叫び祈り、面影を映す
歩く度に、甘い匂いは濃くなっていく。おそらく、もうすぐそこまで来ているのだろう。
「クシフォス。準備を」
彼は自前の槍を両手で握りしめた。エイレーンは鞄から小さな小瓶を二つ取り出す。
「それは?」
「昨晩のうちに作っておいたの。食魔植物が出す匂いは他の魔物を誘う蜜と同じ成分だから、人にとっても害になるのよ。その成分を吸ったことで、酔ったりしないようにするための薬よ。魔法じゃないから、多分あなたにも効くと思う……のだけれど」
必ず効くという確証はないが、飲んでいて損はないはずだ。
手渡された小瓶の蓋を開けてクシフォスは一気にそれをあおる様に飲み干すも、表情を歪めた。やはり、苦かっただろうか。
「……苦い、けど効果がありそうな味だな」
彼なりのお世辞にエイレーンは小さく笑って自分の分の薬を飲んだ。これで、準備万端だ。
さらに足を進めると川は横幅が狭くなっていき、最後には洞窟のような場所へと辿りついた。
ここが水源なのだろう。川の水は透明なままだが、一つ目を疑うことがあるとすれば、周りに小型の魔物が倒れこんでいるくらいだ。
犬や鳥、といった形ある魔物が川の周りに倒れこんで、痙攣を起こしている。蜜に誘われた魔物達だ。動かないものもある。
「…………」
エイレーンは溜息を吐き、倒れこんでいる魔物を見据えて、手をかざす。途端に、小型の魔物の内側から燃えるように炎が上がる。
「……放っておいても、瘴気から魔物が再生するか、他の魔物を呼ぶだけだから」
「分かっている」
彼は幻滅しないのだろうか。情けをかけずに、魔物を消してしまう自分のことを。
「――行きましょう」
エイレーンは鞄を木にかけて、腰に短剣を差し、背中に背負ってきた弓と数本の矢を同時に構える。一瞬とて、隙を見せるわけにはいかない。
目配せして、クシフォスと共に音を立てないよう注意しながら、洞窟の中へと入っていく。奥行があるわけではないが、入ってすぐ分かるように、その洞窟の中は広かった。
誰かが人工的に作ったのか、それとも自然とこのような空間が生まれたのかは分からない。ただ、魔物が巣食うには都合のいい場所だったということだけは考えなくても分かった。
足元に気を付けながら、エイレーンは目を凝らす。近くという程、近いわけではないが、奥に何かがいるのは分かる。
「……いる」
クシフォスも、魔物の魂がその目に映っているのだろう。槍を握る手に力が入るのが見えた。
向かって両方の壁に意識を集中し、壁の四ケ所に一瞬で火を灯す。
「あれが……食魔植物」
魔物をおびき寄せ、食らう植物型の魔物。小川の上にそのまま乗るように根を下ろし、蜜を流していたのだろう。その姿は五、六人で手を伸ばし、円を作った程の大きさの幹で、覆っている葉は泥が溶けたような色で垂れ下がっている。
ここからは見えないが、生い茂っている葉の奥から吐息のような音がする。あれが、食魔植物の「口」なのだろう。自らの手となる根を使って、蜜で弱った魔物を捕らえ、口へと運ぶ。
それは、魔物の根に転がって山を成しているたくさんの骨の数を見れば、想像は安易にできた。
「気分が悪くなるな……」
さすがのクシフォスもしかめ面で、正面を見据えている。この濃い甘い匂いの中、薬がちゃんと効いているのか、顔色は悪くはないように見えた。
「準備はいい? それじゃあ……始めるわよ」
エイレーンは土の中で食魔植物を囲み、炎が燃え上がる光景を想像する。やがて、それが魔法で現実となって、具現化し始めてくる。
足元から熱するような生暖かさがじわりと感じられると同時に、食魔植物も暑いのか地中にあった根が次々と顔を出してきた。
自分の意志で根を動かすことが出来るのか、根はそれぞれ好き勝手に動いている。まるで、人の手のようで、少々不気味に見える。
「十本……ね」
素早く数を数えて、弓を構える。隣ではクシフォスが蠢く根をエイレーンに近づけまいと槍で牽制してくれていた。
「聖なる矛よ。今、十の剣となりて、邪悪をもたらす者に雷なる刃を落としなさい!」
放たれた矢は一瞬で十の光る剣となって、蠢いていた根に一本ずつ正確に打ち込まれていく。その光景はまるで、天から降る雷のようだ。十本の剣によって、根はやがて動かなくなる。
「これで、大丈夫ね。あとは……」
エイレーンは真正面を見るも、目に映る光景を疑った。
「えっ……? 心臓が……出て、来ない?」
何度見ても、心臓は目に見える位置に浮かんでこない。
「どうして……これで、合っているはずじゃ……」
動揺し始めるエイレーンに対し、クシフォスがはっとして、声を上げた。
「エイレーン!」
クシフォスが突然、自分を抱え込むようにして、地面へと転がり込む。
土埃が舞う中で、急いで体を起こすとそこには、自由の身である根が一本、エイレーンが先ほどまでいた場所に突き刺さっていた。
思わず、背筋に冷たい汗が流れる。
「あの十本だけじゃなかったんだ。もしかすると、まだ隠れている根があるのかもしれない」
「そんな……」
立ち上がったクシフォスがその一本と対峙する。彼は槍の刃で根の攻撃を次々と叩き落した。
しかし、他の十本の根が動けないことに怒っているのか、根は鞭のように何度も波打っている。エイレーンもすぐに持ち直そうと立ち上がった時だ。
「っ、クシフォス!!」
対峙している根の真下から別の根が顔を出し、クシフォス目掛けて突っ込んできたのだ。一本に集中していたため対応が遅れたのだろう、彼は槍を盾にしようとしたが間に合わなかった。
刃のように鋭いその根は、恐らく誘われてきた魔物に止めを刺すための剣の役割のものだ。そんなもので、生身のクシフォスに突っ込まれたら、毒素が体に回るどころではない。即死だ。
やけにゆっくりと見えるその光景にエイレーンは声にならぬ声を上げる。
……駄目、やめて、その人だけは……!
