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実験小説『イケベ大公爵家の日常』  作者: 西村紅茶
マリエ・イケベ編
11/24

その1(第3話)

◆イケベ大公爵家のメイドで、マリエ・イケベの昔話



ええ、私が旦那様に拾っていただいたのは、私が八歳の時でした。


 私の故郷は、西方帝国の南西の端っこからずっと東に行ったところにある獣人の狼族の小さな村でした。私はまだ小さかったから詳しいことはわかりませんでしたが、当時は私のいた村は帝国の領土ではなかったので、皇帝陛下の保護下にはありませんでした。


 だから、東から竜の国の軍隊がやってきて、私の住んでいた村は略奪されたんです。


 奴らは村の中にあるものを、何もかも奪って、殺して、最後に火をかけて燃やしていきました。私は家の竈の中に隠れていて、奴らに見つからずに済みました。


 叫び声や物音がしなくなって、さらに一昼夜してだれもいなくなったと思って、竈から這い出したら、荒らされた家の中には父も母も兄もいなくなっていました。

 家から出て、そっと辺りを窺っても、誰もいなくて、豚や羊や鶏の鳴声さえしませんでした。


 それで、誰かいないかと思って、村の広場のところまで行くと、大きな焚き火があって、何か嫌な感じがしたのですけれど、確かめないわけにはいきません。焚き火の灰を確かめてみたら、人間の骨の焼け残りがありました。奴らは殺した人間は焚き火で焼いていったんですね。


 私は、悲しいとか憎いとかいうよりも、ただただ疲れ果てて、その場に座り込みました。そうやってだれもいない村で、膝を抱えて夜まで、竈の灰にまみれたまま泣きもせずに座り込んでいたんです。


 そうしてしばらく時間が経つと、そのときにはもう感覚も心も鈍くなっていて、見てはいても見ておらず、聞いてはいても聞いていないという様な心持だったので、はっきりとしたことは、憶えていないんです。


 ただ、薄緑色の大きな――私の何倍も何十倍もあるような――天竜が翼を広げて、空を鳶のように大きく旋回して、それから村の広場に、つまり私の側に降りるのを見るともなしに見ていたんです。天竜が側に降りても、天竜から騎士様が降りてこられても、私は恐がりもせず驚きもせず、ただぼうっと見ているだけでした。


 その天竜騎士様というのが、旦那様だったんです。


 私は、旦那様から何か呼びかけられても返事もしませんでした。もう目の前にしていることであっても他人事の芝居を眺めているようなもので、ただぼんやりとしていたんです。その当時の記憶はあるんですけれどね。


 旦那様は、奴らはもう追い払ったからなというようなことを仰って、それから水筒を取り出して私の口に押し当てて一口飲ませてくださいました。それからその水筒の水で白いハンカチを濡らして私の顔を拭いて下さいました。

 ハンカチには金糸で刺繍がしてあって、こんなきれいなハンカチで竈の灰だらけの顔を拭いたら汚れてしまうなと他人事の様に思ったのを憶えています。


 旦那様は、ここにずっと座っていても仕方がないから、私と一緒に行こうということを、大きな声と身振り手振りで仰いました。私がずっと黙っていたものですから、ひょっとして耳が聞こえないのかと思われたのでしょう。

 それでも私が黙っていると、旦那様は懐から砂糖菓子の入った瓶を取り出して、お菓子をひとつ取り出して、私の口に押し込むと、残りの入っている瓶を私の手に握らせてから、私を抱え上げ、天竜に乗られました。私はただ頂いた砂糖菓子の瓶を抱えているばかりでした。


 それから私は旦那様に背中を預け、天竜の背から、それまで見たこともないほど高い場所からの景色を眺めたのでした。

 それから何日か旅をしてこの旦那様のお屋敷に落ち着いたわけです。



 私がこのお屋敷に来てからも、旦那様は後見をしてくださって、何くれとなく気を使って頂きまして、折々に遊びに連れて行ってくださったり、贈り物を頂いたり、手紙を頂いたり、優しく声をかけて頂いたりしました。


 この様なことを言うのはおこがましいことですが、私はあの方を母親の様に思っていました。


 だから、旦那様が「チキュウというところにある、別の世界に帰って、もう戻ってこない」と仰ったときも、なにか見捨てられたような気がして、私はそれなりに傷つきました。


 でも、私は旦那様の言うことはあまり、本気にしていなかったのです。

 なぜかって言えば、以前にこんなことがあったからです。


 ある日、私はコックのジゼルさんに言いつけられて、菜園へ野菜を貰いに行くために庭を歩いていたら、旦那様とあの「帰還の館」の前で行き合わせました。


 私が『これが皆の言っている旦那様の冗談か』と思いつつ「別の世界にお帰りになるんですか」と全く本気にせずにお聞きしましたら、旦那様は「ああその通りだよ」と仰いました。


