薄れた記憶
いつの間にか机に突っ伏してうたた寝をしていた俺は痺れた腕を机から離しながら目の前にある多大な資料を見据えた。
寝ていたとはいっても半刻ほどのようで溜まりに溜まっていた疲れがそのくらいの仮眠で取れるわけもなく眠気は消えなかった。
「あの時、俺は何を約束したんだろうな…」
見た夢は他愛もない小さい頃の記憶だった。この記憶は本当に幼い頃のもので、夢の中の女の子は3才、俺は7才の時の姿だったように思う。
そう物思いに耽っていると、ちりん、という音が鮮やかに鳴った。
「…また来たのか?」
艶のある白い毛並みにアイスブルーの瞳を持つ猫は言葉に答えるかのように、にゃあと鳴く。
最近よく現れるようになったこの猫は、多分、飼い猫だと思う。
理由というと、いつ見ても毛並みは艶を帯びているし、躾けもされているようで悪戯もしない。首には鈴の付いた首輪が付いていたからだ。
しかしなにがあったのか、三日ほど前から家に住み着くようになった。住み着く前も、家の中に入り込むことは時折あったが、夜になると身軽な足取りで出て行ってしまっていたと言うのに…飼い主の元に帰らなくていいのだろうかとも思うがきっと猫らしい気まぐれだろうとそこまで気に留めないでいようと思う。
無機質な音が鳴り響いたあの日から、幾つかの月日が過ぎた。
あいつが居なくなってからというもの、永遠にも感じるほどに時の流れが遅いと感じる。
今までそう思うことなどなかったというのに。
あの日から、どうも俺は何処か可笑しい。なにがどうして可笑しいと感じる理由はわからなかったが、ただ漠然と今までとは違ういう事だけは感じていた。
あいつと言うのは俺の妻だ。
俺たちは恋愛結婚ではなく、幼い頃から家が決めた許嫁であったから故の結婚から夫婦となっただけだった。
俺はあいつを妹のようなものとして見ていたし、あいつも俺のことを兄のように慕ってくれていたと思う。
幼い頃は「兄様、兄様」といいながら追いかけ回されたこともあった。一生懸命俺に追いつこうとしていたあいつが放っておけなくて結構な量をあいつと過ごした。
許嫁と言えど元々は仲が良い親同士のありがちな口約束から出来た許嫁だったので、片方に他の相手が出来てしまえばすぐに解消になる程に淡い関係だったのだから。
それでも尚結婚まで進んだのは、
お互いにお互いの事が嫌いでなく形が何にせよ好意を持っているという点が重なっていたことも関係していたのだろう。
不満も疑問も特に抱くこともなく俺たちは時の流れに身を任せ、夫婦となっていった。
お互いを兄妹のように思う気持ちが消えないまま…
そして夫婦となって三回目の記念日を迎えることなく、あいつは息を引き取った。
あいつの死因は流行り病だった。治療法もなく、あいつの存在がまるで幻だったかのように至極呆気ない最期を迎えた。
生き途絶えてから、葬式などで感慨深く考えるような時間もなかった。
今日、やっと追われていた引き続きの資料から解放された所である。
数日もすればまた仕事に戻らねばならないが、折角の休みだから一気に睡眠をとってしまおうと思う。そう考えると近頃の疲れは存外に溜まっていたようで先程起きた時とは比較にならないくらい尋常じゃない睡魔に襲われた。
猫の存在など気にする事もなく、俺は寝室に向かう。
ベッドの前まで来ると途絶えて行きそうな意識を無理やり叩き起こしながらベッドに入る。
そして俺は意識を手放した。
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