第10話 風の悪魔少女の決意
「違います、私は悪魔の手先なんかじゃありません」
「あなたは自分を天使だと言っているそうですね」
「あっ、あの……それは……」
少女の前に優雅な女性が座っている。空気と同化し、森を流れる風が少女の周囲を覆い、静かに語り掛けているのである。少女の切なる願いが聞き届けられ、今女神に謁見しているのであったが……
少女の前に座る女性はニンリル、精霊界では風の女神である。しかしその穏やかな表情とは裏腹に、ニンリルの決断は厳しく早かった。
「この者を追放しなさい」
「ニンリル様の裁定です。あなたを堕天使相当と認定し、天使候補の資格を剥奪します。これより悪魔見習いとして南の谷へ赴任しなさい」
女神は傍らに控えるセラムに言った。セラムとは熾天使であり、天使の中でも最上とされている階級につく者であって、悪魔の災いを防ぐ存在だとされている。
「違います、これは何かの誤解です。私は悪魔なんかじゃありません!」
「何度も警告されていたはずです。私に付いて来るのよ」
少女はセラムの導きによって、神の座の前から引き下がらされてしまった。
「ねえ、セラムさん聞いてい下さい、本当に私は悪魔の手先なんかじゃないんです」
「そうかもしれないけど……」
少女を導いているセラムは静かに言った。
「あなたは神の前に来る途中、天使たちに言っていたでしょ」
「…………」
「いいわね、こんな優雅な暮らしをして、どうして天使だけが神の近くにいられるのですか?」
「あっ、それは……」
「あの、私は別に……」
「あなたの口から出た言葉はもう戻らない、天使にはふさわしくないものだったのよ。ここでは十分悪魔の囁きだわ」
「たったあれだけの事で……」
「ほら、また言った」
「…………!」
少女はがっくりと肩を落とした。
「でもこれからは私が貴女を見守っていてあげるわ」
「えっ」
「これは内緒だけど、ニンリル様の指示でもあるのよ」
「…………!」
「ここがお前の持ち場だ」
低く響く悪魔の声が峡谷にこだました。
堕天使に相当すると裁定された少女は、その日限りで天使候補の資格を失った。そして悪魔見習いとして南の谷で修行するよう命じられた。見習いとはいえ、初っ端から人間を誘惑しなければならないのだ。
「天使と悪魔は裏表の関係なの」
「…………」
セラムが未だに納得のいかない少女に話している。
「あなたのように天使と悪魔の違いが分からず、あいまいな者を天界に入れる訳にはいかないのよ」
「でも……」
「今は黙ってこの世界に居なさい」
少女は与えられた南の谷という峡谷を見渡した。
「わあ、何この暗さは」
険しい様相を見せる峡谷は、少女にとって何の魅力も無い。
「こうなったら住みやすく作り変えてやるわ」
元来発想の豊かな少女である。緑の森に住む精霊たちに声を掛けて片っ端から呼び込む。次々と環境を改善しようと努力した結果、小鳥のさえずる優雅な谷に生まれ変わってしまった。とても悪魔の住む谷間とは思えない。
そしてある日の事、誘惑する対象がやって来た。四人組で女性が一人、従者らしい他の三人は戦士のように長い剣を携えている。ここからは悪魔少女の初仕事である。
「さて、これからどうしよう……」
旅人を捕らえはみたものの、少女はこの先どうしていいのか分からなかった。
「悪魔はこんな時どうするのかしら……」
「セラムさん、私が心に思った事を口に出して言うと、悪魔と見なされるのですか?」
「…………」
悪魔の見習いに落とされた少女と、その守護天使との会話である。少女は守護天使をじっと見つめ、
「私は自由に生きたいのに、それが悪い事なんでしょうか」
「貴女はアザゼルの話を知っていますか?」
「いいえ」
守護天使セラムは諭すように話を始めた。
「アザゼルはもともと神から人間を見守るように使命を受けた天使でした。でも、人間の女性の美しさに心を奪われ交わるという禁を犯してしまい、神の怒りに触れて堕天使になってしまったの」
「…………」
天使に性別は無いという事になっているが、アザゼルはそこも犯してしまったという話である。
「でも男となったアザゼルにとっては、人間の女性と恋に落ちる事は、とっても自然な行為だつたのね」
「…………」
「悪い事だとは思っていなかったんです」
しかし少女は食い下がって引かなかった。
「じゃあ天使は禁欲しているのですか?」
「禁欲は欲を持った者がする事ですが、天使に欲は有りませんから禁欲も存在しません」
「本当かなあ」
「…………」
天使に憧れている妖精の少女ではあるけれど、本心は自由に生きたい。ところが天使にそれは許されないようである。天使になる前から堕天使とみなされ、あろうことか悪魔にされてしまった。
「ねえセラムさん、じゃあ悪魔だって良い事をすればいいんでしょ」
「……そんな話は聞いた事がないわ」
「だったら先例を作ればいいのよ。私はこれから良い行いをする悪魔になります。それからセラムさんは魔物に襲われた時どうします」
「…………」
「もしも御仲間の天使たちがセラムさんの目の前で化け物に襲われたら、どう助けるのですか。見守るなんて呑気な事を言っていて良いんですか?」
「…………」
「悪魔という呼び方が誤解を生んでいるのです。これはきっと天使さんたちの側から、勝手に付けた名前なんじゃないのかしら。私は自由に生きます」
風の悪魔少女は爽やかな顔でそう言うと、セラムが静かに言った。
「自由には責任が伴うのよ」
「分かっています」
少女は迷わず答えた。
「だから私は、自分で選んだ道を歩きます」




