52.私は誰ですか?
「僕です。シノアです。入ってもよろしいでしょうか」
ノックの後に聞こえた声に、緊張した。シノア様は確実にすべてを知っているだろう。きっと真実を知ってしまったら、今までの自分ではいられない。そんな恐怖心で返事ができなかった。
「はいどうぞ」
姉が私の心構えができる前に返答してしまったので、思わず下を向く。扉が開かれる音がして、シノア様の使い魔のマリがしっぽを振りながら私の足元に走ってきた。マリを撫でながら顔を上げると、そこにいたのはシノア様だけではなかった。シノア様と同じ黒髪の男女。片方は、父の足を矢で射抜いた美丈夫だ。遠目では気がつかなかったが、彼は宝石眼を持っているから聖人だ。服装的にアール王国の聖人だろう。
その男性に肩を抱かれている女性は、黒髪に青い瞳。宝石眼になる前の私と同じ色をしていた。……嫌な予感がする。心臓が早鐘を打って、喉が渇いた。
「シリア……!」
女性が感極まったように涙を流して、駆け寄ってくる。苦しいほどに抱きしめられ、悪い予感が当たったことがわかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。会いたかった!」
その謝罪の意味を察してしまった。今まで自分を構築していたなにかが、ガラガラと音をたてて壊れていく。
「リーリア。シリアが困っている。一先ずこちらに」
男性が私から優しく女性を引き離した。リーリアと呼ばれた女性はしゃくりあげながら泣いていて、男性が差し出したハンカチを受け取ろうともしない。
「私の名はカルア・ミューズ。こちらは妻のリーリア。シノアの両親だ」
私はもう気がついている。それがわかったのだろう。カルア様は潤んだ目でこちらを見ながら、しかし初対面の挨拶をした。自分の名前を名乗るべきか迷って、結局頷くだけにした。だって私は本当はクリスタ・フィストリアではないのだ。そのことに気がついてしまったから。
「そんな顔をしないで、話をしよう」
いったいどんな顔をしていたのか、自分でもわからない。姉がベッドから出て、フワリンにお茶を頼んだ。フワリンはいつもと変わらない様子で、部屋にあったローテーブルに茶器を出す。姉もきっとこのただならぬ様子に気がついている。だから私を気遣ってお茶を入れてくれるつもりなのだろう。退室しないのは、自分にも関係のある話であると察したのか。
全員ソファーに座って、温かいお茶を飲む。その間会話は一切なかったが、緊張が解けた気がする。私の隣に座った姉が、今度は私の手を握る。
「先ほど国王陛下がお目覚めになってね。すべてを話す許可をもらった。君には、悲しい話かもしれない」
カルア様が姉を見る。姉は困惑しているようだけど、背筋を正して静かに話を聞く姿勢をとった。
「僕らにとっての始まりは、十年前。リーリアと生まれたばかりの娘を乗せた馬車が、何者かに襲撃された。そして娘のシリアだけが誘拐された」
ああ、やっぱり。その娘が私だと、そう言いたいのだろう。……シリアというのが、私の本当の名前。
「私たちは血眼になってシリアを探したよ。生まれたその瞬間から聖女である宝石眼を持っていたシリアを探すのは容易だと思っていた。でも何年も見つからないまま……もちろんこの国の聖女である君のことも疑った。でも年齢も髪の色も違う。シリアではありえないと、そう結論づけた。恐らくシリアは人の目の届かないところで、聖女の治癒能力を搾取されているのだと思った。それがソレイル神の怒りを買う行為であったとしても、神を恐れぬ輩はいくらでもいる」
真剣な話をしている中、フワリンが「へぷぃ!」と鳴いた。お茶菓子のつもりなのか作り置きしていた菓子パンを出してくる。フワリンがこうだからなんだか気が抜けてしまった。
カルア様は菓子パンを見て目を細めると、口に運んだ。そのしぐさがシノア様と似ていて、親子なのだなと、他人事のように思った。
美味しいと笑ったカルア様は、続きを話す。
「転機が訪れたのは、去年。ミューズ家の宝物庫の整理をした時だ。ある秘宝が、すり替えられていることに気がついた。それが聖女の能力を他人に移すための香炉と術式が書かれた本だ。そしてその直後、屋敷の使用人の一人が忽然と姿を消した。彼が雇われたのは、シリアが誘拐された直後。あの時はシリアを探し出すためにバタバタしていたからね。その隙をつかれたのだろう」
聖女の能力を他人に移す。とんでもない代物だ。姉が私の手を握る力を強めた。もう姉も気がついてしまったんだ。
「どうしてそんなものが存在するのですか?」
「聖女、聖人を守るためだ。治癒能力や浄化能力を貸してほしいと頼む国は多い。しかし本人を派遣して、人質にとられたことがあったんだ。だからわが国では基本的に、人質にならないような人間に能力を移してから派遣している。……だからこの香炉を持っているのはミューズ家だけではない。アール王国王家も、同じものを所持している。ミューズ家に保管されているものは予備だから、盗難に気がつくのが遅れたんだ。このことは一般には知られていないが、各国の上層部は知っている。……もちろん王弟も知っていただろう」
姉の手がこわばり、震えている。私からも強く握り返した。そのあとに起こったことは、もう説明してもらうまでもない。
「王弟はなんとか国王を引きずり落とし、王となる方法を考えた。そして一度失った信用を取り戻すため、自分の娘を聖女に仕立て上げることにしたのだろう。この国唯一の聖女が自分の娘であるということで、今度は神殿も味方にできると考えたのかもしれないね。でも私たちが真実に気がついてしまったうえに、シリアが特殊な使い魔を召喚して目立ってしまったから、王弟は焦って今回のような強引な方法をとった。……国王の慧眼には感服したよ。ほとんど彼の予想通りに事が起きた。王弟は負けるべくして負けたんだ。彼には覇道を歩むだけの能力が足りなかったのだろうね」
父の、いや王弟の私の扱いが妙だったのは、そういうことか。私は生きてさえいればいい。なるべく目立たず、息を殺して生きていてほしかったのか。この十年間私が抱えた思いも葛藤もすべて何の意味もなかった。
私が虚しさに耐えていると、沈黙を貫いていた姉が喋り出した。絞り出したようなか細い声でゆっくりと話す様子は、誰に聞かせるためでもなく感情の整理をしているみたいだ。
「ずっと、疑問でした。聖女は幸せになれるように、愛のある家庭にしか生まれない。愛ってなんだろうって、ずっと、思って……。そっか。私は、聖女ですらなかったんだ」
姉は私を見つめた。しかし、私を見ているようで見ていない。その目が見ているのは、きっと私の瞳に映った自分自身。
「お姉様……」
私もまだ、感情のやり場がわかっていない。でもこれだけは伝えたい。
「お姉様と私は、姉妹です」
そう口にした瞬間視界がにじんだ。姉もきっと泣いている。突然何もかもを失って寄る辺ない思いをしている時に隣にいたから、ただ過去を意味のないものにしたくなくて口に出した言葉だったかもしれない。でも、つないだ手を離したくなかった。迷子になっても、この手を離さなければきっと大丈夫だとそう思いたかった。
「安心できるかわからないけれど、二人が罪に問われることはないよ。ただ、フィストリア家は取り潰される。アンネマリーはウィズレッドが引き取ると言っていた。クリスタ……シリアは、叶うなら一緒に来てほしい」
私はどうしたらいいのだろう。涙があふれて止まらなくて、考えられない。でもこれだけは言える。突然家族だと言われても、探していたのだと言われても、実感が持てない。彼らと私の間には明らかな温度差がある。それがとても怖ろしく感じられた。




