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実験小説『イケベ大公爵家の日常』  作者: 西村紅茶
マリエ・イケベ編
12/24

その2

◆ヤンデレが発症し始めたイケベ大公爵家のメイド マリエ・イケベの二月二十八日付けの日記




 今日、旦那様の相続人の方をお迎えした。お名前はシホ様。イケベ・シホ様という。




 私は、この数日間大変な努力をした。


 「帰還装置」つまり、あの石の板の見張りはメイドたちが交代ですることになったが、私はその仕事を、あらゆる手段を使って自分のものにした。病気のときに仕事を代わってあげたとか、休みを代わってあげたとか、貸しのある相手には、貸しを返してもらう形で、貸しの無い相手には新たに借りて、拝み倒して泣き落として、見張りの仕事をほぼ独占した。寝ているとき以外はずっとあの板の前に張り付いていた。



 どうしてその仕事にそれほどまでに執着したのかは、分かっている。


 旦那様は、別の世界に消えうせてしまわれ、もうこちらの世界には戻られないと知ってはいたが、それでも私は、旦那様が忘れ物や何かの都合でもう一度こちらに戻られるかも知れないという僅かな望みを捨てられなかったのだ。


 私はどうしても、あの板を見張らずにはいられなかった。


 今までに経験したことが無いくらい強くそう思った。




 旦那様は私のすべてだった。


 私は、竜の国のやつらにすべてを奪われて、旦那様に助けられて、それから私は旦那様にすべてのものを頂いた。


 住むところ、衣服、仕事、愛情、教育、それから名前。




 私の家は田舎の貧しい小作人だったから、個人のマリエという名前は持っていたけれど、家名なんていうものを持ったことはなかった。それで旦那様は、私がこのお屋敷に来てしばらく経って、家名がないと色々と不便なこともあるだろうから、私の家名を名乗りなさい、と言ってくださった。


 その頃は、私は子供だったから、何も分からなかったけれど、大きくなれば、単なる使用人の私が大公爵家の家名を名乗るのは、相当にとんでもないことであるのは分かった。


 不安になって、まわりの人達に聞いてみたら、旦那様は、身分とかそういうことには割と無頓着な方なのだということだった。


 旦那様は、家族を一人残らず無くしてしまった寄る辺無い私を気遣ってくださって、身分がどうとかそういうことはあんまり考えずに、家名を与えてくださったということだろう。こうして、私の名前はマリエ・イケベになり、私は大公爵家の家名を名乗る、世にも珍しいメイドになった。


 あの方は私の命の恩人であり、主人だったけれど、私はそれ以上に、父と母と恋人を合わせたくらいあの方が好きだった。



 でも、わたしがどれほど旦那様にもう一度会いたいと望もうと、私から旦那様を奪ったあの忌まわしい板の上に出てこられた方は、やはり旦那様ではなかった。


 旦那様ではない相続人の方が「別の世界」からやってくることは、旦那様の言われた通りの事なので、分かっていたことだった。僅かな希望にさえ止めがさされて、胸の中に石を飲み込んだような気がしたが、それでも、もう現実を受け入れるしかなくなってしまった。



 でも、本当にこの方が旦那様の相続人の方なのかと思った。


 確かにその方は普通の人間とは少し耳の形が違っていて、木の葉のような形をしていた。これは森族の特徴でつまり旦那様と種族が同じということだ。


 大きな瞳の色は翡翠色で、色の薄い柔らかそうな金髪だった。額に何か光る宝石の薄片のようなものが付いていた。ふっくらしていてとってもかわいいお顔だった。

 それは問題ない。


 旦那様の予告通り、その方は服を着ていなかったので少し視線を下げて確かめると女の子だった。それも聞いていた通りで問題はない。



 では、何が問題かというと、その方は本当に小さいのだった。まるで赤ちゃんだった。


 見た感じ髪はきちんと生えそろっているし、目もぱっちりしているから、生まれたばっかりというわけではないだろうけれど、赤ちゃんにしても、とても体が小さかった。



髪は一度も鋏を入れたことがなさそうな、幼児独特のおかっぱだったし、白くて柔らかそうな、ぷにぷにした、短い小さな手足はまるで、花びらのようだった。



 旦那様のお話によれば、旦那様の相続人の方は十六歳のはずだったけれど、目の前にいる赤ちゃんはがんばっても精々二歳くらいにしか見えない。全然、歳が合わない。


 だから、私はその子に、もうお話ができるかしらと危ぶみながら歳を確かめた。


 驚くまいことか、その子は、舌足らずな喋り方ではあったけれど、自分は十六歳であると言った。



 旦那様から相続人の方が旦那様の又従妹にあたる方であることも、その方のお名前も聞いていたから、次はそれを確かめた。


 その方は、自分の名前を、イケベ・シホであると名乗られた。


 個人名と家名の並びが「別の世界」では逆になるらしいが、その方は、確かに旦那様と同じ家名で旦那様から聞いたとおりの名前を名乗られた。


 その方、つまりシホ様は、確かに旦那様の相続人の方で、まちがいなく旦那様のお身内の方であるということだ。


 そのことが分かったその瞬間に、わたしは自分の心が、ごりごりと大きな岩が動くかのような強さで動くのが分かった。私はそのときに、目の前に裸で立っていらっしゃるその方に、強い執着を感じた。背中に汗が浮いて、口が渇いて、体が少し震えたほどだった。


 私はその方から目が離せなくなって、頭の中で、もう離すものか、と呪う様な強さでそう思い、その方に文字通り噛み付いて食べてしまいたいとさえ思った。


 シホ様と私とはもちろんこれまでにお会いしたことは無くて、そのときが初対面だった。それなのに、私はシホ様に、旦那様と同じ様な、いやそれ以上に、我ながらなんだか変態的な強い執着を感じたのだった。シホ様は赤ちゃんだから、もともととても可愛らしいけれど、ただそれだけでは説明がつかない。



 普通に考えれば、私には旦那様を好きになる理由がある。でもシホ様を好きになる理由はない。だって今までシホ様には会ったことさえ無かったのだから。


 それでも、私がシホ様に執着してしまうのは、この幼い女の子が旦那様と繋がりのある方だからだろう。ただそれだけのことで、わたしはシホさまに異常な執着を感じてしまう。私の心が何かおかしくなっているのだろう。


 これは、旦那様に捨てられた様に感じている私の心が見せている幻想なのだろうか。



 シホ様のこちらを見上げてくる可愛いお顔をずっと眺めていると、何か正気を失いそうな気さえしたので、私は膝を折って頭を下げて、私の新しい小さな御主人様への挨拶をするふりをしてシホ様から視線を外し、自分の名前を名乗った。



 こうして私はシホ様から全く離れられなくなってしまった。旦那様を奪われた上に、シホ様からも引き離されようものなら、情緒不安定になって、ひょっとすると気が触れてしまうかもしれないと私は半ば本気で思った。それで私は家政婦のマーサさんに頼んで、シホ様のお世話をさせて頂くように部屋付きにしていただいた。



 とりあえずシホ様を、突然舐めまわしたりとか変なことをしてしまわない様に気をつけながら、一生懸命お世話をさせていただくことにしようと思う。


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