脳裏に映る誰かの人影にクシフォスが重なる。
根は彼の左胸へと突き刺さろうとしていた。
……その人だけは、失くしたくない!
エイレーンの心の声に共鳴するように一瞬だけ、乾いた音が響く。次の瞬間、クシフォスの胸元が光を帯び始め、根とクシフォスはお互いでお互いを跳ね返すように、弾け飛んだのだ。
しかし、その反動でクシフォスはかなり後ろへと吹き飛ばされる。土まみれになった彼は大きく顔を歪めていた。
「クシフォスっ!」
駈け寄ろうと手を伸ばしたが、クシフォスは顔だけ上げて、エイレーンを怒鳴る。
「来るな! 早く、そいつらを……!」
クシフォスの言葉が言い終わらないうちに、二本の根がエイレーンに刃を向けてくる。
「よくも……」
こみ上げる怒り、悲しみを抑え、エイレーンは見据える。二本が同時にエイレーンを串刺しにしようと攻撃してきたが、瞬時に作った結界によって弾き返された。
「流れるものよ……。凍てつく牙となりて」
地面に微かに流れている川の水が塊となって、エイレーンの真横にふわりと浮かび、水の塊が二つに分かれて、矛先のように鋭いものへと形を変えていく。
その間にも二本の根はエイレーンの結界を破ろうと突き刺すように攻撃を続ける。
「我が敵となるものの、その息を止めよ!」
結界を解いた同時に根が真っすぐと伸びてくる。だが、それよりも早かったのはエイレーンの魔法の方だった。
真上から、獲物を串刺しにするように二本の根を地から離れられないように突き刺した。同時に、魔物心臓が幹に形が分かる程、浮き出てくる。
「エイレーン!」
クシフォスが起き上がってエイレーンへと槍を投げ渡す。それを軽々と掴み、狙い撃つ標準を見定めてから、思い切り槍を投げた。
加速の魔法がかけられた槍はそのまま真っすぐ心臓の真上にある魔物の核へと突き刺さり、魔物が断末魔のような金切り声を上げる。
突き刺さった部分からは、紫色の液体が飛び出し始め、それはやがて飛沫のように爆発した。
「っ!」
エイレーンはすぐに結界を張り、自分とクシフォスをその液体から守った。体液に何が含まれているかは分からないため、安全に越したことはない。
大きくそこに巣食っていたはずの魔物は、核が破られたことで、体の神経が機能しなくなったのだろう。そのまま横に倒れはじめ、幹も根もやがて萎んでいった。
「…………終わった、のか?」
いつの間にか立ち上がっていたのか、クシフォスが隣にいた。
「多分、そうだと思うわ」
そして、エイレーンははっとして、クシフォスの方を向き直り、両肩を強く掴んだ。
「ちょ、あなた……。大丈夫なの!?」
よくみると、胸元辺りの服がずたずたに避けて、肌が覗いている。彼の胸元下げてある青色の石が何故か薄く光っているようにも見えた。
「け、怪我は……?」
「いや、それが何ともないんだ」
不思議だと言わんばかりにクシフォスは首を傾げて、エイレーンに無事を伝える。
「怪我もないし、痛みもない。ただ、服が裂けただけで……。攻撃はされたはずだが、当たらなかったみたいだ」
服にかけていた魔法が効いていたのだ。クシフォスは無事だった。それを確認出来ただけでエイレーンはほっとして腰を抜かしてしまう。
「お、おい? エイレーン?」
座り込んだエイレーンの前に片足をついて、クシフォスは顔を覗き込んでくる。
「よ……良かったぁ……」
無事だと実感するのに時間がかかり、深く息を吐いたと同時に少しだけ涙が出てくる。
「私、きっともう、駄目かと……」
手の甲で軽く涙を拭いながらエイレーンは努めて、笑顔を作る。
「……大丈夫だ。何ともない」
クシフォスも口元を緩めて、エイレーンの肩に手を置く。
「……ありがとう、クシフォス。無事でいてくれて。あと、あの時、助けてくれてありがとう」
「お互い様だ」
そういって、笑う彼の顔は無邪気な子どものようで、一瞬、その笑顔をどこかで見たことあるような錯覚に陥る。
「さて、まだ、やることはある。心臓を回収しないとな」
「え? あ、うん。そうね」
すぐに、そんなことなかったはずだと忘れるように頭を振って立ち上がる。
ぐちゃりと崩れた食魔植物の内臓からは、食べられた魔物の骨がごろごろ出てきた。正直、魔物を食べていた奴の心臓を薬として使わなければいけないのは、作る方としても気が引ける。
