第5話 東の谷の女悪魔
アイダはジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩いている。日が暮れかかり、目的の谷に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
「ここで夜を明かしましょう」
峡谷から聞こえて来る激流の音が、水量のせいか相当激しい。古木を集めて火を焚くが、暖を取る為では無い。この谷に近づくごとに魔物の気配を強く感じ始めたのだ。人に変身している四人は火を恐れない。だが魔物は違うだろう。用心の為だ。
そして深夜である、
「なに!」
トゥパックが大声を上げた。
「どうしたの?」
「何かが喰いついて来た、くそ!」
トゥパックが叩いた首からは蝙蝠が飛び立った。
「上だ!」
頭上に無数の蝙蝠がひらひらと舞っているではないか。
「もっと、どんどん火を焚きましょう」
「あれを見ろ!」
見上げると蝙蝠のボスらしい怪物が太い枝の上から羽を広げて威嚇してきた。もう火を焚き増ししてる暇はない。ワイナ達三人は剣を抜き身構えた。だが、いつまで待っても怪物は襲ってこない。
「何してるんだ」
しかし皆が怪物の様子を見ていると奇妙な事に気が付いた。怪物はアイダ以外を見ていないのだ。ジャガーのワイナ、ゴリラのトゥパック、そしてキイロアナコンダを全く気にしないでアイダだけを凝視しているのが、怪物の視線から分かる。
「くそ、こいつはおれたちが飛べないのを分かっていて、相手にしないって事だ」
アイダが前に出て来る。
「だったら私が相手をしましょう」
アイダの手が前に伸びると呪文が始まる。
「アラカザ――」
「あっ」
怪物は呪文を唱え始めた瞬間に飛び去ってしまう。だからアイダの様子だけを凝視していたのだ。これでは手も足も出ないではないか。
戻って来た怪物がニタニタと笑っている。何度やっても同じでらちが明かない。呪文を唱えようとするたびに飛び立ってしまうのだ。
アイダはうなだれて、がっくりと肩を落とした。
だが、
「アラ……カザンヴォアラ……」
「ん?」
怪物がうなだれているアイダを怪訝そうに見る。
「シャザムスヴァーハー」
アイダが再び顔を上げた時は呪文が完成していた。
「カァッーー」
と一声怒った怪物が飛び立とうとするのは一瞬遅かった。呪文をまともに受け太い枝を振動させてもがいた瞬間を、ワイナは見逃さない。ジャガーに戻ると一気に木の幹を伝って飛び掛かった。
「ギャアーー」
地上に落ちた身動きの取れない怪物の喉笛をジャガーが喰わえている。こうなるともう勝負は付いたようなものである。羽をばたつかせていた怪物がやがて動かなくなると、他の蝙蝠たちも居なくなる。
夜が明けると、木の根元に昨夜の怪物が横たわっていた。
「さあ、先を急ぐわよ」
アイダは再びジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩き始めた。女悪魔は東西南北と四つの谷間にそれぞれ住んでいるという。
「まずは東の谷に行ってみましょう」
そこは確かに峡谷で、深い谷は切り立った崖を降りて行かねばならないようだ。人が簡単に降りて行けるような崖ではない。
「これは元の姿に戻った方が良いな」
ワイナはジャガーに、トゥパックはゴリラに、キイロアナコンダは蛇に戻って急な崖を降りて行く。人間のままよりこの方が手っ取り早い。
アイダはゴリラの肩にちょこんと収まって、何とか谷の底に着いた。
「ここが女悪魔の居る谷なのか?」
それらしい建物は無く、ただの険しい峡谷が荒々しい地肌を見せているだけである。濁流の音もうるさく、こんな落ち着かない所に人が住んでいるとは思えない。まあ精霊ではなく悪魔だから関係ないのか。
そしてまた夜が来た。
「こんな場所で夜を越すのはあまりぞっとしないな」
「だがな、悪魔が出てくるまでは此処にいるしかないんじゃないのか」
四人は仕方なく、この夜もここで過ごすことにして、燃えそうな枯れ木を集めて積み上げる。
「アラヴォアトシャザムハー」
アイダの指先から炎が出ると、古木に火が点いた。元オオカミの守護霊であった呪術師ゾボの手ほどきを受けていたのだ。
深夜である。頭上から何かが落ちてくると、焚火が飛び散った。
「ん!」
それは何かの死骸だった。よく見ると昨日退治した怪物の死骸が焚火に落とされたのだ。そして不気味な声が辺りに響いた。
「よくも私の可愛い息子を殺してくれたわね!」
