと頭脳労働系というか、常に机に座っているものであって、小姓の子達が喧嘩してるから止めて説教してこいとか、だれそれの機嫌が悪いから酒でも飲まして話を聞いてこいとか、新人の皿洗いのメイドの子がホームシックで逃げちゃったから、慰めて連れ戻してこいとか、最近入ってきた誰それのオッサンがいやらしいことばっかり言うから何とかしてぇとか、風呂桶が壊れたから何とかしてくれない? とか、お祭りの日程の関係で、この日が半ドンになるように上と交渉してよぉとか、ゴキブリの集団が出たからなんとかして!おねがいっ、わたしそんなの触れないわぁとか、ねえねえ、慰労パーティーそろそろやんないの? 計画してよとか、それって書記の仕事と関係なくない!? とか思わず嫌な顔をしても、まあいいじゃないのとかなんとか言われて聞いてくれやしない。


 僕が苦手にする人は結構いるのに、僕を苦手にする人は一人もいない。そういう天然の押し付けられ体質なわけで、それで、僕って書記だし書記っていうのは書類を作るのが一応は本業であってと言うのが、僕の弱々しい最後の抵抗だった。


 だからそこで、書記のかわりに調整役的中間管理職の副執事に『昇進』させてやると言われたところで、それは書記だからっていう唯一の言い訳が失われるだけのことであって、むしろこの悪しき現状の追認というか肯定というか、ひょっとして陰謀? とか思いつつ僕の右隣に座っている、僕を副執事に昇格させてしまった僕の上司であるところの執事であるデイライトさんの顔をぼんやり眺めてみると、


「どした? 疲れてるのか?」と言われた。


 ええ、あなたのせいで、と言えるわけもなく


「え、ええ、少し」


と答えるしかないこの性格が恨めしい。ああ、これだからいかんというのは分かってるけど、そう簡単に性格は変えられないしと自問自答していると、ま、がんばれと言われて肩を叩かれた。「はあ」と答えながら、たまには「やだもんねー」とか言ってみたりしようかなとか思っていると、最後に家令のアスラウさんが入ってきて皆に声をかけて話し始めた。



 僕はすぐに紙とペンをとって、内容を書き取って、掲示用のメモを作り始める。うんうん、つまりこういうのが本来の書記の仕事だよな。と思ったところで、副執事になったのに書記の仕事は書記の仕事で、そのまんま残っていることに気付いて、愕然とする。



「やあ、諸君おはよう。今日はいい知らせがある」

 アスラウさんはそこで、もったいぶる様に、少し間を取ってから続けた。


「先日『別の世界』とやらにお帰りになってしまった旦那様の相続人の方が、昨日の昼に当屋敷においでになった。私と執事と家政で、確かに御本人であると間違いのないことを確認した」


 アスラウさんはここで一旦間を空けて、言葉がみんなにいきわたるのを待つ。

 誰も声を上げたりはしないけれど、部屋の中の空気が緊張するのが分かる。やっと自分達の新しいご主人様がおいでになったというわけか。


「……お名前はイケベ・シホ様、見た感じは赤ん坊のように見えるが、実際は、御年十六歳の、種族は森族のお嬢様である。人間族と違って、森族にはそんなふうに年齢に比べて成長が遅いようにみえる種もいる。近々使用人一同にお目通りがかなう機会もあるだろうが、とりあえず、屋敷内で、耳が少し長い赤ん坊をお見かけしたら、その方が新しいご主人様だ。そういうことで失礼の無いように部下たちに周知しておいて欲しい。それから……」


