第24話 守られた安寧
「んっ……。」
クシが髪を滑るたび、妙に心地よい熱が頭の奥に広がっていく。
思わず漏れた吐息に、自分で驚いて、反射的に右手が口元へ伸びた。
私の名は、レティシア・デ・シールド・ヴァレンタイン。
公爵家の一人娘にして、アルベルト様の婚約者だ。
「ふふっ……。」
鏡の中で、マリアが微笑む。
彼女は、私が五歳の頃から仕えてくれている侍女だ。
六つ年上で、ひとりっ子の私にとっては、姉のような存在でもある。
「……な、何よ?」
「いえ、別に……。」
しかし、学園への入学にあたり、私はマリアを同行させなかった。
学園では、公爵家の権威だけでは通用しない。
だから私は、自分自身の力を試したかった。
一人で寝て、一人で起きる。
そんな当たり前のことに、ずっと憧れていた。
入学当初は、失敗も多かったが、それでも自分の力で生活できていた。
そう、フィオナと出会うまでは。
「やはり、副都屋敷に移りませんか?
そういう方々もいらっしゃると聞きます」
「駄目よ。公爵家の娘として、皆の模範にならないと」
本音を言うと、アルベルト様の公務に伴い、この女子寮を離れるのは不安があった。
実際、帰ってきてみると、不安は現実のものとなっていた。
クローゼットにしまってある下着に、明らかな不審があった。
「ですが、このお部屋は手狭すぎます。
お嬢様がお過ごしになるには、あまりにも……。」
「あら。私は、コンパクトにまとまっていて好きだけど?」
一見すると、夏休み前と変わらない。
だけど、どれも新品に変わっている。
何者かが、取り替えたとしか思えない。
自分自身が使っていたものだ。
それくらいは分かる。
では、それが誰かと言ったら、フィオナしかいない。
理解はできなくても、彼女には前科が山ほどあった。
「まあ……。初めてできたお友だちと離れるのは、お辛いでしょうけど」
「ち、違います!」
「ふふふっ……。」
「な、何よ!」
歯ブラシも新品になっていた。
シャンプーも、微妙に残量が変わっていた。
枕からは、嗅ぎ慣れてしまったフィオナのシャンプーの香りがした。
「あの聖女様、世間の評判はよろしいのに……。」
「……そうなのよ」
「あら、聖女様が友だちなのは認めるのですね?」
「う、うるさい!」
だから、マリアを呼び寄せた。
自立を掲げた手前、不本意ではある。
入学前、あれほど大見得を切ったのだ。
今さら少し格好が悪い。
けれど、部屋を空ける間の不安はなくなる。
「むしろ、私は安心しました。
また、お嬢様が変に気取って、一人ぼっちで寂しい思いをなさっているのでは、と心配していましたから」
「ふ、ふん!」
そして、その結果は初日から現れた。
放課後、部屋へ侵入しようとしていたフィオナを、捕らえたらしい。
フィオナが気を悪くしてなければいいけれど。
「でも、女同士は駄目ですよ? 旦那様が困りますので」
「私は、アルベルト様が好き! 好きなんだから!」
「そういう使命感のようなお気持ちも、少々心配ではありますね」
ふとドアが控えめにノックされた。
「……えっ?」
マリアが戸惑う。
当然だろう。
女子寮はもう、皆が寝支度を整えている時間だった。
だが、私は来訪者が誰なのか分かっていた。
「どうぞ」
「……えっ?」
マリアが目を丸くする。
「失礼しまーす……。」
やはり、ノエルさんだった。
ネグリジェ越しに女性用下着が透けているが、今さら驚きもしない。
私自身も、ネグリジェに着替えている。
「えっ!? えっ!? ……だ、男性、ですよね?」
マリアが困惑を深める。
気持ちは分かるが、もう夜も遅い。
ノエルさんの事情を説明する気力はなかった。
学園へ帰ってきたばかりで、今日はもう眠い。
「こちらをどうぞ」
私は、あらかじめ用意しておいたブラとパンツを渡す。
新品だが、私が付けている香水を振りかけてある。
これで、フィオナには新品だとバレないはずだ。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそお手数をおかけします」
ノエルさんは何度も頭をぺこぺこと下げながら、部屋を出ていった。
これで、明日の安寧は守られた。
「お嬢様……。」
「なに?」
「一から、ご説明いただけますか?」
「……明日では駄目?」
しかし、マリアは納得してくれそうになかった。
どうやら、今夜は夜ふかしの必要があった。