 旦那様に真顔で返されて、私は返事に困ったので、曖昧に微笑いながら「お気をつけて」と言って先を急ぎました。


 無事に野菜を貰ってきて、その帰り道にまた旦那様と鉢合わせました。先ほどお話してから五分ほどしか経っていませんでした。


 私は、これまた全く本気にせずに「もう帰ってこられたんですか」とお聞きしましたら、旦那様はこれまた至って真面目なお顔で「うむ、もう用事が済んだので帰ってきた」と仰いました。


 そのときに、私は旦那様の仰る、別の世界うんぬんは旦那様の冗談なんだと確信したんです。


 だって、別の世界って言えば、よく分からないけれど、私が見たことも聞いたこともないくらい遠いどこか別の世界ということでしょう?

 その別の世界に行って用事を済まして帰ってくるのに、5分やそこらで済むなんて何だか非現実的なことに思えましたから、いえ、もちろんこのことがある前から、旦那様の「別の世界」の話は十分非現実的に思っていたんですけど……。



 でも、あるときに、旦那様は冗談を仰っているのではなくて、本当のことを仰っているんだと私には分かったんです。


 旦那様が、別の世界にお帰りになって――ずっと帰ったままこちらには戻ってこられないということですが――代わりに相続人の方が来られるということを仰ったあの日、皆さんもご存知の様に、旦那様は、使用人一同を大広間に集合させて、一時金を下さいました。


 旦那様はいつも、夏のお祭りの前と、冬の休暇の前に一時金を下さいますのに、その時は、夏のお祭りが終わった後にもう一度、一時金を下さいましたね。


 でも私は愚か者ですから、お金を頂けるのが単純に嬉しくて、でも、こんなにお金を下さってばかりいたら大公爵家の財産は大丈夫なのかしらと、のんきな心配をしていました。


 でも、使用人たちが順番に名前を呼ばれ、それで私の番になって、旦那様の前に出て、旦那様がお金の入った袋を下さったとき、その時の旦那様の顔を見た瞬間、旦那様は、冗談ではなく本当に真剣に本当のことを仰っているのだと分かったのです。


 なぜって、そのお金の袋を私に握らせる時のお顔は、私の村で私を助けて下さったときに、砂糖菓子の瓶を私に握らせて下さったときと同じお顔をなさっていました。

 その、えも言われぬ、悲しそうな気遣ってくださるような優しいお顔!


 そのお顔はとても誠実なもので、冗談の成分などは全く含まれていないようでした。それに、旦那様が私に握らせて下さったお金の袋はちょっとびっくりするくらい重くて、お金がとてもたくさん入っているようでした。


 私はその瞬間、雷に撃たれたように分かったんです。これは、旦那様から使用人たちへのひょっとしたら最後の心尽くしの贈り物なのだと。ええ、ほとんど本能的にはっきり分かってしまったのです。


 私は、突然に本当のことを悟って呆然としました。……それでこのお金を受け取ってしまったら旦那様はもういなくなってしまうと思ったので、私は袋から手を離しました。袋は旦那様の座っておられるテーブルの上に落ちました。

 旦那様は椅子から立ち上がるとお金の袋を拾って、私の頭を撫でてから、私のエプロンのポケットにお金の袋を押し込みました。


 あの時は、私の後ろにもまだ順番を待っておられる方がいましたから、私はそのまま旦那様の前から引き下がりました。


 ……私は、今でも後悔しています。もう一度お金の袋を放り出せばよかった。

 それから、どこへも行かないでと泣いて取り縋ればよかったと!


 中途半端にお行儀を良くして何になりましょう。旦那様に何と思われようと、いなくなってしまわれるのだったら同じこと!


 ……そのあと旦那様と私達は、「帰還の館」の「帰還装置」のところまで行って、旦那様はあのいまいましい石の板の上にお乗りになり、私達の目の前で、そのまま掻き消えておしまいになりました。

 旦那様が、煙のように消えてしまってから、中身のなくなった服が、ばさりと帰還装置の上に落ちました。


 私はもう少しで、悲鳴を上げてしまうところでした。何と残酷ななさりようでしょう。……ええ、ええ、分かっています。私が我侭を言っているのは分かっています。でも……私の前からいなくなってしまわれるのだったら、いっそ私を殺してからにして下さったらよかったのに!!



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