42.その感情の名はなんでしょう?
姉の話に耳を傾ける。ウィズレッドくんたちにはこの声は届いていない。
「私ね、嬉しかったのよ。宰相様が連れて来てくれて初めてお友達ができたの。ミスティアも小さいころから一緒だけど、お父様の命令で私のおともだちをやっているだけだから……」
叱られるウィズレッドくんを悲し気に見た姉は、一度言葉を飲み込んだ。
「ハリーはね、私の理想だった。両親にも愛されて、王子様たちとも仲良しで、優しくて。だから私、なんでも話してしまったの。ハリーになら、悲しいことも嫌だなって思うこともなんでも言えた。だって、ちゃんと受け止めてくれるから……」
姉がうつむいて、こぶしを握った。その先はなんとなくわかる気がする。
「そうしたら、私のことでハリーは家族と争うようになったの。私がハリーに甘えてしまったから、ハリーは……私は、憧れていたハリーの人生を壊してしまった」
姉は両手を組んで祈った。その姿はとても聖女らしくて、現実感がなかった。
「私ね。完璧な聖女になろうと思ったの……ハリーがもう、私の心配をしなくてもすむように……。でもね、ハリーは子供の頃の私の話を、ずっとずっと覚えているの……」
私は初めて姉の本質に触れた気がした。悪意に鈍感でお花畑な聖女様は、姉がそうあろうと決めた完璧な聖女像なのだろう。
誰にも心配をかけないように、誰も傷つけないように……負の感情を殺した。
きっとウィズレッドくんだけが、それに気づいて手を伸ばしていたのだ。
キャンディたちの言うように、ウィズレッドくんは姉に恋をしている。きっとそれは間違っていない。でもきっとそれだけではないのだと思う。
「派閥が違うから、仲良くならない方がよかった。……クリスタの時はね、姉妹だから仲良くなっても大丈夫だと本気で思ってたの。ごめんなさい。私、ハリーの時と何も変わってない。いつも取り返しがつかなくなってから、間違いに気がつくの」
今まで抱いていた姉の印象が、ガラガラと音をたてて壊れていく。そこにはただ空っぽで、愛に飢えた少女だけが残された。
雨がどんどん強くなる。姉は、空を見上げて言った。
「こんなこと言っておきながら、塔の上でハリーが来てくれるのを待つのが止められないの。最低よね」
ただ一つだけ確かめたいことがあった。理由なんて何もないかもしれないけど、あるなら知っておきたい。
「どうして聞かせてくれたんですか?」
姉は虚をつかれた顔をした。完璧な聖女であろうと努力してきた姉は、負の感情を封じてきたはずだ。どうして今、私に内心を明かしたのだろう。
「どうして……? クリスタに知ってほしかった。クリスタなら受け入れてくれると思った。とても安心するの、甘えたくなってしまうのよ。なぜかしら……?」
なぜかしらと問い返されても困る。でも私も嫌な気分ではなかった。先程宰相の心中を聞いた時は、もっとどうでもいいと感じたのに。
雨が屋根を打つ音が酷くなる。なんだか寒いなと思った。それと同時に姉がくしゃみをする。塔の屋根裏なんて場所にいたからきっと姉の方が体が冷えているだろう。
くしゃみの音でフワリンが飛んできて「へぷへぷっ」と鳴いた。そうだ。今日はオムライスシチューにしようって言ってた。
「お姉様」
自然に言えたことに、自分でも驚く。ずっと口に出して呼べずにいたのに。姉も顔には出さなかったけど気がついていたんだろう。宝石のような瞳がこぼれ落ちそうだ。
「お腹空きませんか?」
私が笑うと、姉も笑う。きっと私たちは今初めてちゃんと姉妹になれたのだと思う。
姉が宰相を止めに行く。ウィズレッドくんは叱られている間ずっと静かだったけど、私が近づくとジト目で睨んだ。
宰相の家の人にそれぞれの家への連絡を頼んで、作り置きしていた大量のシチューとケチャップライスを取り出してもらう。
姉と二人で卵をたくさん焼いた。不思議なことにこうしていることがとても自然な事のように思える。
熱々のオムライスにとろとろのシチューをかけて、みんなで頬張る。こんな暗い雨の日には、やっぱり暖かいごはんがいいよね。
もう一杯食べようと席から立ち上がると、ウィズレッドくんも立ち上がる。
「悪かった」
目を反らしたまま一言そう呟いたウィズレッドくんのことを、今はあまり嫌いになれない。私への当りが強かったのは、姉のためだったのだとわかるから。……まあ、それにしてもやり方は間違ってると思うけど。
「いいよ」
新しい卵を焼きながら、私もウィズレッドくんの方を見ずに呟く。これで彼も落ち着いてくれたらいいな。いや無理かな。子供っぽいし。
席に戻って二杯目のオムライスシチューを食べていると、向かいに座った姉に、シノア様が話しかけていた。
「公爵家の蔵書に、紫色の古い魔法書はないですか? 価値のあるものなので大切にしまい込んでいるのではないかと思うのですが……」
首をかしげる姉を見て知らないと判断したのだろう。シノア様は私の方を見た。
「クリスタは? 見たことないですか?」
「知らないです……」
なぜ私に聞くのか。父とは一緒に暮らしていないんだけど。
「では、この香炉に見覚えは……?」
シノア様が取り出した紙に書かれていた絵は、よく知っているものだった。
「「ケールさんの」」
口に出したのは姉と同時だった。姉もケールさんの診察をうけているのか。姉と顔を見合わせた後、シノア様を見る。見てしまったことを後悔した。口元は笑っているけれど、目が怖い。まるで獲物を狩る瞬間の肉食獣のようだ。シノア様にはまるで似合わない。
「ケールさんとは?」
私と姉は様子のおかしいシノア様に主治医だと説明する。香炉を焚くと眠くなって、その間に健康診断をするのだと。なにもおかしいことなんてないはずだ。
「……そうですか。わかりました。ありがとうございます」
そう言ったシノア様は笑顔だったけど、どこか危うく感じた。なんとなく心配で、その後も顔色をうかがっていたけど、シノア様が口を開くことはなかった。




