その1(第4話)
◆ミステリーサークルとか空飛ぶ円盤とかが大好きな大好きなイケベ大公爵家の副執事 リー・ウォーレスの話
旦那様が我々使用人たちの前で掻き消えてしまわれたあの日、私は、虫が脱皮した後の抜け殻のように残された旦那様の服を拾い集め、呆然として大広間にもどった。
旦那様の「別の世界」の話は言わばイケベ大公爵家の名物の様なもので、ほとんどのものが本気にしていなかったのだが、何しろ皆の目の前で忽然と旦那様が消えうせてしまい、どこにもおられなくなってしまったとなれば、事実は事実として認めなければならない。
旦那様は、消えてしまわれる一年ほど前から、陪臣の副爵の方々にお任せになったもの以外の、財産や所領や事業の整理をなさり始めた。
我々は、その理由を尋ねたら、これから相続人に後を継がせるつもりだから、領地とか管理の面倒な事業や財産は現金に換えておくのだと仰った。
要するに引退なさるということだ。旦那様にはご子息やご息女はもちろん奥様すらいらっしゃらなかったので、その相続人とはどのような方なのかをお聞きしたら、その方は旦那様の従妹にあたるお方なのだそうだ。
旦那様は、財産や所領を整理なさって従妹の方に家督をお譲りになる。
そこまでは問題ない。旦那様は御歳二百二十五歳になられるそうだが、旦那様は森族であるから、まだ引退されるほどに老け込んではおられないように私には見える。けれど、それはもちろん旦那様がお決めになることである。
では何が問題なのかというと、その相続人である従妹の方は、あの「別の世界」の方であると旦那様は仰るのだ。
ここに至って、話を聞いていた上級の使用人たちは、反応に困ってしまった。
旦那様の表情を窺ってみても、旦那様は至って大真面目に話をなさるばかりである。
上級の使用人たちだけで話し合いがもたれたが、結局のところ旦那様の気が触れたのかどうかなど分かるはずもない。取り敢えず様子を見て、明らかにおかしいことをなさるようならお止めするという結論しか出なかった。
私はその当時、旦那様の書記だったから、旦那様が、所領や財産や事業を処分なさるに当たっては、旦那様が商人や役人たちと交渉をなさるそばから、私がその内容を書類に起こしていくわけだが、旦那様の交渉ぶりをすぐ側で聞いている限りにおいては、旦那様はいつも通り明晰だった。
私はもう三十二になるが、父方の祖父がまだ生きていて、その祖父は呆けている。単なる呆けと狂気を一緒にすべきではないのかもしれないが、祖父の話し振りと旦那様の話し振りは全く違う。
私としては、旦那様は狂気に陥ってはおられないと思う。
そうやって交渉が進んだ結果、残ったのは聞いたことも無いくらい多額の現金と、多額の投資証券と、帝都の街屋敷と、この本屋敷と、その周りにある村が幾つかだけになった。確かに扱いやすい財産だけになったと言えると思う。
こうして財産の整理は済んだ。あちこちの所領や屋敷や事業を整理したせいで、もちろん人員ごと譲り渡したのだが、それでも色々事情があったり、特にイケベ大公爵家で働きたいと希望するものが思いの他たくさんいて、そういう人達は、本宅であるこの屋敷に引き揚げてくることになるから、屋敷の中はだいぶん人が多くなった。
所領や事業や管理すべき財産が減ったのに、人員だけ増えるとどうなるか。
当然、一人当たりの仕事が減って、暇になるのである。暇になれば噂話にだって当然花が咲いてしまうことが避けがたくなる。
旦那様の相続人の方が、本当に「別の世界」から来られるかどうかは、ともかくとして、財産を整理なさった旦那様の行動からして、相続人の方がおられること自体は間違いがないようだ。
そうなれば使用人たちの関心は、新しいご主人様になる予定の方に向くことになる。
うちの旦那様は、はっきり言って使用人たちに対して、物凄く甘い。激甘である。
いやもちろん、不正や怠慢を見つけたりした場合は、わりと容赦なさらないのだが、給金は高いし(毎月の給金の他に、年に二回、しかも一回につき三か月分も一時金をくださる)、休みが多いし(有給休暇なるものまである)、仕事もよそと比べたらはっきりいって楽である(勤務時間なるものがはっきり決まっていて、残業しない限り一日八時間である)。
人間は、ぬるま湯に浸かると、そこから出てこられなくなってしまう生き物なのだ。新しいご主人様が厳しい方……いや、普通の方であっても、今の旦那様のやり方になれてしまった我々では、大きな苦痛を覚えるだろう。
といって、その相続人の方について、知っているのは旦那様のみである。他に情報源は無い。旦那様にどのような方かをお聞きしても、まあごく普通の十六歳の年若いお嬢様で、シホ様というお名前らしい。それ以上のことはあまりよく分からなかった。
それに、旦那様の仰ることによると、旦那様はこのお屋敷で隠居されるのではなく、相続人の方を「別の世界」へ呼びに行って、そのまま、その「別の世界」へお帰りなったまま、もうこちらにはお戻りにならないそうだ。
「別の世界」なる場所が、一体、どこなのかはともかくとして、旦那様がおられなくなってしまうとなれば、不安感も増そうというものだ。
「別に、口頭で指示してもいいんだが、君達は『別の世界』のことになると、私の話を本気にせんからな。だから手紙で指示を残しておく。私がいなくなって『別の世界』の話を信じられるようになったら封を開けるように」
旦那様は、消えてしまわれる前の晩、そう仰って使用人たちに十数通の手紙を託された。
それから私達の目の前で旦那様が煙のごとく消えてしまわれ、私達はもちろん「別の世界」の話を信じる気になっていたから、その手紙のうちのひとつ、使用人達あてに書かれたものを開けた。
それほど長い手紙ではなかった。相続人への相続手続きの書類はもうすでに整えられていたし、色々な後始末も全部できていたからだ。
手紙の内容は「帰還装置」の働きと、旦那様の相続人の方がどこから現れるかということについて書いてあった。細々としたことも書いてあったが、要するに、旦那様が「帰還装置」の上で煙のように消えうせてしまわれたのとは反対に、相続人の方は、ただの石板にしか見えない「帰還装置」の上に、突然現れるのだということが書いてあった。
その日から、私達、使用人は「帰還装置」が気になって仕方がなくなった。旦那様がおられた頃は、単なる石の板にしか思えなかったわけだが。
それで、私達は相続人の方が来られるときに備えて、「帰還装置」を見張ることにした。旦那様の手紙によると、「帰還装置」を使って、始めて「別の世界」から来る方は、服は着ていないそうだから、相続人が女性の方であることを考えると、見張る役はメイド達に任されることになる。彼女たちは、「帰還装置」の周りにある植物の世話をしながら時間を潰し、交代で見張ることになった。
こうして、見張りを始めて一週間目になるが、「帰還装置」には、今だ音沙汰が無い。
さて、どうなることやら。