「あ、瓶を持ってくるわ。あなたは、槍を洗っていていいから。くれぐれも体液には直接触れないようにね」
「分かった」
甘い匂いが増した洞窟から出て、木に下げていた鞄を持って、エイレーンは洞窟へと戻る。
「心臓って、これか?」
触らないように、離れた場所からクシフォスがそれに指を指して見ていた。
体液と一緒に出ていたのは、両手で収まる程の長くて丸いものだった。緑色で、光沢を帯びているというよりも、体液でぬるぬるしていると言った方がいいだろう。
「そうよ。……触りたくない色と形ね」
一度、川の水で綺麗に洗った方がいいだろう。エイレーンは短剣を取り出して、指を一度鳴らす。短剣がふわりと浮かび、心臓を傷つけないように、周りの蔦や神経を素早く切っていく。
「……それも魔法でやるのか」
「だって、触りたくないもの!」
いくら薬となるからといって、出来るなら触りたくない感触だろうし、何より体液だらけで安全ではないはずだ。綺麗に切り終えた後は魔法で心臓を浮かせて、川へと運び、水で優しく体液を落としていく。 隣では、クシフォスが短剣の刃を綺麗に洗い流してくれていた。
心臓を綺麗にするとそこには緑ではなく水色の物体が現れた。これが本来の姿なのだろう。蓋を開けた瓶に心臓を入れて、漏れないように蓋をする。
「ふっー……。これで、何とか薬が作れるわね」
やっと一息ついたエイレーンにクシフォスが短剣を渡してくる。それを鞄へと仕舞ってから立ち上がり、洞窟の方へと身体を向けた。
「エイレーン?」
「最後の仕上げをね」
再び、洞窟の中へと入っていくエイレーンのあとをクシフォスも付いていく。
「清浄なる炎よ。業火となりて、この穢れを負いし者に憂いと情けを」
エイレーンが一度、手を叩き、そのまま手を広げて、空気を包み込むように胸の前へと戻す。再び手が叩かれたと同時に死体となった魔物に火が点き、体を覆うように燃え始める。
「そして、罰を与えんことを」
言葉を吐いた瞬間、魔物だったものは一瞬で灰となり、消え去った。さすがにクシフォスも目を丸くして驚いているようだ。
「……君の力はここまで強くなったんだな」
「え?」
振り返ったが、聞き返すこともできず、エイレーンは首を傾げる。
「最後に、水も綺麗にしておかないとね」
奥へと進み、川の水源のもとへと近寄る。大きな石の器のようなものが一番奥の壁にあった。
人口物かどうかは見た目で判断出来ないほど時が経っており、器には苔が埋め尽くすように生えていた。その器の底から水が沸き、それが零れて川の一部となっているらしい。
「起源なるもの、清浄なる力を帯びて、今ここに命の礎とならんことを」
エイレーンが詠唱し、その器へ手を入れると微かに水が輝きだし、それは伝うように川へと流れていく。清らかな水が再び流れ始めたことを確認して、エイレーンはその場から離れた。
「水源を綺麗にしても、所々で清浄の魔法をかけないと、滞る場合があるからね。でも、ある程度なら毒素を薄めて、弱めてくれるようにしたわ。暫くすれば、飲んでも大丈夫なはずよ」
「君は……凄いな」
ただ、素直に感心したようにクシフォスが感嘆の溜息を吐く。
「魔力があれば、誰でも出来るわ。……その逆だって、出来るもの」
洞窟の外の空気はやはり澄んでいて、エイレーンは深呼吸する。まだ、全てをやり終えたわけではないが、一つの重大なことは片付いたと言ってもいいだろう。
「でも、君はそうしない」
ふと、真面目な声が聞こえた。
「強い力を持っていても、人を脅かすような事はしない。それは君だからだろう、エイレーン」
諭されるようにも聞こえる口調は穏やかで、彼自身にも言い聞かせているようにも思えた。
「それでも……私は人にとっては『悪い魔女』、なのよ」
自嘲するようにエイレーンは苦笑する。誰も、自分が良い魔女だなんて思わない。魔女は、全てにおいて『悪者』にされてしまうのだから。
「もう、行きましょう。出来るだけ早く帰って、薬を作りたいわ」
鞄を肩に掛けて、エイレーンは歩き出す。その背中を悔しそうな顔で見つめられていることには気付いてはいなかった。