 旦那様、というかもう先代の旦那様のリョウ様は森族だったから、当然そのご親戚である、えー、シホ様も当然、森族というわけだ。なるほど。


「……で、シホ様の乳母の手配もしなきゃならないからな、そうだな、リー君?」


「はい」

 話を振られたのであわてて返事をする。


「では、応募者を募っておいてくれたまえ、面接はマーサが家政だから、彼女のほうでする」


「分かりました」


 そう答えながらも、絶対に仕事増えたよなあと僕は心の中で溜息をついた。



 書記から副執事になって何が面倒って言って、それはやっぱり人事関係の仕事が増えることだ。副執事っていうのは執事の補佐だからそういうことになるのだ。

 それで、新しいご主人様の乳母の人を見つけてくるのも副執事の仕事のうちである。



 イケベ大公爵家は先だって直轄地のほとんどを処分してしまったから、わずかに残ったいくつかの村から探すか、あとは陪臣の副爵の方々に紹介をお願いすることになる。


 母乳が出ていそうな農家などの奥さんで、かつ家を離れて住み込みもできそうなほど手が空いていて、さらに人品が卑しくなく、かつ信用が置けて……とまた面倒だぞ。と思っていたら、ヴィーゼル副子爵家の方から乳母の件引き受けますと手紙が返ってきた。


 良かった良かったと喜びながら手紙を読み進めていくと、乳母になってくれる奥さんが見つかったのではなくて、なんと副子爵家のお嬢様が自ら乳母になってくださるそうだ。


 あそこの家は子持ちのお嬢様なんていたっけかな、とか、それに何で貴族のお嬢様が乳母になんかなるんだ、とか、あの家がそんなに金に困ってたっていう話はきかないがなあ、等々と疑問は数多く湧いてでたけれど、大公爵家の陪臣の副子爵家のお嬢様御自らの立候補なのだから、そう無下に断るわけにもいかず、面接に来ていただくしかないのだった。



 乳母志望のお嬢様のお名前は、アニお嬢様というのだった。


 彼女は女性の使用人ということになるから、面接は家政のマーサさんがしたのだけれど、彼女は普通の平民の奥さんとは違って、大公爵家の陪臣家の御長女ということになるから、採用するにしても断るにしても、まあ政治的な判断というと少し大げさだが、まあ本人の資質や条件だけでは判断できないところがあったわけだ。


 それで面接したマーサさんと家令のアスラウさん、それに我が上司で執事のデイライトで彼女を乳母として採用するかどうかの話し合いが持たれた。


 家令室で話し合いをするというので、ああ、そうですか、それじゃお茶を厨房に頼んでおきますので決まったら結果を教えてくださいね。と言ったら、デイライトさんに、何を言っとるんだ。勉強だからオマエもこいと言われた。


 うまく言えないが、何かに着々と引きずり込まれている気がする今日この頃だった。




 で、マーサさんの面接したところによると、




 彼女は未婚で子供も無し。ただし乳房も大きく母乳の出は良好。

 子育ての経験も無し。ただし子守の経験は、弟や妹の分が、十二人分もある。ということだった。



 子供もいないのに乳母になんかなれるもんなんですか、と聞くと、マーサさんがこちらをジロリと見て、子供のいない女性でも乳を出す方法があるのですと言った。

 なんだかマーサさんは機嫌が悪い。


 しばらく目の前の話し合いを聞いていると、どうもマーサさんは自分の子供を持ったこともない年若い女性が乳母になるのは反対らしいのだった。


 でも、アスラウさんとデイライトさんは、断ってしまうのもなあと考えているのだった。



 彼女を乳母として雇うかどうかの判断で消極的な要素は、年が若くて、自分の子育ての経験がないことだった。

 けれど、積極的な要素もあって、彼女はマーサさんによれば、きちんとした良いお嬢様らしい。それに貴族のお家の御長女だから十分な教育も教養もあるだろうし、それに身元もこれ以上ないほどはっきりしている。


 それでアスラウさんが「まあシホ様は見た目どおりのお歳ではないしな」と言ったら皆が黙ってしまった。そうなのだ。シホ様は見た目こそ赤ちゃんだが、御本人と先の旦那様のおっしゃるところによれば、実際は十六歳で、きちんとお話もできるのだった。


 口がきけるということは、暑いとか寒いとか熱があるとか腹が痛いとか腹がへったとか、要望や不満があればご自分で主張できるわけで、まあ面倒を見る相手としては、普通の赤ん坊ほどには難易度は高くない。


 それで、協議の結果、彼女はめでたく乳母として雇われることになった。

 そして僕は部屋を出て、執務室に戻り、彼女の出勤簿と契約書を新しく作ったのだった。



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