……まずい、アイダたちは息をのんだ。昨夜倒した怪物は、女悪魔の息子だったのである。
「アラカザンヴォアシャザムスヴァーハー……キャー!」
呪文を唱え始めたアイダが何かの力で吹き飛ばされた。
「アイダ!」
ゴリラのトゥパックが、倒れているアイダを抱き起したが意識が無い。ワイナはジャガーに変身して女悪魔に飛び掛かって行くが、ひらりとかわされた。
「これは一旦撤収だ!」
気を失っているアイダを抱いたゴリラのトゥパックが皆に叫んだ。
「逃がしはしないからね、皆殺しだよ――」
女悪魔の執拗な追撃を逃れてアイダを抱いたトゥパックと他の二人は必死で逃げている。だが空からの爪による凄まじいスピード攻撃に全く有効な反撃が出来ない。背後からの攻撃には振り向いて刀を振るうか、こちらも爪で反撃するのだが、やられてから振り向くこの状況はどう見ても圧倒的に不利である。
「あそこに入れ!」
谷の端に崖が窪んでいる箇所がある。そこに皆が駆け込んで空を見た。
「これでしばらくは時間稼ぎが出来るだろう」
だがこのままではどうしようもないではないか。全員が絶望し始めたその時、
「ん?」
いつまで続くのかと思われ、執拗だった女悪魔の攻撃がいつの間にか止んだ。
「何故だ?」
「朝日だ、朝日が差してきた」
谷の底まではまだ差していないから暗いが、山の頂上辺りは明るく朝日が当たっている。
「奴は昨夜の怪物と同じで、吸血蝙蝠の属性を持つ悪魔なのではないか」
「そうか、だから日が昇り始めると動けなくなるのだ」
「助かった!」
「アイダ」
「大丈夫か」
やっとアイダが気づき目を開けた。
「どうなったの?」
顛末を聞いたアイダがため息をついた。
「これは面倒な事になったわね」
あの女悪魔の力を知り、手も足も出ない状況に皆が押し黙ってしまう。アイダの呪文さえ使う余裕が持てないのだ。それでもアイダが何とか声を出した。
「あの女悪魔は吸血鬼の属性で昼間は活動できないんでしょ。だったら今は攻撃するチャンスよね」
「だけどどうやって奴の住処を探したらいいんだ……」
ここでまた皆押黙ってしまったが、ゴリラのトゥパックだけは胸を張った。
「よし、ここは俺に任せろ」
「どうするんだ?」
トゥパックはそれに答えずいきなり両手を地に着け走り出すと、近くの高い木に飛び移る。そしてするすると昇って行き姿が消えた。大柄な体で木を登るのは容易ではないが、この際そんな事は言っていられない。しばらくすると森中にトゥパックのドラミングが鳴り響いた。
やがて集まって来たのは森中のゴリラであった。森のゴリラを統括していたトゥパックはゴリラの王でもある。そのトゥパックの指示を受けた無数のゴリラたちが散って行った。
「アイダ、あの者達が女悪魔の住処を突き止めてくれます」
「分かったわ」
結果は直ぐに出た。女悪魔の住処が分かったのである。
「行きましょう」
アイダは皆を連れて歩き始める。この辺りの森に住むというゴリラの案内と、ワイナが臭いを追跡したことで、女悪魔の住処だという場所にたどり着いた。蝙蝠の館で、暗く不気味な谷にはそぐわない瀟洒な造りである。
「入るわよ」
トゥパックがドアを開け、アイダが中に入ると、そこは正に洋館である。
広間の中央に棺が置かれて、木製の蓋がしてある。
「トゥパック、開けて」
トゥパックが蓋を持ち上げると、中には蝙蝠の翼を閉じた美しき貴婦人が横たわっている。その名はキュラノス、蝙蝠の姿をした美しき夜の種族と呼ばれる吸血鬼の魔物である。
キイロアナコンダは昼のうちに堅い木を削り、十字架の形に組んだ杭を用意していた。その尖った先を翼の隙間から貴婦人の胸にあてがうと、
「んっ!」
キュラノスの目が開いた。
「早く!」
首を持ち上げたキュラノスが両手で杭をつかんだ。キイロアナコンダが一気に杭を貴婦人の胸に刺し込むと、
「ギャーー」
爪がキイロアナコンダの腕を裂いた。トゥパックも手伝い、アナコンダと共に全身の力で杭を押し込む。すさまじい悲鳴と共に貴婦人が起き上がろうとすると、無数の蝙蝠が館の天井から襲い掛かって来る。
「アラカザンヴォアラカスプレストシャザムスヴァーハー」
アイダの呪文が響く。
「ガーッー!」
貴婦人の目は裂けんばかりに見開き、
「私を殺せば谷の夜は終わると思うのか」
口は牙をむきだして尖り、
巨大な蝙蝠に変身してキイロアナコンダの腕を掴み血を吐き出した。
バタバタと暴れていたが、ついに静かになり動かなくなると、無数のコウモリも去って行った。
東の谷の女悪魔は倒した。だが悪魔の糖蜜は見つからなかった。




